あきよしブログ

南埼玉郡旧百間(もんま)村 地区と家の古今

火代(ひじろ)

2013-03-30 | 我が家・我が地

竈(かまど)のこと。建物が崩れかけて、ついに亡くなりました。30年以上前に左側が崩れて、煙突もありません。50年位前には使っていたと思います。>餅つきや味噌、醤油造りをここでやっていたのを覚えています。母屋が100年ですから同じくらいの年代と考えられます。鍋などは資料館に、竈の神様は母屋内の台所に!



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わが家の年中行事

2013-01-08 | 我が家・我が地

わが家の関連年間行事(参考 百間村内の地区行事含む)戦後直後 
      
12月  29日 31日を避けて松飾と餅つき   
   29・30日 近年は姫宮様で一揃いと竃神おふだと御幣10本を求める。
    輪飾りも御幣と同じところに祀るために買ってくる。輪飾りは門にも飾っている。
    むかしは松飾りと御幣を造り、門だけでなく、各神様に飾ったらしい。
   大神宮(天照御御神・姫宮様) お三方様(大山 榛名山 三峰山) 仏様   
   荒神様(竃神様) 恵比寿大黒様 井戸神様 水天宮 (稲荷様はない)   
      各神様にお飾りをする(昔は蔵や便所にも飾った。)
 31日大晦日  夜白米飯を神様に挙げる。各神様にはお供え餅もあげる。
   頂いた護符?で家人の厄はらいをして三つ門外に刺して厄を払う。
   16日まですべては主たる男が行う。 年越しそばは食べない。

1月 元旦 朝そば 夜白米飯を神様に挙げる   氏神の姫宮様に参詣する。 (注
  2日 朝そば 夜白米飯を神様に挙げる   雑煮は4日以降まで食べない。
  3日 朝そば 夜白米飯を神様に挙げる   
  7日 七草がゆを神様にあげ、お飾りを下げる。(15日?)変わりに作った花をあげる。
     鏡開きははっきりしない。11日と聞くが?
 14日 朝 まゆだま団子を神棚にあげる。   
 15日 (小正月)朝 団子の入った小豆がゆを神様にあげる   
 16日 朝 小豆飯を神様にあげる。(近年赤飯にしている)   

 20日  恵比寿講 恵比寿様を神棚から降ろして特別に飾る。   
     生きた鯉をあげる事もある。財布や貯金箱もあげた。   
      
  28日 不動様(部落行事) 早朝6時頃 旗揚げ 昼ごろ集会 (初不動)   
      
2月 3日 節分の豆まき(昔は榊に鰯を軒下につるし、)   

2~4月  大山・榛名講 農家の豊作祈願のため、   
  神奈川県の大山と長野の榛名山に各戸が2・3人で交代で詣でる。   
      
3月 3日 ひな祭り 雛人形は飾らない。(飾って不幸があった故事から?)
 21日(20日) 彼岸の中日(春分の日) 墓参り。
      
4月 8月 花祭り(釈迦誕生日) お寺の釈迦堂ではやっていると思うが、特別にはない。   
      
4月21日 みえいく(西光院)弘法大師(空海)のゆかり日
      
5月 5日 節句  こいのぼりはあげない。(揚げて不幸があった故事から?)   
      
7月 13日 近日日曜日 ししさま   
7月 中下旬ごろ 石尊講 大山参りと榛名参りの集い 五穀豊穣の祈願講   
      
8月 7日 たなばた 色紙で飾った孟宗竹を2本とわら馬を2匹竹で組んで飾った。   
8月13日 盆はお墓をしの竹をたて縄をはり色紙で飾る。   
  家の仏様ももうそう竹を立て墓と同じに飾る。   
  皿に芋の葉を置き水をのせ、ミソハギ(盆花)を束ねたものをおく。   
  ナスの角切りを置き、祈るときにミソハギで水をナスにかける。   
  堤燈で仏様を迎えて、夕方、ご飯やかぼちゃ等をあげる。(14膳4*3+2)   
  お寺にはお米(  合)持っていく   
 14日 朝おはぎをあげ、昼はうどんをあげる。夕方は略。   
 15日 朝おはぎをあげ、昼はうどんをあげる。夕方は略す。   
 16日 朝ご飯と団子をあげ、堤燈を持って墓に行き、仏様を送る。   
14ー16日 施餓鬼 寺で読経を受けて塔婆をもらい墓に立てる。   
      
9月 1日 きと経(二百十日・二十四節気)稲刈り前の豊作祈願(近日日・閏年8月31日)   
9月   十五夜(玄関上りはなに、あんどんを出して火を点し、すすきを飾り、団子等
    を備える。)   
 23日 彼岸の中日(秋分の日) 墓参り。
   
      
11月 10日  十日夜(とうかんや)旧10月 子供が束ねたわらで地面をたたきながら   
  とうかんやと唱え各家を回り金銭等を貰い歩く。モグラやねずみ避け   

11月 20日  えびす講(恵比寿様を神棚から下ろして飾り魚を中心にもてなす。)

12月   煤払い(大掃除) 13日だったようである。

 注)わが家の地区は西原地区にあり、この地区の氏神様である姫宮神社に詣でる。西・東地区の五社神社の氏神様ではない。こんな狭い地区に2つの氏神様があるのが不思議だが地形状の関係やかっての勢力関係があるものと思われる。わが家は五社神社を詣でることはない。ただ、昔の先代が寄付をした名前がみえるとから、その昔のことは分からない。
 以上が戦後生まれのわたしの知るところです。このため昔からの形ややり方が変わってしまったり、簡略化していると思われます。 戦後に幼女に来た、母に指摘され修正もしています。




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