1985年(昭和60年)ごろには、神奈川の明訓高校と千葉の青田高校が甲子園準決勝で対戦していた。これは『大甲子園』で描かれている。ここで、岩鬼は昭和六十年当時の野球選手の真似をしていた。また、これより前に、明訓と対戦した室戸学習塾のメンバーは、殿馬のリズム打法を狂わせるために、いろいろな歌を同時に歌っていた。それは民謡「よさこい節」のほか、松田聖子の「瞳はダイアモンド」と小泉今日子の「艶姿ナミダ娘」で、この歌謡曲2曲は83年ごろのヒット曲らしい。
つまり、山田や岩鬼が高校三年だったころの『大甲子園』は80年代半ばの記録である。
山田たちの明訓入学は74年春なので、実に高校三年の夏の甲子園の準決勝まで11年経過したことになる。
この八五年に吉田監督と岡田、バース(Bass)、掛布の阪神タイガースが優勝した。
この年には日航機墜落事故もあり、このときの新聞社の報道合戦は『クライマーズ・ハイ』で再現された。
めぞん一刻
1985年(昭和60年)ごろが舞台の話。
1985年、ドラえもんとのび太がのび太の曽祖父・のび吉の埋めた浮き輪を掘り出した(「ハリーのしっぽ」)。この浮き輪は、もともと、西暦1910年にのび太がのび吉に提供したもの。
翌年、1986年にハレー彗星接近。
1986年2月、『1リットルの涙』が出版されたが、4月8日の灌佛会(くわんぶつゑ)に同じ愛知県民である歌手・岡田有希子(1967~)が自ら命を絶って、世間の話題はそこの集中。そして、その日に沢尻エリカ(ドラマ版で主役を演じる女優)が生まれたのは奇遇である。
1988年、『1リットルの涙』の作者・木藤亜也氏が死去。
翌年の1989年、つまり平成元年にドラマ版の主役・池内亜也が誕生したと想われる。池内亜也の障碍者手帖では、生まれた年が「昭和元年」となっているが、これは「平成元年」とすべきところ、印刷を間違った結果であろう。
この1988年から89年にかけて、ダイエーの中内㓛が南海ホークスを買収して福岡ダイエーホークスにした。
「あぶさん」も職場を変えることになっただろう。
そして巨人軍のホーム球場が後楽園から東京ドームになった。これで場外ホームランがなくなった。甲子園球場はずっと残してもらいたいものだ。
1989年ごろ、藤田巨人は新城童夢という小学生をピッチャーとして採用。童夢は中日の落合博満など、多くのライバルと対戦した模様。
我々が西暦1985年1月1日(昭和60年元日)から1989年12月31日(平成元年大晦日)までの5年間を懐古する場合、これは/#昭和レトロ/と/#平成レトロ/の両方を含む。
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▲1985~89年
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2008-09-16 15:07:36