富士塚を行く

身近な富士塚を見に行く
都内区部が多いが
その周辺地、遠隔地にも
足を延ばして見て歩いた記録

芸能浅間神社

2021年01月06日 23時30分40秒 | 富士塚

 新宿は勤務先だったし、飲みにも行ったけど、花園神社に富士塚があるなんて聞いたことなかった。まぁ、此れは私自身 当時は富士塚には興味は無かったし、周囲にも富士塚に関心がある人なんて居なかったこともあるんだろうな。

今年も初詣を兼ねて、コロナ禍の猛威の中、正月早々富士塚巡りに出掛けた。(此の日の新規感染者数は、東京で1,591人)いや、本当は別件の用事でこの近くへ行き、その帰り道が花園神社の前を通る事になったので、此れ幸いと、ちょっと覗いてみたのだ。

 花園神社の境内は、そこそこ広い。その中の何処に富士塚があるのか全然分からない。花園神社の社殿そのものが階段を何段も上がった高いところにある。まさか、此れが富士塚の一部ぢゃないよなと思いつつも、念のため、富士塚を特徴付けるものが無いか見てみたが、何もなし。まぁ、兎に角、その社殿に上がり参拝をする。で、その高い社殿から周囲を見渡すが、、、塚状のものは見当たらず。境内中央付近には、ちょっとした小社もあるが此れは稲荷社だった。う~、、、何処かなぁと、境内を少しうろつくと、境内の北東の片隅に、何か塊!が見える。が、其れが何なのか薄暗くてよく見えない。冬場のこの時期、16時頃になると、日差しも弱い。その上、今日は曇りだ。あそこに何かありそうだ!と、近付くと、其処も小さな神社だった。

▲新宿の花園神社の境内の片隅に置かれた芸能浅間神社

 「芸能」って字が見える。そうか、芸能関係者にご利益のある神社って此処だったのか!以前、何かのテレビ番組で見た様な記憶がある。更に、「浅間神社」って字も見えて来る、、、あった!此処が富士塚なのかぁ。でも、芸能と浅間神社がどうしてくっ付いちゃったのかな?

此処の富士塚はだいぶ小振りだ。賽銭箱のある拝所の向こう側に高さ1mあるかどうかの塚があり、その上には小さな祠が載っている。そこまで行ける階段もある。

しかし、今回は登らなかった。と言うのは、此の富士塚、参拝に来る人が多いのだ。富士塚の様子を撮っていると、背後に人の気配。そう、この神社へお参りに来る人が数組待っている。慌てて、横によけて、次の参拝者へ譲ることになる。なので、流石に拝んでいる人の前を登ったり降りたり撮ったりするのは気が引ける。

でも、此処の富士塚は、正月早々から、それも平日だと言うのに参拝に来る人が多いのには驚かされる。花園神社と言うメジャーな神社だからなのか、新宿と言う立地だからなのか、いやいや芸能関係者にご利益があるからなのだろうか。そんな人達の殆どはここが富士塚だなんて認識していないんだろうなぁと思いつつ、この神社を後にした。

 おっと、参拝者の多さに気を取られ、富士塚の事を書きはぐった。

この富士塚は、高さは1mあるかないかのかなり小さなものだ。その塚は黒ボク石に覆われ、石碑も幾つか設置されている。でも、富士塚としての講碑はひとつしか見掛けなかった。割と大きめのもので、「元講社」って書いてある。帰宅後、撮った写真を見ていたら、祠の左手側にも2基位石碑が見える。此れが富士塚と関係があるのかどうか分からないが、石碑は少ない。別のネット記事を見ると、どうやら過去に此の富士塚は、移転して来た様だ。つまり、元々あったものではなく、造り変えられたもの。もしかすると、その移設の途中で石碑やら講碑などが失われ、形も変わってしまったのであろうか。

此処の富士塚は残念ながら本当の富士塚では無さそうだ。

▲これが富士塚だと言われなければ、単なる祠を乗せている台座くらいにしか思えないんぢゃないかな。正面の賽銭箱の右手に講碑’(次の写真参照)が見える、更にその右側には口碑を遮ってまでも前面に出る石碑には、あの藤圭子の夢は夜開くの歌詞が記されている。流石、芸能の神社だと感心してしまうね。

▲一つだけ立派な講碑があったが、他にもあるの?

▲どう言う訳か二宮金次郎像も設置されている。最近、めっきり見掛けなくなったよね。

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 東京都新宿区新宿五丁目17 花園神社内
 2021年(令和3年)1月6
日・ 水曜日・16時頃・曇り・肌寒い



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