神様のお引っ越し
この「神器」八咫鏡(やたのかがみ)~お引越しです。
実話(?)をもとにした神話
現代人がいくら解読しようが正解はない
在る物を信じる事
・アマテラス
・スサノオ
・オオクニヌシ
三種の神器を全て所有するものを「天皇」とする
伊勢神宮の「八咫鏡」が本物で宮中版とは別(レプリカ)
出雲大社の60年遷宮が先月ありました
今年はお伊勢さんとダブル~~
まして10月の出雲が「神在月」
遷宮したてのオオクニヌシさま! 強いです!
出雲大社の「向き」の違い マガタマは天皇のそば
大丈夫! 天皇さまがおいでです
(全国のアラハバキさま、物部さま、シュメールさまお静かに願います!!)
そして国民が秋篠宮さまにパワーを! って思います
伊勢神宮、
いよいよ式年遷宮「遷御の儀」 皇室とゆかり深く
「皇室のご祖先の神」ともいわれる天照大神(あまてらすおおみかみ)が
まつられる伊勢神宮(三重県伊勢市)で20年に1度、
新社殿にご神体を移す式年遷宮のクライマックス「遷御(せんぎょ)の儀」が
2日から始まる。
皇室とのゆかりも深い行事で、当日は、秋篠宮さまが皇族代表として参列され、
天皇陛下は皇居で神宮に向かって拝礼する「遙拝(ようはい)の儀」に臨まれる。
社殿とともに新調される御装束や神宝などには、
皇后さまが皇居でお育てになった繭の絹糸も使われている。
今回の第62回式年遷宮に関連する諸行事は8年前から始まっているが、
約30に及ぶ儀式の中でも、ご神体を古い神殿から移す遷御の儀は最重要といえる。
20年前も筆頭宮家の当主、秋篠宮さまが参列され、秋篠宮家がなかった40年前には当時の筆頭宮家の当主、常陸宮さまが参列されている。
今回は内宮(ないくう)で2日、外宮(げくう)で5日、それぞれ午後8時から行われるが、皇室の祭祀(さいし)を支える掌典職(しょうてんしょく)などによると、同じ時間帯に皇居では、神嘉殿(しんかでん)の前庭で「遙拝の儀」が行われ、正装の陛下が、閉じられた屏風(びょうぶ)の中で、お一人で儀式に臨まれるという。陛下がお出ましになれないときは、皇太子さまが代わって臨まれることになるという。
皇后さまは皇居・御所で、
皇太子ご夫妻もお住まいの東宮御所で拝礼されることになりそうだ。
神宮では秋篠宮さまのご参列だけではなく、陛下の勅使として掌典職のトップ、
掌典長が派遣されるほか、掌典職や、雅楽を演奏する宮内庁楽部(がくぶ)の
計約15人も赴く。楽部は、20年に1度の「秘曲」も奏でるという。
20年前の式年遷宮の翌年には、両陛下が神宮を参拝されており、
今回の後も、新社殿をご覧になる機会があるか注目されている。
伊勢神宮の式年遷宮 夜の静寂の中、ご神体を新正殿へ 遷宮に関連する祭儀は、
社殿の用材を切り出すため山の神に安全祈願する「山口祭」(平成17年)に始まり、
8年がかりの大事業となっている。
神職による祭儀だけでなく、地元の人たちも参加するのが遷宮の特徴でもある。
18年に行われた御木曳(おきひき)行事では、ヒノキの大木を五十鈴川に浮かべて
大勢で運び、今年7~9月の御白石持(おしらいしもち)行事では、
地元の人たちが真新しい正殿(しょうでん)の前に玉石を丁寧に敷き並べた。
10月2日の内宮の遷御に際しては、一般参拝は午後1時までで、
それ以降は宇治橋の手前までしか入れない。午後6時、
太鼓の音を合図に神職らが正殿へ向かい、大宮司らによって正殿の扉が開かれ、
遷御の準備が行われる。
「カケコー、カケコー、カケコー」。午後8時、
神職による「鶏鳴(けいめい)三声」が響くと、いよいよ新正殿への遷御が始まる。
神様は夜の静寂の中を渡るので、境内の明かりはすべて消され、
わずかに行列を先導する松明(たいまつ)や提灯(ちょうちん)が照らすだけ。
ご神体は、絹垣(きんがい)と呼ばれる絹の囲いに覆われて出御。
太刀や弓などを掲げた神職らを先頭に、新正殿までの約300メートルを進む。
その際、招待された参拝者は絹垣が前を通る際に小さく柏手(かしわで)を打つ。
「暗闇で何も見えなくても、柏手の響きによってご神体が近づいてくるのが分かりました」。
