【今日の俳句】:秋(秋)
本年も「夜会」終焉外は秋
【今日の思込】:詩人の力
1972年、「全国フォーク音楽祭」で
『あたし時々おもうの』を歌って
優秀賞を受賞した中島みゆき氏。
その際、業界からプロデビューの話を持ち掛けられていた。
しかし、中島みゆき氏は、それを辞退し地元(北海道)に
帰ってしまった。
その理由には、詩人・谷川俊太郎氏の詩が
大きく影響を与えていたらしい。
この音楽祭では、与えられた課題詩に、
自作の曲をつけて歌うことが求められていた。
その課題詩が、谷川俊太郎氏の
『私が歌う理由(わけ)』という「詩」だった。
*《影響を与えた谷川俊太郎氏の「詩」》
私が歌う理由(わけ)
(『空に小鳥がいなくなった日』より)
『私が歌う理由』
私が歌うわけは
いっぴきの仔猫
ずぶぬれで死んでゆく
いっぴきの仔猫
私が歌うわけは
いっぽんのけやき
根をたたれ枯れてゆく
いっぽんのけやき
私が歌うわけは
ひとりの子ども
目をみはり立ちすくむ
ひとりの子ども
私が歌うわけは
ひとりのおとこ
目をそむけうずくまる
ひとりのおとこ
私が歌うわけは
一滴の涙
くやしさといらだちの
一滴の涙
*《優秀賞を受賞した中島みゆき氏の楽曲》
『あたし時々おもうの』
作詞、作曲、歌:中島みゆき
あたし時々おもうの
命は いったいどれだけ
どれだけのことを できるものかしら
いつのまにか いつのまにか 命の終わり
あたしたちが 若くなくなったとき
あたしたちは まだ
いつか いつかと
声をかけあうことが あるかしら
命は 命は
なんにもしないうちに 終わってしまうから
「若い時」なんて あたしたちにも もう、ないの
いつのまにか いつのまにか 命の終わり
あたしたちが 若くなくなったとき
あたしたちは まだ
いつか いつかと
声をかけあうことがあるかしら
命は 命は
なんにもしないうちに 終わってしまうから
「若い時」なんて あたしたちにも もう、ないの
若くなくなったあたしたちは
いったい どんな顔をして
行きかえばいいの
いったい どんな顔をして
いったい どんな顔をして
若くなくなったあたしたちは
いったい どんな顔をして
行きかえばいいの
いったい どんな顔をして
あたし、時々おもうの
*《個人的感想》
強いていうのなら中島みゆき氏の詩は
自分(人)のことしか詩っていない……
一方で、谷川俊太郎氏の詩は
全ての対象を「命」として捉え、
小さな命についても詩っている。
何方も素晴らしいのですが……
奥が深いのはヤッパリ……
中島みゆき氏が、顔を洗って出直す気に
なったのも理解できる気もします。
「天才」は「天才」を理解するから、
出直す気にもなったのでしょう。
私なら出直すなんてことは全く考えず、
ホイ・ホイとついて行ってしまうことでしょう……
そう、私は天才ではありません。
(言わずもがな…カナ……)
PS.
ちなみに私は、
『汚れつちまつた悲しみに』(作者:中原中也)の方が
好きなのですが……
ひとは、その時のおかれた心境によって
心に響くものも違うという事なのでは
ないのでしょうか?
【今日の川柳】:天・凡
天才は天才を知る「凡人」は?
凡人のカラ元気にも意味のあり
出直しはその見極めの難しさ
【今日の道話】:生
鳥は飛ばねばならぬ、
人は生きねばならぬ。
(坂村真民)
●思いは人それぞれです。内容は当然の事ながら「個人的見解」と言う事で…