新疆天然草地生態保護と牧畜民定住プロジェクト
日本の中国への経済・技術援助として[新疆天然草地生態保護と牧畜民定住プロジェクト]が2007年6月4日に始まり、現在進行中で、2102年3月31日に終了予定である。
新疆ウィグル自治区のジュンガル盆地では、中国政府が、貧しい遊牧民の定住化計画を再三試みたが、成功してはいない。
遊牧から定住牧畜業に転換させて、所得の向上をめざす計画である。5年間で計画が完了するほどの簡単な事業ではないが、新しい農業への具体的方向性を示すことはできる。
中国内陸地域では、遊牧地域の拡大や無秩序な放牧などの人為的原因で、砂漠化が進んでいる。その面積は200万平方kmに及ぶ。中国の砂漠化は中国沿岸地域・韓国・日本などに黄砂現象を引き起こしている。
中国政府は1999年に全国生態環境建設計画を策定し、砂漠化が進行している新疆や内蒙古・黄土高原において退牧還草(遊牧・放牧制限による草原保護)などの国家プロジェクトを実施している。
新疆天然草地生態保護と牧畜民定住プロジェクトの対象となる新疆ウイグル自治区は、中国全土の1/6の面積と人口2010万人を有する。中国人13億6000万人のうち、漢民族は12億人で中国の政治・経済の中枢を掌握し、少数民族の反発が強い。特に、新疆ウイグル自治区は、トルコ系民族である。言語はトルコ系、宗教はイスラム教である。中国からの独立運動を中国政府は強く警戒し、独立運動を軍事弾圧する一方、経済的後進性を解消するために遊牧民の定住化計画を進めている。
新疆ウィグル自治区を[東トルキスタン]とも呼ぶが、主として新疆ウイグル自治区の独立運動に共感する場合に用いられる。
砂漠の農牧業
ジュンガル盆地は、天山山脈とアルタイ山脈に広がる砂漠と草原を利用した遊牧が行われている。遊牧民は、1年間に100km以上を移動し、羊と馬を飼育する。
しかし、中国革命後の人口増加により、家畜も5倍に増えた。この家畜が遊牧の形で飼育されるので、天然の草原を破壊している。明らかに適正飼育数を超えた過放牧である。特に冬には少ない草原を食い尽くすため、天然の草原の85%が砂漠化の危機に瀕している。
地元の新疆ウィグル自治区政府は、草原が冬季に破壊されないように、冬期間は家畜を畜舎で飼育することを遊牧民に指導した。冬、家畜を定住させるためには、遊牧民も定住しなくてはならない。自治区政府は住居と農地を配分したが、遊牧民は定住地における生活の知識がなかったし、牧草栽培・家畜飼育の知識がなかった。遊牧民は定住によって収入が減ってしまった。夏の草原の遊牧生活では、冬の減収を補うことはできなかった。
遊牧民の多くは半年間の定住生活に適応できず、また、遊牧生活に戻った。
日本の農業援助の目的は、遊牧民の生活向上と草原の回復であった。冬だけの定住生活から通年定住に転換するためには、草原への水の供給、乾燥地域での灌漑農業技術、畜舎での飼育技術などが不可欠であった。限られた面積における家畜の適正飼育数、販売可能な農作物の栽培、遊牧民の定住集落での近代的生活のルールなどを確立しなくてはならなかった。
その結果、中国の草原が砂漠化する環境破壊が止められ、乾燥地域において持続可能な農牧業が実現するであろう。
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チベット遊牧民の定住
原文 遊牧民の定住は善政か(2010.1.29)
阿部治平(中国青海省在住、日本語教師)
青海省は純牧畜地帯の牧民を町に定住させる計画です。
2009年4月と12月に遊牧民の定住事業に関する会議が開かれました。会議は「国務院の青海などの省区経済社会発展に関する若干の意見」の精神を実施し内需を拡大する重点プロジェクトだそうです。つまり遊牧民の定住化は中央政府の政策だから本腰をいれてやるぞというわけです。
政府は、定住事業が遊牧民の住宅条件を徹底的に改善し、生活レベルを引上げ、調和ある(「和諧」)牧畜地帯を建設する仁政(徳政)としている。移住先はチベット・モンゴル人地域の県あるいは郷政府のある町らしい。対象は2万5710戸、人口13万前後になる。県政府が責任をもって1戸あたり60平方メートルの定住用の家を建てる。
