海辺のカフェMARZO

都会の片隅で気ままに暮らすがんサバイバーの記録

とくに話すこともない幸せ

2024-07-14 13:03:51 | 日記
海の日までの三連休。
梅雨空はいよいよ仕上げの大雨をもたらす模様。
雨の合間に食料買い出しに行かなくちゃ。

がんも話題にできる仮想の海辺のカフェMARZO
店主です。

今日は日記です。幸せについて。


現在がんの術後補助療法で抗がん剤治療中。
週1回の通院・血液検査を受けていて、今は抗がん剤点滴後約2週間後の骨髄抑制が起きている時期。病原菌などと闘う白血球(特に好中球)が減っているため、感染症と食中毒に要注意。人混みと生ものを避ける生活です。

休職中で平日に出歩くことができるので、連休は大人しく在宅。
離れた家族、実家に電話をしました。

まず、ぬるっときょうだいが応答。今朝は一人予定もなく家にいる。両親はレンタル菜園の一斉草刈りに出ている。きょうだいの子は出勤日。なんでもない会話を小一時間。

やがて父が自転車で帰宅。シャワーを浴びているという。しばらくして母帰宅。騒がしいからすぐわかる。お茶を片手に母が電話口へ。なんでもない会話を30分ほど。そして「長電話させたね」と話が終盤に向かい「今日もありがとう。水分補給してな。ほな」と終話。


すみません、なんらオチがありません。
でも思ったんです。

1年の半分以上、もしかしたら8割くらいを占めるこんな感じ
のんびりした休日などが
幸せってものかも知れません。


一言で言うと「ふつう」であること。ふつうのこと。

がん告知の時に人が泣くのは、

もちろん、将来に待望している大きな夢が手に入らないかも知れない、と言う場合もありますが、多分全員に共通するのは、これからも無限にあるかのように思っていた「ふつう」の毎日が失われるからではないでしょうか。

一人暮らしでがん告知を受けた時、できれば離れている実家の家族に知らせたくないと思いました。彼ら全員の「ふつう」を奪ってしまうからです。


不器用な私の場合、一人暮らしで
ちょうど良かった

がん告知を受けてから半年。

幸い、一人で公共交通機関で通える病院で診断・手術・治療と進めて来れました。セカンドオピニオンも片道プラス30分、実家からは家族がプラス新幹線で駆けつけてくれました。手術含め、要所要所で家族が来てくれました。抗がん剤治療が始まってからは、骨髄抑制から回復した最終週に何度か帰省して家族と過ごしました。

正直、抗がん剤点滴から2週間は調子が良い日ばかりではないので、そこは一人が気楽で良かった。「本当にがん患者?」と言われるくらいが私にはありがたかった。あと1回残っていますが、私の場合は一人暮らしで良かったなと。どんな顔していいか、最初はほんとに分からなかった。逆に、いろいろ想像しすぎて一人で無駄に泣いたりもしていました。頭の整理をするのに、私は一人の時間がたくさん必要でした。


同じ病気、またはもっと辛い病状でご家族と一緒に暮らす方、小さなお子さんや介護の必要なご家族をお持ちの患者さんたちには頭が上がりません。尊敬します。


がん患者といっても多種多様。
それぞれのスタイルで泣き笑いしながら歩んで行く。

そう遠くない未来には、

がん治療をしていることさえもより乗り越えやすくなって「とくに話すこともない」こと、そういえばがん治療を受けているのよ、くらいの出来事になるといいなと密かな野望を持っています。


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