富士塚を行く

身近な富士塚を見に行く
都内区部が多いが
その周辺地、遠隔地にも
足を延ばして見て歩いた記録

鴻神社の富士塚

2021年11月27日 18時46分47秒 | 富士塚

 電車でJR高崎線に乗り、桶川、北本辺りを過ぎると、車窓からは富士山が裾野まで見える。県南だと、手前の低山が邪魔して裾野が見えないけど、ここまで来ると見える!これぞ富士山の姿だ。そして、鴻巣駅で降りる。今日は仕事だ。でも、早めに着いたので、周辺をちょっと散策。

 鴻神社(こうじんじゃ)の裏手に行き着く。そこで見掛けたのが、何か尖った形の石碑。裏手から見ているので、何の石碑だか分からない。早速、境内に入って確かめてみることに。

 それは、正面から見ると、小振りの鳥居。その向こうには、大きい石碑と小さい石碑が並んでいる。黒っぽい石なので、よく字が見えないので、近付くと、『冨士嶽』とか『浅間』の文字が見える!これは、富士塚ぢゃないか!!

 残念乍ら、塚状にはなっていないが、富士山に関連したものであろう。この周辺を見回したが、表示物や説明板等は見つからなかった。仕方無いので、撮影だけして、帰宅後ネット検索したけど、特段、この神社のこの富士塚っぽいものに関する記述は見つからなった。

▲鳥居の向こうが富士塚なのかな。

▲中央の石碑には、『冨士嶽神社』と読める。石碑の形も縦長な富士山っぽい感じ。

▲その右手に見える小さい方の石碑には、『小室浅間大』と見える。「大」の文字の下には「神」の文字が隠れているんではないだろうか。無頓着にも黒ボク石の中に埋め込まれちゃったんだろうか。

 いや、この最後の小さい方の石碑を見て、ちょっと考えついた。この富士塚っぽいもの、実は作り直したんじゃないだろうか。ここに作り直した時に、その「神」の文字を黒ボク石の中に埋め込んでしまった。富士講の人達だったら、こんなことしないであろう。講とは関係のない人が、ここへ文化的歴史的造形物として移設保存したって気がした。(移設工事は職人に任せて、工事完了時にちゃんと移設したのか担当者が確認しなかったんじゃないかな)

 想像するに、昔の鴻巣であれば一面田圃で、その向こうに富士山が望め、あの富士山へ行きたいと言う願望が見る人々の中に起こり、富士講が出来、富士塚を築いたんぢゃないかな、きっと。

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 埼玉県鴻巣市宮本町 鴻神社内
 2021年(令和3年)11月26日・ 金曜日・9時頃・晴れ


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