雨の日には雨の中を

忘れられない誕生日

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〔3月11日の誕生花の1つ、ユキヤナギ〕

今日はわたくしの誕生日。もう47歳になっちゃいました。

いつもはあまり誕生日を気に留めていないのですが、今年は新幹線の開通が明日だということもあり、ずいぶん前から今日の誕生日を意識していたのです。

とはいえ連日残業続きで、今日も帰宅が9時過ぎになるのはわかっていたので、結局花もケーキも買わずじまいで、ランチのときにケーキを食べただけで終わるのか・・と思っていました。

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〔ユキヤナギによく似たコデマリの花。この花も好きです〕

ところが今日の15時前に大地震発生。職場ではあまり情報が入らず、帰宅後ニュースを見て今もまだおさまらぬ災害の様子に驚きました。

帰宅後数時間はテレビにくぎづけになっていたのですが、どんどん増えていく被害者の数を見ていると胸が痛くなって、見続けることができませんでした。ちゃんと見なくてはいけないのかもしれませんが・・

こんな状態なので、明日予定されていた新幹線開通のイベントは中止になるようです。開通だけはひっそりとするようですけどね。

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〔誕生花を自分で決めていいのなら、カエデの花を選ぶかも〕

霊能力者の祖母が数年前に「数年後に大きな波がやってくる」というようなことを言っていて(詳しく書くと長くなるので割愛)、もしかしたらこれのことだったのかなーと思っています。おそらく混乱は当分続くことでしょう。

被災されたかたに何かできることがあれば、少しでも協力したいと思っています。一刻も早く地震や津波、火災がおさまりますよう、放射能漏れなどの二次災害が発生しないよう祈っています。

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〔これもユキヤナギ〕

午後になってから職場の人からプレゼントをいただき、帰り際には同僚たちからお花をいただいて、幸せな気分で帰宅しました。この災害のニュースでちょっと動揺していたから、今年は特にうれしく感じたように思います。

わたしはそういうことをマメにするほうではないのですが、自分がうれしいことは人にもしてあげたほうがいいわよねと気づいた誕生日でもありました。47歳の目標は、細やかな気配りができる女性になる(今ごろ?とあきれられそうですが)です。

コメント一覧

田中さん、お久しぶりです。
田中さん、お久しぶりです。
娘さんも相田みつをさんの言葉がお好きな方だったんですね。
二十歳の頃(だったと思う)に初めて相田さんの著書(にんげんだもの)を読んで心に響くものを感じ、以来ずっとファンです。
今は同じようにいろんな言葉を書く人が増えているけれど、そういう人たちと相田さんの言葉は質が違うように感じています。

相田みつを美術館、一度行ってみたいですね。。
田中 哲治
「相田みつを美術館」に行ってきました。
「相田みつを美術館」に行ってきました。
「相田みつを」についてはあまり知識がなかったのですが、長女が海外勤務となり、長女の部屋を私の書斎にするため整理をしましたところ、「しあわせは じぶんの こころがきめる」と大きな色紙が壁に掛けてありました。琳さんのブログのタイトルや野田総理の言葉から、美術館を訪ねることにしました。
美術館に行き「相田みつを」知ることができ感動しました。今後相田みつをのファンになれそうそうです。ありがとうございました。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
返信を書いてくださっていたのに今日気がつきました。
たくさん書いてくださってありがとうございます。

やはりお向かいの田中さんのご家族の方だったのですね。
田舎暮らしをしていたときには、田中さんご夫婦にとてもお世話になりました。知り合いも誰もいない場所での独り暮らしだったので、ご近所の方の優しさや心遣いがとてもうれしく、そういう温かさがある場所だからだったこそ、7年も独りで暮らせたのだと思います。
お兄様には私が感謝していたと伝えていただけるとうれしいです。

東京にお住まいなのですね。
今後も夏の電力不足など、心配なことが多いとは思いますが、これ以上に大きな災害が起こらないことを祈っております。

あの村は土地も安定しているし、きれいな湧き水はあるし、避難場所としては良いところだと思います。
数年前水俣で土砂災害があったときでも、下の集落に行く道路が危険なため村から数日出られませんでしたが、村の中にいる限りはなんの不安もありませんでした。
その次の大雨の時、市役所から避難勧告の放送が流れてきましたが、下の集落の避難所に行くほうが危ないと言って、みんな家に留まっていましたもの。
川内原発に何事かあっても、あの距離だったら大丈夫なのではないでしょうか。

