オアシスのB面集マスタープランを聴きながら。
音楽を聴く気分が戻ってきたのは良いことだ。
僕の音楽を聴く動機って、こういう時期にはやはり
自分を盛り上げてくれるからというのが一つある。
演者っていうのは、何か他人に伝えたかったり、自分を表現したかったり
モテたかったりするからやるんだと思う。
それはとても能動的な行為で、ポジティブな事だ。
いろんな音楽(僕の場合は主にロック)を聴いていると、
その作り手・アーチストが何を受け手に伝えたいのかがわかりやすいものが
僕は好きだ。
当たり前の話だけど。
楽しい時間を過ごして欲しいとか
希望を抱いて欲しいとか
混乱して欲しいとか
自分をわかってほしいとか
悲しみを共有したいとか
諦めないでほしいとか
好きな気持ちを伝えたいとか
情景を描きたいとか
背景には能動的な表現である音楽(に限らずだけど)があるとして、
ネガティヴな思いも含めて聴き手に伝えようとしている。
楽しさの共有という表現はわかりやすいが、
一方悲しみや寂しさといった負の感情を作品にして誰かに届けるという
行為は、抱えてる思いと取っている行動が相反している。
その矛盾こそが僕が表現に惹かれる理由だろう。
能動と受動。
それが反転する様。
自分よがりなもんばっかりだけど、
僕は何か人に評価を求めるようなものを
これからも提示しつづけるだろう。
音楽を聴く気分が戻ってきたのは良いことだ。
僕の音楽を聴く動機って、こういう時期にはやはり
自分を盛り上げてくれるからというのが一つある。
演者っていうのは、何か他人に伝えたかったり、自分を表現したかったり
モテたかったりするからやるんだと思う。
それはとても能動的な行為で、ポジティブな事だ。
いろんな音楽(僕の場合は主にロック)を聴いていると、
その作り手・アーチストが何を受け手に伝えたいのかがわかりやすいものが
僕は好きだ。
当たり前の話だけど。
楽しい時間を過ごして欲しいとか
希望を抱いて欲しいとか
混乱して欲しいとか
自分をわかってほしいとか
悲しみを共有したいとか
諦めないでほしいとか
好きな気持ちを伝えたいとか
情景を描きたいとか
背景には能動的な表現である音楽(に限らずだけど)があるとして、
ネガティヴな思いも含めて聴き手に伝えようとしている。
楽しさの共有という表現はわかりやすいが、
一方悲しみや寂しさといった負の感情を作品にして誰かに届けるという
行為は、抱えてる思いと取っている行動が相反している。
その矛盾こそが僕が表現に惹かれる理由だろう。
能動と受動。
それが反転する様。
自分よがりなもんばっかりだけど、
僕は何か人に評価を求めるようなものを
これからも提示しつづけるだろう。