富士塚を行く

身近な富士塚を見に行く
都内区部が多いが
その周辺地、遠隔地にも
足を延ばして見て歩いた記録

氷川八幡神社の富士塚 <和光市>

2020年11月07日 09時49分15秒 | 富士塚

 よ~く見ると、塚状になっている。、、、確かに、富士塚だ。

 まだ暑かった時期に見に来たときは全然この場所だとは気づかなかった。あの時も自転車で訪れ、それもその富士塚の直下に自転車を止めていたにも関わらず、それが富士塚だとは、当時、認識出来なかった、、、。

 本日、改めてその場所に行き、路上から見ると、頂上に何やら石碑状のモノまで見える。自身の富士塚を見る目がまだまだだなぁと、反省する次第。でも、この富士塚は緑色の山だ。それに、この塚は、境内のかなり端っこにある。神社の杜の外にポツンと置かれていると言う感じ。そして、説明板等も一切なし。だから、発見出来なかったんだよな~ぁ。

 ▲神社裏手側(西側道路)の口の横に鎮座していた富士塚。こんなに頂上の石碑が目立つのに。

 さて、それでは、この富士塚を見てみよう。

 塚には、溶岩らしき岩は全くない。いや、あるのかも知れないが、塚は全体を躑躅(つつじ)の低木で覆われているので、それに隠れているものがあるとすれば、見えないのであろうか。一部、その躑躅も無くなって山肌が見えて仕舞っているところもある。この躑躅が植えてあるのは、夏に見に行った同じ市内にある白子富士と同じだ。この辺りはそう言う作り方をするのだろうか。

 ▲境内から見た富士塚。こちらは地肌が見えて仕舞っている。

 ▲ここから登る。講碑が見られるのは、この辺りだけ。そして、この数だけ。ちょっと少なさ過ぎ?鳥居の左側に大小4基、右側の木の中に1基と何か人型か猿みたいなのが2体ある。

鳥居の左側にある大きい2基の石碑 鳥居の束額

 塚の下には、お決まりの鳥居があり、そこを潜って登山道から登る訳だが、特段、石段があるでもなく登山道がはっきりしない。最近なんだろうか、躑躅の刈り込みがなされて様で、それでこの辺りが登山道かなぁと何となく位置づけられている様に見えたので、そこを直登してみた。つまり、”藪漕ぎして登頂”って言う富士山らしからぬ登り方!

 頂上には、冒頭書いた石碑が立っている。「浅間大神」の大書きした文字が見える。いや~、しかし、ここからの眺めは非常にイイ。この富士塚は神社の杜の外にあるのと、和光市の起伏に富んだ地形のせいもあり、南から西、北方向が開けている。若しかして、ここから富士山見えるんぢゃないかって位、眺望が取れる。石碑の周りを一回りして、下山。おっと、足元が滑る!砂走りかぁ!!なんとかこらえて無事下山完了。改めて、麓から仰ぎ見る。そう、この富士塚は、黒ボク石も無いし、講石も殆ど無し。ちょっとおとなしめの山だ。

 ▲登って行くと、躑躅の間から頂上の石碑が見えて来る。ちょっと傾ているぞ。

 ▲頂上の様子。2枚目の写真は、この写真の右下辺りから撮ったもの。しかし、結構な高さがある。いい気分だ、この高さは。

 ▲石碑には、浅間大神と大書きされている

 ▲石碑を回り込んで裏から見る。また、頂上からの眺めもいい。こっちは北西方向かな。

 でも、帰り掛けに周辺地を見ていたら、20~40cm位の角の取れた石とか溶岩とかが置かれた石置き場みたいのがあった。石屋さんだか植木屋さんだかの石置き場でも無さそう。もしかして、富士塚用の石?、、、てことないよなぁ、今時、富士塚作る人いないでしょうからね。

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場所は、和光市の下新倉 (しもにいくら)と言う所で、板橋区の成増、赤塚とは白子川を挟んだ対岸って言う感じの場所だ。埼玉県から行くと、、おっと、和光も埼玉県内だけど荒川のこっち側の戸田・浦和方面から行くと、笹目橋を渡り、笹目通りを進み、坂を上がった先の右手側に入って行った辺りかな。和光市も成増・赤塚に負けず劣らず起伏の激しいところだ。

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 埼玉県和光市下新倉三丁目13 氷川八幡神社内
 2020年(令和2年)11月1日ま 日曜日12時頃・晴れ時々曇り・18℃


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