第二次世界大戦後、ドイツは東西に分断されました。
そう、自由主義の西ドイツと社会主義の東ドイツです。
その東ドイツの首都、ベルリン。
このベルリンも東西に分かれていたのです。
西ベルリンと東ベルリンですね。
思想の違いから、東ドイツ、東ベルリンは、西ベルリンを壁で囲ってしまいます。
これがベルリンの壁。
自由の無い東ベルリンや東ドイツの人々は西側諸国、西ベルリンに憧れを抱きます。
自由主義の国への旅行は許可されていなかったんです。
そんな中、社会主義のハンガリーの政府は、
国民が自由に往来できるようにしたいと考えました。
そこで、思い切ってビザの発給を始めたのです。
社会主義国家間であれば、許可制で旅行できたので、
ハンガリーや東ドイツの人々は、一気に西ドイツへ流れ込みます。
これが汎ヨーロッパピクニック。
すると、ベルリンの壁の意味が失われます。
ここに、ラッキーなことに東ドイツ政府は誤った報道をしてしまいます。
壁を超えての往来が可能だと...。
それが11月9日。
翌10日にはベルリンの壁が崩壊します。
そして東ドイツが崩壊。
東西ドイツが統一されて、ドイツになって現在に至ります。
この出来事には数多くの幸運があります。
・ソビエトの大統領が改革を進めたゴルバチョフ大統領であったこと。
・ハンガリーには40万人のソビエト軍が駐留していたが軍事行動は起きなかった。
・東ドイツの誤った報道。
そして歴史は大転換を迎えます。
ソビエトの崩壊です。
歴史は不思議なもので、でも、やはりそこには熱き情熱があるんですね。
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