風雲「城撮り物語」

長年愛用のデジカメを武器に「城址・城跡」を切り撮りその戦果をブログで紹介。

「一色城」城撮り戦果

2006年06月26日 | 城撮り物語
○一色城祉   名古屋市名東区一社3-11      2006.6.26

柴田源六源勝重が居城したと伝わるが詳細は不明である、周囲で一番高いところに「神蔵寺」(墓碑がある)と「貴船神社」があり、その東側の区画整理時に掘り出された遺品を先代住職が寺に埋葬し位牌も作ったとの事、現在「神蔵寺」東側下のマンションの位置に城祉があったとの話を住職から伺った。

前ページ「下社城」の勝重の祖夫とも曾祖父とも伝えられる。

「下社城」城撮り戦果

2006年06月26日 | 城撮り物語
○下社城址(柴田勝家生誕の地) 名古屋市名東区陸前町    2006.6.26

下社城址碑はこの辺りで一段高い位置にある「明得寺」山門石段横にあり、城主は「柴田勝重」である。
織田信長の重臣「柴田勝家」幼名権六がこの地で生誕した。
明得寺を取り巻く周囲はほとんどが「柴田」姓で当時から何等かの関係があると思われる。

「小田井城址」城撮り戦果

2006年06月17日 | 城撮り物語
○小田井城址   清洲市小田井2丁目18-6    2006.6.17

名鉄電車「下小田井」駅(駅に案内板あり)近く公園内にある、城主は「左近太郎家忠」とある、左近太郎家忠は永享年間には「長久手城主」であった。




【小田井人足】今の庄内川も名古屋市側の堤が少し高いとのことであるが、当時水位が高く決壊の心配が出た時、小田井の農民に外側(小田井側)の堤を切るよう命じた、農民は自分の田畑が水に浸かるため、命令に従うふりをして時間稼ぎをするこのように、見られている時は仕事をし、影でサボる事を「小田井人足」と言う。

「平田城址」城撮り戦果

2006年06月17日 | 城撮り物語
○平田城址    名古屋市西区城町(城の切)   2006.6.17

信長時代の城主は平田和泉の守(平田源左上衛門)と言い、城町交差点を名古屋方面からは、左折し50メートルを右折少し先に案内表示あり、東側に岩倉街道が南北あり新川に面した名古屋城を守る要所であったと想像できる。
以前は名鉄電車に「平田橋」と言う駅があった。

「岡城」城撮り戦果

2006年06月12日 | 城撮り物語
○岡城址     岡崎市岡町字西側         2006.6.11

「岡城」の築城主は「池野大学」で平城ではあるが、乙川と山綱川の合流地点にあり、現在周囲は田畑が広がるが、当時は沼地だったと推測できる、一段高い台地は敵から攻めにくい城であったと思われる。
城址は細い坂道の奥、竹やぶの中に小さい碑がある。