地理講義   

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235. コロンビアのコーヒー生産

2016年11月17日 | 地理講義

コロンビアのコーヒー生産のはじまり
19世紀中頃、ボゴタ北方のサンタンデール県では分益小作制度としてコーヒー栽培が始まった。コーヒーによる収益を地主と小作人で折半するものであった。ただし、ここはアンデス地域であり、土地がやせ、道路が整備されていなかったため、コーヒー栽培は停滞し、伸びたのはタバコ栽培であった。
1870年代には世界的コーヒーブームが到来した。首都ボゴタの承認資本によるコーヒー栽培が、北のサンタンデール県、メデリンのアンティオキア県、ボゴタのクンディナマルカ県を中心に盛んになった。良質のコーヒーが隣国ベネズエラのマラカイボからアメリカやヨーロッパに輸出された。タバコ産業は衰えた。コーヒー栽培は、とうもろこしやキャッサバなどの食用作物と共存する形で栽培される小規模農場が中心であった。ブラジルから運ばれたアラビカ種が栽培された。

1872年にアメリカがコーヒーの輸入関税を廃止すると、コーヒーの需要が急増した。コロンビアでは北部のサンタンデール県では牧歌的なコーヒー栽培が続いたが。ボゴタやメデリン周辺では、スペイン人不在地主(寄生地主)による大規模なプランテーションが作られた。
1888年、コロンビアが中央集権的な新憲法を制定した。道路・鉄道・港湾が整備されてえ、コーヒーの輸出システムが整備された。1997年にはマイルドコーヒーとして、コロンビアの全輸出額の40%を占めるまでになった。しかしながら、大統領・教会・大地主を中心とする保守主義者と商人・零細農民を中心とする自由主義者との対立が、しばしば戦闘にまで発展し、コーヒーの生産と輸出は安定しなかった(1899~1902年)。

FNC(コロンビアコーヒー生産者連合会)
第1次世界大戦後、コロンビアは、パナマ運河、バナナ、石油の利権をすべてアメリカに奪われた。自由党のガイタンにより、政府とは無関係に、コーヒー農園主やコーヒー商人のコーヒー利権保護のための組織としてコロンビアコーヒー生産者連合会(FNC)が結成された。小規模コーヒー農家50万戸も加盟した。
FNCはコーヒーの販売流通の監視やコーヒーの品種改良だけではなく、徴収した手数料を元に、流通のインフラ整備や学校・病院などの社会的活動にも力を注いだ。
第2次大戦後、ブラジルではしばしば霜害による輸コーヒーの出減少で国際価格が上昇したが、アメリカは輸入価格を低く抑えたままであり、アメリカとFNCは対立をくり返した。
また、FNCはブラジルなどとラテンアメリカコーヒーカルテルを結成(1957)、ブラジルとの対立を解消した。
現在、FNCはコロンビア政府とは無関係の民主的生産者団体として、国内では品種改良や栽培方法の研究をしている。海外においては、コロンビアコーヒーの不当な廉売や他産地コーヒーの混入のないことを監視したり、国際取引情報を関係者に伝えたりし、国際市場でコロンビアコーヒーの利益保護にあたっている。FNCはコーヒーの国際価格の安定と品質維持の努力を続けてきた。しかし、コロンビアコーヒーの生産と輸出量は下落傾向にある。これはコロンビアの長期内戦とベトナムの大増産が大きな原因である。

FNCが1960年に採用したロゴは、架空の農民ファンバルデスが、ラバにコーヒー豆を背負わせ、山中の農場から市場に運ぶものである。ロゴマークにとどまらず、俳優が演じるTVのCMになったり、そっくりさんを登場させてキャンペーンを演じるなどし、国内外にコロンビアコーヒーの知名度を上げるために大きな役割を果たしている。


 

 

FARC(コロンビア革命軍)
1964年に自由党系の武装農民組織としてFARCが結成された。コロンビアの反政府組織は多数存在するが、FARCが最大組織である。マヌエル・マルランダを最高司令官に結成時は1000人であった。マルクスレーニン主義を掲げ、キューバやボリビアからの軍事援助を受けた。コーヒーよりもカネになるコカの栽培を奨励し、コカ密売で大きな利益を得た。豊富な資金で武装してテロをくり返した。1990年代にはコロンビア全土の3分の1を支配したと言われた。アメリカがコカの流入をおさえるためと共産主義勢力を潰すため、コロンビア政府軍を援助した。
2010年、サントス大統領就任後、FARCの幹部が次々と暗殺されたり、コカ栽培農地が焼き払われた利子、FARCの勢力は急速に弱体化した。2012年からコロンビア政府とFARCの和平交渉がくり返され、2016年8月24日に内戦締結合意がなされた。半世紀に及ぶ内戦が終結する見込みとなった。内戦による死者26万人、行方不明者4万人であった。

2016年ノーベル平和賞はコロンビアのサントス大統領に
半世紀に及ぶコロンビア内戦を終息させた功績により、サントス大統領は2016年10月7日、ノーベル平和賞を受賞することが決定した。しかし、その5日前の10月2日、コロンビアの内戦停止合意の賛否を問う国民投票で、和平案は否決されてしまったのである。サントス大統領がFARCに譲歩しすぎたため、身内を内戦で失った者の反発が強く、国民の過半数がRARCとの和平に反対したのであった。

コロンビアコーヒー
コロンビアの伝統的コーヒー生産地域は2011年にUNESCOの世界遺産に指定された。コーヒー農民80万人のうち8万人が指定地域に住み、2万5千の小農場を経営する。農民が努力し、コーヒー農場に変えた山間地である。
コロンビアではコーヒー農民が80万人、コーヒー関連労働者が300万人に達する。コロンビアの世界市場におけるシエアは低下したものの、コロンビアにおいては、コーヒー産業は重要な産業である。コロンビアがコーヒー栽培に適している理由は次のとおりである。
(1) 気候
朝と夜の温度差が大きい。高地では気温が低く、コーヒーの実はゆっくり育つ。日中と夜間の気温差が大きく、糖分が生成される。生豆に含まれる糖分の一部はローストされて香り成分となる。また、年降水量が2,000mmで、しかも雨季と乾季が存在する地域が選ばれている。
(2) 土壌
標高の高いところの土壌は、火山灰を多く含む。火山灰は植物にとって根を伸ばしやすく、また保湿力に優れているので乾季でも植物に十分な栄養を与え続ける。また火山灰は硫黄を多く含んでおり、この硫黄は実を形成する段階でコーヒーの香りのもととなる。
(3)  日照量管理
アンデス山脈で良質なコーヒーを育てるには年間1,600~1,800時間の日照量が適切である。日照医時間管理のためにシェード(遮光)栽培などを行っている。

 コロンビア山間地の小農によるコーヒー栽培地域は、2011年にUNESCOの世界文化遺産に登録された。「コロンビアのコーヒー産地の文化的景観」としてカルダス州、キンディオ州、リサラルダ州、バジェデルカウカ州4州の山間地47地区である。

 



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