gooブログ ものがたりの歴史 虚実歴史

戦後の溥儀

吉岡は逮捕拘留される。2年後、モスクワで病死。
1991年にスパイ活動無罪が判明。

1946年8月、溥儀は東京裁判に連合国側の証人として出廷。
日本の強制的なやり方に從っただけだと証言。
ソ連に拘留されていたので監視があった。
吉岡や日本に罪を着せた。

溥儀が何語で話したかよく聞き取れなかったのは我ながら情けない。
とにかく地デジのおかげでBS(衛星放送)が観られるのはいいのだが、同時に地デジのせいで録画ができなくなった。これは不便だ。
録音くらいはしておくべきだったが、録音の準備の間は番組を観られなくなる不便さがある。
溥儀 東京裁判 英語」の検索結果 - Yahoo!検索
溥儀 東京裁判 中国語」の検索結果 - Yahoo!検索

傍聴席に工藤忠もいた。

1965年、工藤は台湾を訪問、かつての国民政府の要人と会い、謝罪。
直後に死去。

1950年、溥儀は収容所に送られた。
1967年10月、溥儀死去。

愛新覚羅の子孫で溥儀を嫌う人が多く、溥儀は賣国奴と呼ばれる。
満洲族の集まりでは中国への貢献と酸欠が呼びかけられただけだった。

結局、NHKの歴史観なので関東軍が全部悪かったという結論のようだ。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「「終戦」~1950年代」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事