この年、キング牧師とヘレン・ケラーが死去。
この年の正月、飛雄馬は長屋を訪れ、一徹から坂本竜馬の話を聴き、奥多摩山中(アニメでは「日本アルプス」)の雪山にこもった。伴宙太も合流。そこで飛雄馬は自分の小柄な体格のせいで「球質が軽い」と知らされるが、これは科学的根据(=根拠)のない俗説。70年代に学研まんが・ひみつシリーズ『野球のひみつ』で球質の「重い」・「軽い」が無意味だと言っている。
伴は宮崎キャンプに、飛雄馬は2月(推定)の台湾キャンプに参加。シーズン開幕で飛雄馬は左門に打たれ、二軍に落ちるが、大リーグボール左1号を開發。バッターの心裏を読み、バットにボールを当てて凡打に打ち取る魔球だ。
ちなみに、この魔球はアニメ版『侍ジャイアンツ』でも番場蛮が南海相手の日本シリーズ(73年)で使ったことがあり、星飛雄馬自身も1977年末に右投げで大LB左1号を試したことがある。
1968年の衆議院議員選挙と日本ダービーのあとは、大LB1号がマスコミの話題になったらしい。
オールスターは川上から時期尚早と言われ、解説者に。花形は鉄球・鉄バットの特訓。速水譲次はこれを知りながら黙っていた。
『パッチギ(Pac-chi-gi)』もこの時代を記録しており、タイトルは朝鮮語の
Pak-chi-gi(鉢合わせ)。
また、『華麗なる一族』も1960年代後半を描いている。
9月18日、巨人×阪神戦でバッキーが王に投げた危険球をめぐって大乱闘。荒川コーチとバッキーが退場。権藤投手の投げた球が王の頭を直撃し、また、大乱闘。星は阪神の投手の心裏を察し、喧嘩に加わろうとする伴を止めた。
その後、長嶋茂雄が本塁打。飛雄馬は涙して感激。アニメの『巨人の星』では両軍は乱闘を寸前でやめ、バッキーの投げた球が王に当たった。この試合は『侍ジャイアンツ』でも再現され、そのときは「史実」に近かった。
そのあと、巨人の守備で飛雄馬が登板するが、大LBが危険球に近いので、また、スタンドが殺気立つ。そこで代打・花形が大LBを予告ホームラン。速水は泣いて感激。川上は速水を二軍に落とす。その後、飛雄馬が二軍に落ちたとき、速水はいなかった。
花形は重症を負い、関西の病院に入院。WOWOWの特別編『猛虎・花形満』では星明子がおそらく東京の長屋から電車でかけつけ、見舞いに行って、花形の車椅子を引いたりしていた。
巨人はセ・リーグ優勝したが、阪急の西本監督は選手の一人に花形そっくりの特訓をさせていると宣言。飛雄馬は門原破りで処分を受けるのを覚悟して、釣堀で特訓。秘密のはずだが、なぜか巨人のユニフォームを着ていた。要するに、グリップ・エンドに球を当てるため、制球力を磨く練習で、釣堀、舟の上、糸でつるした硬貨を的にしたのは、故意に設定した「悪条件」であった。こんな場所での特訓が必要かどうか疑問であった。
星は周りにマスコミがいることを理由に真実を言わず、処分を受け、マスコミは「星は日本Sの戦力から消えた」と報道。しかし、飛雄馬は日本シリーズの後半戦に登板し、改良型大リーグボール1号で勝利。巨人はV4を達成。
これはマスコミが何でも記事にしようとすることで、かえって取材対象が真実を隠してしまうことを意味している。ただ、報道すればいいというマスコミは思慮が足りない。
1998年のペルーでの日本大使公邸人質事件で、当時のフジモリ大統領が日本の無断で突入を命令したのは、知らせたら日本のマスコミが例によって報道し、反抗グループに知られてしまうこと、さらに日本の首相は「閣議を開く」ことしかできないので頼りにならないからであろう。
1968年日本Sの次の対カーディナルス戦で飛雄馬はアームストロング・オズマ(Armstrong Ozuma)と対戦。オズマはバット落とし作戦とバット投げ作戦などで対抗し、引き分けに終わる。バット投げ作戦はのちの消える魔球にも使えそうだが、オズマは二度と使わなかった。
オズマから「俺とお前は野球ロボットだ」と言われた飛雄馬は人間らしさを取り戻そうと、契約更改の席で給料2倍を要求。クリスマスのとき、パーティーを開くが、誰も来なかったので、借りた部屋で大暴れ。契約未公開で年を越した。契約更改したのは宮崎キャンプで日高美奈と逢ってからである。
1968年(昭和43年)、野比家の近くで家屋が壊され、ボウリング場が建設された(『ドラえもん』・「この絵600万円」)。
この年にメキシコ五輪があり、速水譲次は巨人に入る前、この大会に出ることを期待されていた。
『あしたのジョー』で矢吹丈と力石徹が少年院で引き分けたのは1968年らしい(豊福きこう『水原勇気0勝3敗11S』)
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2008年2/28(「戦後」復興期~1968年大リーグボール1号)
2008年2/28(1968年大リーグボール1号~1973年「よれよれ18番」)
関連語句
キング牧師 ヘレン 大リーグボール1号 大リーグボール パッチギ
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