爺々ネタ?

「これ何? 弱者」(oji3のブログ304:慈235)

 「何これ? 」:ポリティカル・コレクトネス(PC)

 「強者を弱くすることによって、弱者を強くすることはできない。」

 「言って欲しい事があれば男に頼みなさい。
  やって欲しい事があれば、女に頼みなさい。」 (M・サッチャー)

  【ポリティカル・コレクトネス】
 「ポリティカル・コレクトネス(PC)」とは、
 「性別や人種、民族、宗教などに基づく差別や偏見を防ぐ目的で、
 政治的・社会的に公正・中立な言葉や表現を使用する」という概念。

 マイノリティや社会的弱者の立場に立ち、人種や宗教、性別などに
対して偏見をなくし、寛容であろうとする考え方です。

「社会的公正や正義」が、常に普遍的な理論として成り立っているのに対し、
ポリティカル・コレクトネスは、国や時代、あるいは言論状況等によって
可変的な選択が許容されていると考えられています。
(固定化された「概念」ではないと言うことです。)

 ポリティカル・コレクトネスが引き起こす問題点
1,この考え方が行き過ぎると、「言論弾圧」や「言葉狩り」
 といった事態に陥りかねない。

2,個人の「意図しない発言」すら、批判を浴びる事があり、
 社会全体に窮屈さが構築されてしまう可能性もある。

3,少しでもポリティカル・コレクトネスに対して反論した人を
 攻撃する。何気ない発言に対して、「差別的だ」と過剰な批判を
 浴びせる人達が出てくる。

4,「不適切」というクレームを恐れて、メディアや企業広告等が
  必要以上に萎縮する傾向が出てくる。

 ポリティカル・コレクトネスは、差別自体を解消するものではなく、
その乱用によっては、逆に差別的な言説・思考に蓋をする可能性も
秘めており、構造的な理解を停滞させる危険性さえあります。

 仏教から派生した言葉の「平等」の概念は、
「違いを認識する事すらも捨て去る」と言う事であり、
その境地は「無」です。
 ここで言う「平等」とは、「一切の差別を捨てる」ことに
なります。

 ポリティカル・コレクトネスという概念は、この仏教でいう
「平等」との考え方の前には、無意味とさえ思われます。

 認識の如何に係わらず、心の内々に無意識に差別の心が
あると思われる場合には、「平等・平等」と声高に訴える事に
なるのでしょうか…………

 具体的な例としては、「看護婦」と呼んでいた名称が
「看護師」と変更されました。

 これは看護婦の「婦」が、女性を連想(特定)させる
ものであり、不適切とされたからです。

 「”婦”が女性を連想させるからオカシイ」と言うのは、
そう思う人の心の奥底に少なからずも女性蔑視と似たような
心情があるからではないかと言う、私の考えです。

  * 久々の 外は雪なり 鴉鳴く
               2021.02.18.moai291

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