ルアー釣りにしても、餌釣りにしてもどちらにもいえることがある。
それは、魚を釣るということ。
これと同じくして通ずること、それは海と、自然と会話をしているということなのだ。海の流れを感じ、魚の感触を感じる。
お腹が空いていないかなあとか、魚の気持ちも考えてみたりする。
そして、海から針の先糸へ、針から糸へ、糸から竿へ、竿から手へ感覚がつながっているのだ。
自分が海と、自然と会話して、いつの間にか一体化しているような気になるのだ。
釣りをしながら、海を眺めたり、空を見たり、流れる雲を追いかけたり、その写真を撮ったり、ぼーっとする。
釣りって贅沢な趣味なのだ。
そして狩人の収穫は海の恵みとしていただくのだ。
ハゼとマゴチ(小)を天ぷらにしていただいたのだ。
とってもおいしかったのだ。
これだから釣りはやめられないのだ。
おまけ画像はこれ。
なぜかワタリガニが釣れたのだ。あとあと考えればみそ汁にすればよかったのに、釣れたときは物珍しさに写真を撮り続け、最終的には海へ帰してあげた。
今度はもっと大物を釣り上げたいなあ。
福岡のカメラマン森永健一
ホームページ
それは、魚を釣るということ。
これと同じくして通ずること、それは海と、自然と会話をしているということなのだ。海の流れを感じ、魚の感触を感じる。
お腹が空いていないかなあとか、魚の気持ちも考えてみたりする。
そして、海から針の先糸へ、針から糸へ、糸から竿へ、竿から手へ感覚がつながっているのだ。
自分が海と、自然と会話して、いつの間にか一体化しているような気になるのだ。
釣りをしながら、海を眺めたり、空を見たり、流れる雲を追いかけたり、その写真を撮ったり、ぼーっとする。
釣りって贅沢な趣味なのだ。
そして狩人の収穫は海の恵みとしていただくのだ。
ハゼとマゴチ(小)を天ぷらにしていただいたのだ。
とってもおいしかったのだ。
これだから釣りはやめられないのだ。
おまけ画像はこれ。
なぜかワタリガニが釣れたのだ。あとあと考えればみそ汁にすればよかったのに、釣れたときは物珍しさに写真を撮り続け、最終的には海へ帰してあげた。
今度はもっと大物を釣り上げたいなあ。
福岡のカメラマン森永健一
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