いずれの会議でも「幹部は清潔であること」と注意している。悪事を働く官僚ががいるらしい(「西海都市報」2009・4・21)(「西寧晩報」2009・12・17)。
遊牧民は決まった放牧地を移動します。
たとえばツォゴンポ(青海湖・ココノール)南岸の牧民は、夏は4500mのロンブセチェンに家畜を上げる。このときはテント生活。秋になると3300mの湖畔に下りる。厳冬期は家畜をやや山すそまで上げ、人はレンガ造りの住宅に住む。住宅は互いにかなりの距離を保っている。いまどきの遊牧民は冬の寒さのなかではヤクの毛を織ったテントは使わない。
漢民族には遊牧を「水草を追って遷移する」遅れた生業と見る『史記』以来の伝統的観念がある。それからすれば、政府がいうように牧民の定住化は「党と政府のチベット人地域遊牧民に対する思いやりを十分に体現するものである」となる。
中国だけではなく、遊牧民を抱える各国政府は、徴税とか義務教育とか政治宣伝とかそのほかの都合で牧民の定住化をはかることが多い。それはわたしも一応承知している。
しかし、牧民には冬の牧野に家があるのに政府は重ねて町に家を持てといっている。
政府は黄河源流の草原の荒廃を回復するために「生態移民」として牧民を移住させる計画をたて、すでに地方の町に移住したものは1万戸(5万人)になりました。
ところが、放牧をやめたためか、近年降水量が増えたためか、草原の退化がとまり、被度(植物が地表を覆う割合)も上がった。だが、牧民は移住先の町から故郷に帰ることができない。
青海省では最近、劇的な小中学校(義務教育)統廃合をやっています。
2000年に3877校あった。それが2009年までの9年間に1381校減少し2496校となった。この2年間だけで726校も減らした。在校生は2000年の72.94万人から12.65万人が増加した。1学校あたり児童生徒数は1.8倍になった。
理由は、農村牧野の中小学校は点在し、規模が小さく、コストが高く、相応の規模の優れた教育はできなかった、教師の力量も低かったから、だという。
もちろん、こちらの新聞は統合の結果、「一校平均規模はいっそう拡大し、勉学条件は向上した。教育効果と収益はいっそうの向上を見た」という。
だが、これによって1年坊主も町の小学校寄宿舎に入らなければならない。町の学校ではひとクラスあたり70人とか80人の学生がひしめくところがある。
青海のチベット人は、この数年で「生態移民」の移住で約5万6000、遊牧民定住計画で13万、あわせて19万近くの人口が地方の町かその近郊に移住し、さらに小中学校の統廃合で児童生徒が町に集中する。ここまでの経過をみると、たてまえは「仁政」だが、なにか当局には草原から牧民を切離す行政上の意図があるようにおもう。
しかし、牧民が牧野からいきなり牧野から町に移住したとき、問題は二つある。ひとつは当面する生活の困難、もうひとつは次世代か、次の次の世代に起こる民族文化の消滅です。
青海チベット人は、はっきり二つの階層に分化しています。
第一の階層は人口の大多数を占める農牧民・村の職人・修行半ばの僧侶(アカ)・小売商などで、漢字はもちろんチベット文字すら読めない人がいる。伝統的な農牧業以外の仕事を知らない。僧侶のいうことは聞くが役人を信用しない。信仰心は強く、ダライ=ラマと寺の僧侶を崇拝する。2009年2,3月の反政府暴動の参加者はこの階層でしょう。なかには漢語の青海方言がわかる人もいる。
ところが、農牧民は郷土や集落共同体中心の考えしかない。なにかといえば集落同士のケンカ(「械闘」)をやるのがその表れです。そして移住対象になった牧民は大半がここに属します。
第二の階層は行政機関の(たいていトップになれない)指導者や職員・教師・成功した事業家、さらに高い知識をもつ僧侶などの階層で、ほとんどは地方の都市に住む。民族文化や教育への関心が高く、程度の差はあれ信仰心がある。チベット文字はもちろん漢語の標準語会話、読書きができる。漢化の程度が高く情勢がわかるから平気で内心と違うことをいう。いわゆる貪官汚吏はこの階層です。
第一の階層がいきなりひっぺがされて町へ出たとき、衣食住と健康・就業がまず問題になる。
