○大草城址(福岡新助)長久手町熊張溝之杁
大草地区はかって福岡氏の領地であったが、1563年には「丹羽氏」(日進岩崎城主)の所領となり、さらに1579年には森長可(森蘭丸の兄)の領地となった。
しかし長可は長久手の戦いで戦死しその後廃城となったと考えられる。
小高い尾根に作られた平山城で土塁・空堀が今でも残っている。
(大草の信号近くの小高い岡になっており、頂上の平地に熊野神社が祭られている)
大草地区はかって福岡氏の領地であったが、1563年には「丹羽氏」(日進岩崎城主)の所領となり、さらに1579年には森長可(森蘭丸の兄)の領地となった。
しかし長可は長久手の戦いで戦死しその後廃城となったと考えられる。
小高い尾根に作られた平山城で土塁・空堀が今でも残っている。
(大草の信号近くの小高い岡になっており、頂上の平地に熊野神社が祭られている)