前回の遷宮に参列した地元の女性がそう語るほど、
神秘的な雰囲気に包まれる。ご神体とともに装束や神宝も遷して終了する。
式年遷宮
心こもる旧社殿の古材リサイクル
「伊勢神宮の香りがする」
神戸・奥尻・東北で被災地復興の力に
20年に1度、社殿を一新する式年遷宮「遷御(せんぎょ)の儀」が
10月に行われる伊勢神宮(三重県伊勢市)。
これまでの遷宮で、解体された旧社殿の柱などの行方はあまり知られていないが、
全国の神社に譲渡され、建物の修復などに使われている。
前回(平成5年10月)の遷宮では、その3カ月前に発生した北海道南西沖地震で
焼失した奥尻島の神社に旧社殿ごと移築。
7年の阪神大震災後も内宮正殿(ないくうしょうでん)を支えた柱が被災した
神戸市の生田(いくた)神社へ鳥居として移されるなど、
「お伊勢さん」の古材は大切に受け継がれている。
■神戸復興への「ご神縁」
「由緒ある伊勢神宮の御用材をいただき、神戸復興の大きな力になった」。
生田神社の加藤隆久宮司(79)が振り返る。
同神社は7年1月17日の阪神大震災で、拝殿の屋根が建物を押しつぶすように倒壊。大正6年に建てられた石の鳥居も根元から倒れた。
この鳥居は、昭和20年6月5日の神戸大空襲で、本殿や拝殿などが焼失しても
無事だっただけに、震災での倒壊は衝撃だった。
加藤さんは「地元の人たちから『石の大鳥居』と親しまれていたので、
とてもショックでした」と話す。
平成5年の式年遷宮から2年たっていたが、
神社関係者の集まりなどで被害状況を説明し、
報道などでも大きく取り上げられ、伊勢神宮側から古材の提供がもちかけられた。
生田神社は、伊勢神宮が祭る天照大神(あまてらすおおみかみ)の
妹・稚日女尊(わかひるめのみこと)が祭神で関係も深く、
「ご神縁があって」古材を譲り受けることになった。
この古材はもともと、昭和4年の式年遷宮で内宮正殿の棟持柱(むなもちばしら)として使われたが、
同28年の遷宮後に伊勢神宮の宇治橋の鳥居に転用。さらに同48年の遷宮で
伊勢への入り口にあたる「鈴鹿の関」(三重県亀山市)の鳥居として使われていた。
さっそく鈴鹿の関から移され、強化処置が施された後、
震災わずか半年後の平成7年7月、生田神社の正面に建てられた。
「復興のシンボルとして地域の人たちも喜んでくれました」と加藤さん。
今も「お伊勢さんの柱」として参拝者から崇(あが)められている。
■奥尻へ「丸ごと移築」、東北には間伐材
一方、北海道・奥尻島の青苗言代主(あおなえことしろぬし)神社は、
平成5年7月12日の北海道南西沖地震による津波と火災で社殿が失われた。
この年に行われた式年遷宮後、伊勢神宮内宮の別宮、
月讀宮(つきよみのみや)の社殿がそのまま譲渡され、7年10月に移築が完了。
盛大に遷座祭が行われた。
今回の式年遷宮後の古材の譲渡先はまだ決まっていないが、
東日本大震災の被災地では、遷宮とは別に、
すでに伊勢神宮が復興に大きな役割を果たしている。
神社本庁・震災対策室によると、震災により全半壊や津波で流された東北などの
神社は500社以上。伊勢神宮内にある広大な森の間伐材を使って社殿の再建が
進められ、宮城県などで約10社が完成したという。
「伊勢神宮の香りがする」
よみがえった社殿の前で被災者が感激した様子で話すなど、
伊勢神宮からの善意は、復興への精神的な支えとなっている。
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伊勢神宮へは1度しかお参りしていません。
前の遷宮のすぐあとでした!
まだ足は丈夫だったし若かったしコロコロしていなかったし~
それでも長い時間歩いた記憶があります。
今回は無理・・・
京都でも遷宮ツアーのポスターが多かったです。
お元気の方は是非~~
ごりやくごりやく
建築史で習ったのは「伝承」だったけど
個人的には「常若」=強い! ですかね
スサノオ&オオクニヌシに負けない!
秋篠宮さま・清子さま
とどこおりなく つつがなく それだけです