頭の回転の速いのは別にして、たいていはわが身を守る法律や制度や権利を知らず、頼りにする人も仕事もなく、寺と僧侶からもはなれて不安でびくびくしながら暮らすことになる。
あと数年経って政府が(毎年家族数に関わりなく1戸あたり6000元=8万円などの)一連の手当を減らした時、生存のためにかなりの人が泥棒やこじきや売春をやる可能性がある。いやすでに「生態移民」の中に生まれています。
牧民文化の問題はこうです。
チベットには仏教哲学、暦学と数学、医学、文学、絵画彫刻など高度な文化がある。それに加えて牧野には口承文化を主とする文化がある。千数百年来伝えてきた「ゲサル」の英雄叙事詩をはじめ、独特の賛歌と史詩、民謡と舞踊、ことわざやむかしばなし、さらにはさまざまな年中行事などである。
これを継承してきたものは牧民だ。チベット文化は表面が仏教に彩られているが、その深層は牧野の無形文化である。それは牧民だけのものではない。人口の多数を占める半農半牧の人々、さらには町に住むチベット人のものでもある。
町に定住するとなれば、もともと帰属意識をもっていたはずの郷土・集落を失う。それは牧野の文化が消えることを意味する。
ただでさえ市場経済の浸透によって年中行事をはじめ多くの無形文化遺産が調査、保存されることなく消えているというのに、いきなりの「都市化」では牧野の文化はより速やかに消滅する。
牧民が町に移住したあとの草原にやってくるのは、市場と資本の論理、すなわち金儲けのためならなんでもやる連中である。不正腐敗の地方官吏がすぐにこの連中と結託し、環境保全はそっちのけで、開発だの建設だのいろいろな名目で牧民が先祖代々大事にしてきた草原を売ったり貸したりして暴利を図る。
次世代を担うものについていいます。
児童生徒は義務教育の小学校1年生から初級中学まで9年間寮生活をする。両親と牧畜生活から切離され、親のしつけも慈しみの時間も少ない。寄宿舎生活のなかでどのように教育したとしても郷里のへの関心もうすい子どもが育つのが目に見えている。
省当局は中等学校(高校)への進学率をあげ、実業学校生徒の割合を増やす計画だ。民族中学へ入ったものは辛うじて言語と文字を維持できる。だが、漢語を教室用語とする学校に入ったものは漢語漢文化の教養はいまより上昇するが、自民族の言語や文化を知らないものが増加する。さらに大学生はチベット語や文学でも専攻しない限り文化を継承できない。
もっと重要なのは大学へ行くあてのない多くの青年である。チベット人だといっても彼らにはそれらしい言語も文化教養も心のふるさともない。これでは制度上はともかく事実はチベット民族とはいえない。まず町で仕事がなかったら生活に困る。行政当局が手を打たなかったら、社会の低層にごろごろする、法や道徳と無縁な人になる危険がある。
先日、さる純牧畜地帯の県教育局の若いチベット人官僚と話す機会がありました。彼はわたしの疑問に答えて力説しました。現場担当の人のいうことですから、わたしはなるほどと聞きました。
「学校の統廃合はいいことです。設備もだんだん充実するし寮生活もそれなりに快適になる。小さい学生の世話をする人も十分いるから心配は要らない」
ところが、同じ口で彼はこういったものです。
「小さいときから寮生活をすればまず牧畜も農業がわからない、習慣も知らない、仏教も知らない。学校によってはチベット語やチベット文字よりは漢語漢字を教える。・・・となると、これは将来チベット族とは違った民族ができあがる。まあそうなりますね」
日本の中国への経済・技術援助として[新疆天然草地生態保護と牧畜民定住プロジェクト]が2007年6月4日に始まり、現在進行中で、2102年3月31日に終了予定である。
新疆ウィグル自治区のジュンガル盆地では、中国政府が、貧しい遊牧民の定住化計画を再三試みたが、成功してはいない。
遊牧から定住牧畜業に転換させて、所得の向上をめざす計画である。5年間で計画が完了するほどの簡単な事業ではないが、新しい農業への具体的方向性を示すことはできる。
中国内陸地域では、遊牧地域の拡大や無秩序な放牧などの人為的原因で、砂漠化が進んでいる。その面積は200万平方kmに及ぶ。中国の砂漠化は中国沿岸地域・韓国・日本などに黄砂現象を引き起こしている。
