「何これ? 」:差別と認識
「自他無差別と知ることは、道理である。
それを体得するには、慈悲心を専ら
修めることが大切である。」 (反故集)
自身も他者も、同じ人間であるとの認識を
持てれば、差別するべき対象にはならないとの
理は理解できるはずであり、これがためには、
「慈悲心」を持つ事が大切であると説いています。
学校でも、社会においても、「いじめ」や
「ハラスメント」が問題視されています。
つねに相手の立場に立って、物事を考えるトレーニングを
積んでいれば、この様な「いじめ」や「ハラスメント」は
起こりうるはずもありません。
自分の発した言葉や行為等が、対象の相手方から見たら、
「どのように映るのだろうか」との想像力位は
つねに持つべきであると考えられます。
当たり前のことですが、相手の立場に立って、
物事を考え、判断する事が必要なのでしょう。
立場に「強」・「弱」があると仮定したとしても
「強」は何時までも「強」とは限らず、
また、「弱」も何時までも「弱」の訳ではないと
言う理を認識することが重要なのでしょう。
つねに「自分は強者である」との
根拠のない幻想は捨てるべきでしょう。
そう、我は「強」でも「弱」でもない
普通の人のつもりですが…………。
(そもそも、強・弱と言うものなどは無いと……。)
*冬晴るる 庭で昼寝の 仔猫かな
2021.01.27.moai291