風雲「城撮り物語」

長年愛用のデジカメを武器に「城址・城跡」を切り撮りその戦果をブログで紹介。

「柏井吉田城」城撮り戦果

2007年02月19日 | 城撮り物語
○柏井吉田城址(小坂孫四郎)春日井市下条町

織田敏定の家臣小坂孫四郎の築城と伝わる。
城主孫四郎には男子が無く、前野家から前野九郎を養子として入り小坂氏を継いだ
この城が何時頃廃城になったかは不明である。

「黒野城」城撮り戦果

2007年02月16日 | 城撮り物語
○黒野城祉(加藤貞泰)岐阜市黒田
文禄3年加藤貞泰によって築かれた。
「加藤貞泰」の父「光泰」は秀吉に使え、甲斐府中24万石を領していたが、文禄の役で朝鮮に出陣中戦死した。
貞泰が幼少であったため甲斐から美濃黒野4万石へと減封となった。その後慶長5年関が原では東軍に属し慶長15年伯皆米子6万石へ転封となりその後黒野城は廃城となった。

「鷺山城」城撮り戦果

2007年02月16日 | 城撮り物語
○鷺山城址(佐竹秀義)岐阜市正木
佐竹秀義が築城し、土岐氏一族が代々城主となっていたが土岐氏最後の美濃守護職であった「土岐頼芸」は「斉藤規秀」(道三)により越前に追放された。
鷺山城は長良川を挟んで南岸の(岐阜城)と対照的な約2キロの位置にある。
鷺山は標高68メートルと高くはないが、平地の中にあり周囲を見渡す要所にある。
斉藤規秀は子「義竜」に岐阜城を譲り自ら鷺山城に隠居し、名を「道三」と号した。
しかし、義竜は道三により廃摘され弟が選ばれると誤信し、その弟を殺害し、さらに鷺山城を攻め弘治2年(1556)長良川河畔で道三を討ち取り、その後廃城となった。