中国政府は1999年に全国生態環境建設計画を策定し、砂漠化が進行している新疆や内蒙古・黄土高原において退牧還草(遊牧・放牧制限による草原保護)などの国家プロジェクトを実施している。
新疆天然草地生態保護と牧畜民定住プロジェクトの対象となる新疆ウイグル自治区は、中国全土の1/6の面積と人口2010万人を有する。中国人13億6000万人のうち、漢民族は12億人で中国の政治・経済の中枢を掌握し、少数民族の反発が強い。特に、新疆ウイグル自治区は、トルコ系民族である。言語はトルコ系、宗教はイスラム教である。中国からの独立運動を中国政府は強く警戒し、独立運動を軍事弾圧する一方、経済的後進性を解消するために遊牧民の定住化計画を進めている。
新疆ウィグル自治区を[東トルキスタン]とも呼ぶが、主として新疆ウイグル自治区の独立運動に共感する場合に用いられる。
砂漠の農牧業
ジュンガル盆地は、天山山脈とアルタイ山脈に広がる砂漠と草原を利用した遊牧が行われている。遊牧民は、1年間に100km以上を移動し、羊と馬を飼育する。
しかし、中国革命後の人口増加により、家畜も5倍に増えた。この家畜が遊牧の形で飼育されるので、天然の草原を破壊している。明らかに適正飼育数を超えた過放牧である。特に冬には少ない草原を食い尽くすため、天然の草原の85%が砂漠化の危機に瀕している。
地元の新疆ウィグル自治区政府は、草原が冬季に破壊されないように、冬期間は家畜を畜舎で飼育することを遊牧民に指導した。冬、家畜を定住させるためには、遊牧民も定住しなくてはならない。自治区政府は住居と農地を配分したが、遊牧民は定住地における生活の知識がなかったし、牧草栽培・家畜飼育の知識がなかった。遊牧民は定住によって収入が減ってしまった。夏の草原の遊牧生活では、冬の減収を補うことはできなかった。
遊牧民の多くは半年間の定住生活に適応できず、また、遊牧生活に戻った。
日本の農業援助の目的は、遊牧民の生活向上と草原の回復であった。冬だけの定住生活から通年定住に転換するためには、草原への水の供給、乾燥地域での灌漑農業技術、畜舎での飼育技術などが不可欠であった。限られた面積における家畜の適正飼育数、販売可能な農作物の栽培、遊牧民の定住集落での近代的生活のルールなどを確立しなくてはならなかった。
その結果、中国の草原が砂漠化する環境破壊が止められ、乾燥地域において持続可能な農牧業が実現するであろう。
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チベット遊牧民の定住
原文 遊牧民の定住は善政か(2010.1.29)
阿部治平(中国青海省在住、日本語教師)
青海省は純牧畜地帯の牧民を町に定住させる計画です。
2009年4月と12月に遊牧民の定住事業に関する会議が開かれました。会議は「国務院の青海などの省区経済社会発展に関する若干の意見」の精神を実施し内需を拡大する重点プロジェクトだそうです。つまり遊牧民の定住化は中央政府の政策だから本腰をいれてやるぞというわけです。
政府は、定住事業が遊牧民の住宅条件を徹底的に改善し、生活レベルを引上げ、調和ある(「和諧」)牧畜地帯を建設する仁政(徳政)としている。移住先はチベット・モンゴル人地域の県あるいは郷政府のある町らしい。対象は2万5710戸、人口13万前後になる。県政府が責任をもって1戸あたり60平方メートルの定住用の家を建てる。
いずれの会議でも「幹部は清潔であること」と注意している。悪事を働く官僚ががいるらしい(「西海都市報」2009・4・21)(「西寧晩報」2009・12・17)。
遊牧民は決まった放牧地を移動します。
たとえばツォゴンポ(青海湖・ココノール)南岸の牧民は、夏は4500mのロンブセチェンに家畜を上げる。このときはテント生活。秋になると3300mの湖畔に下りる。厳冬期は家畜をやや山すそまで上げ、人はレンガ造りの住宅に住む。住宅は互いにかなりの距離を保っている。いまどきの遊牧民は冬の寒さのなかではヤクの毛を織ったテントは使わない。
漢民族には遊牧を「水草を追って遷移する」遅れた生業と見る『史記』以来の伝統的観念がある。それからすれば、政府がいうように牧民の定住化は「党と政府のチベット人地域遊牧民に対する思いやりを十分に体現するものである」となる。
