ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密(吹替)
ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス
・記録のみ^^
面白かったですよ!
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あなた知ってる?ハマのメリーさん
上映館:伊勢佐木町の横浜ニューテアトル・テアトル新宿の2館。
新宿も今日はモーニングショーの1回限りで 立ち見が後部だけでなく横にも。
なかには座り込んで観る人までいた。
音楽:コモエスタ八重樫氏は知っていたけど
主題歌「伊勢崎町ブルース」が渚ようこ だとは知らなかった。
渚さんの「伊勢崎町ブルース」が流れ 冒頭から字幕が出る。
『ハマのメリーという老女がいた。米兵相手の娼婦だったらしい。
だれも真相は知らなかった。一九九五年、突然姿を消した』
そして三氏の急逝が・・・三氏ともに2004年に他界されていた。
シャンソン歌手・永登元次郎氏/横浜ローザ脚本家・杉山義法氏/ルポライター・広岡敬一氏
見た事も無い“メリーさん”を知ったのがいつだったのか記憶にない。
今日初めてメリーさんの動く映像を観た!声も聞いた!
メリーさんは本当に生きていた!
元次郎さんのリサイタルで 花束を手渡す映像。動くメリーさんがいた!
白塗りに白い衣装のメリーさんだ・・・お客がメリーさんに気付き 拍手がわきおこる。
横浜に居ながら住まいを持てなかったメリーさん
ビルの中 パイプ椅子で寝ていたメリーさん
ほどこしは受けなかったメリーさん
歌が好きだったメリーさん
気高く生きたメリーさん
当時のメリーさんを知る人のインタビューと写真と映像ですすんでいく。
戦後から1995年まで関わった 沢山の人達の中から驚く話が次々と出る
残っている場所も少なく セピア色の写真で当時を振りかえる。
若いころのメリーさんがいる。写真の中のメリーさんは美し人だった。
前に映画になりかかった映像も今は行方知れずとか・・・
当時の仕事場「根岸屋」をもとに(美容院 クリーニング店 喫茶店 宝石店 など)
直に接触した人ばかり。メリーちゃんと「ちゃん」づけで呼んだイキな女性もいた。
後半。元次郎氏にメリーさんから手紙が届く。「横浜に帰りたい・・・」
もう一度メリーさんの前で歌いたい!
ガンにおかされ病床の元次郎氏が汽車に乗り横浜から山陽まで・・・
着いた先はメリーさんの住む養老院だった。
化粧をして衣装も着て小さな舞台で 元次郎氏が歌うシャンソン
「あなたに・・・」指した指先に薄化粧のメリーさんがいた。
なんども なんども うなずくメリーさん。うなずく綺麗なメリーさん。
歌を聴いて泣きました。はんぱな涙ではありません。
久しぶりでぽたぽた落ちる涙・・・まだ泣けるんだ・・・歌で。
「今あなたに歌っています。愛しい・・・あなたに歌っています。」
もと男娼のシャンソン歌手と もと娼婦のメリーさん
横浜から はるか遠い地で『愛を結んだ』二人の愛情物語。
元次郎さんが亡くなった翌年にメリーさんも他界した。
映画の中で流れるラジオ番組でミッキー安川氏が
「横浜で有名なのは“メリーさん”と永登元次郎だ」と云っている。
この映画は観れば『 それ 』がわかる メリーさんを知る人たちが作った
「ハマのメリー」の貴重なドキュメンダリー映画です。
終わると会場から大きな拍手が・・・来てよかった。
始めの歌は「浅川マキ」さんなのかな。
ちあきなおみ 絶品! 「港の見える丘」
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