わたしは父が転勤族で、故郷と呼べる場所がないので、田中さんのように素敵な故郷をお持ちの方がうらやましいです。
田中 哲治
メタセコイアは私があの地に1960年(昭和35年)に植...
メタセコイアは私があの地に1960年(昭和35年)に植樹しました。メタセコイアを卒業記念植樹に選んだ理由は高校の教諭からメタセコイアは希少性があるということは聞かされていたのですがその理由は忘れていました。今回投稿に伴いウィキペディア (Wikipedia)で調べて再認識しました。なお造園業を営んでいるのは私の兄です。
さて私の誕生日に起きた東日本大震災から4週間が過ぎ、被害の大きさと広範囲に渡っていることには驚きます。私が現在住む東京近郊の住宅(東京都心から30㎞)から震源地までは直線距離で約400㎞(福島原発まで約200㎞)ですが、現在住む住宅の近隣では棟瓦の落下の修理工事に取り掛かるまでの応急処置としてのブルーシートをかけた家が数多く見られますからその地震の大きさと影響の広範囲さを物語っています。
私は、将来起きるといわれる関東大震災並みの地震(1923年・大正12年)の再来に備えて一時避難住宅用として、現在住む住宅から100㎞(今回の東日本大震災震源地から300㎞・福島原発まで約100㎞)離れた栃木県に週末林間住宅(一般に別荘とは敷地面積が1,000㎡(300坪)以上を指すそうですから私の住宅は別荘とは言わず週末林間住宅と称するそうである)を5年前に建て週末百姓生活を楽しんで来ました。しかし今回の東日本大震災で今後どうなることか心配です。週末林間住宅にはガソリンの供給問題で震災2週間後にやっと現地へ行くことができました。週末林間住宅は幸いにも上下水道・温泉施設は無事で建物は居住に耐えられないほどの被害はありませんでしたが、玄関のタイル破損と、室内の壁紙の下地である石膏ボードに一部破損があり、壁紙は1・2階とも全て張り替えを必要とする状態で復旧工事費は相当な金額になるようです。地震保険は加入していますが聞くところによれば支払われるか否か微妙です。現地一帯は震災後2日間の停電・断水、道路の一部隆起・陥没等の被害があり、週末林間住宅団地に永住されていた一部の方は被害住宅の修復が完了するまで、元住んでいた東京へ逆避難されるという話も聞きました。
このような状況を考えますと、大震災や大経済変動(世界恐慌・昭和恐慌1929年や太平洋戦1945年)に備えて一時避難住宅として私の故郷でありかつ貴方が2007年12月まで住まわれた村も捨てがたいと思いました。実際に太平洋戦争が終了した1945年・昭和20年から私の故郷には満州国・台湾・朝鮮国等からの引揚者や、東京・大阪・名古屋等の都市で仕事を失った方々が親類縁者を頼って多数避難して来られて居住していましたが、その後日本経済が落ち着くに従い都市へ転出して行き、結果として太平洋戦争前から田畑・山林を所有していた現在居住している人達のみが残りました。しかし一時避難住宅とする候補地としては九州電力川内原子力発電所(同原発は50㎞範囲内にある→東日本大震災では原発から30㎞以内は避難退去命令が出ています)が近いのが気にかかります。
田中様、はじめまして。
田中様、はじめまして。
いつも見てくださってありがとうございます。
同じ誕生日の方に出会うとうれしくなります。お互い忘れられない誕生日になりましたね。

あの樹はメタセコイアというんですね。長年の疑問が(ってずっと思い続けていたわけではないけれど)解決しました。ありがとうございました。

ところで「私が植樹」とありますが、あの樹ではなく同種の樹ということでしょうか? あの樹は向かいの田中さんの敷地で撮ったものなので、もしかしたら本当に植えた方なのかしら・・と思ったりして・・
田中 哲治
私も3月11日で69歳になりました。
私も3月11日で69歳になりました。
ブログいつも楽しみにして、拝読しています。
ところで廃盤とされた「週末百姓の山里日記・バックナンバー
2006年2月2日の・この木何の樹」はメタセコイアです、私が高校卒業記念に植樹したものです。
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