中国だけではなく、遊牧民を抱える各国政府は、徴税とか義務教育とか政治宣伝とかそのほかの都合で牧民の定住化をはかることが多い。それはわたしも一応承知している。
しかし、牧民には冬の牧野に家があるのに政府は重ねて町に家を持てといっている。
政府は黄河源流の草原の荒廃を回復するために「生態移民」として牧民を移住させる計画をたて、すでに地方の町に移住したものは1万戸(5万人)になりました。
ところが、放牧をやめたためか、近年降水量が増えたためか、草原の退化がとまり、被度(植物が地表を覆う割合)も上がった。だが、牧民は移住先の町から故郷に帰ることができない。
青海省では最近、劇的な小中学校(義務教育)統廃合をやっています。
2000年に3877校あった。それが2009年までの9年間に1381校減少し2496校となった。この2年間だけで726校も減らした。在校生は2000年の72.94万人から12.65万人が増加した。1学校あたり児童生徒数は1.8倍になった。
理由は、農村牧野の中小学校は点在し、規模が小さく、コストが高く、相応の規模の優れた教育はできなかった、教師の力量も低かったから、だという。
もちろん、こちらの新聞は統合の結果、「一校平均規模はいっそう拡大し、勉学条件は向上した。教育効果と収益はいっそうの向上を見た」という。
だが、これによって1年坊主も町の小学校寄宿舎に入らなければならない。町の学校ではひとクラスあたり70人とか80人の学生がひしめくところがある。
青海のチベット人は、この数年で「生態移民」の移住で約5万6000、遊牧民定住計画で13万、あわせて19万近くの人口が地方の町かその近郊に移住し、さらに小中学校の統廃合で児童生徒が町に集中する。ここまでの経過をみると、たてまえは「仁政」だが、なにか当局には草原から牧民を切離す行政上の意図があるようにおもう。
しかし、牧民が牧野からいきなり牧野から町に移住したとき、問題は二つある。ひとつは当面する生活の困難、もうひとつは次世代か、次の次の世代に起こる民族文化の消滅です。
青海チベット人は、はっきり二つの階層に分化しています。
第一の階層は人口の大多数を占める農牧民・村の職人・修行半ばの僧侶(アカ)・小売商などで、漢字はもちろんチベット文字すら読めない人がいる。伝統的な農牧業以外の仕事を知らない。僧侶のいうことは聞くが役人を信用しない。信仰心は強く、ダライ=ラマと寺の僧侶を崇拝する。2009年2,3月の反政府暴動の参加者はこの階層でしょう。なかには漢語の青海方言がわかる人もいる。
ところが、農牧民は郷土や集落共同体中心の考えしかない。なにかといえば集落同士のケンカ(「械闘」)をやるのがその表れです。そして移住対象になった牧民は大半がここに属します。
第二の階層は行政機関の(たいていトップになれない)指導者や職員・教師・成功した事業家、さらに高い知識をもつ僧侶などの階層で、ほとんどは地方の都市に住む。民族文化や教育への関心が高く、程度の差はあれ信仰心がある。チベット文字はもちろん漢語の標準語会話、読書きができる。漢化の程度が高く情勢がわかるから平気で内心と違うことをいう。いわゆる貪官汚吏はこの階層です。
第一の階層がいきなりひっぺがされて町へ出たとき、衣食住と健康・就業がまず問題になる。
頭の回転の速いのは別にして、たいていはわが身を守る法律や制度や権利を知らず、頼りにする人も仕事もなく、寺と僧侶からもはなれて不安でびくびくしながら暮らすことになる。
あと数年経って政府が(毎年家族数に関わりなく1戸あたり6000元=8万円などの)一連の手当を減らした時、生存のためにかなりの人が泥棒やこじきや売春をやる可能性がある。いやすでに「生態移民」の中に生まれています。
牧民文化の問題はこうです。
チベットには仏教哲学、暦学と数学、医学、文学、絵画彫刻など高度な文化がある。それに加えて牧野には口承文化を主とする文化がある。千数百年来伝えてきた「ゲサル」の英雄叙事詩をはじめ、独特の賛歌と史詩、民謡と舞踊、ことわざやむかしばなし、さらにはさまざまな年中行事などである。
これを継承してきたものは牧民だ。チベット文化は表面が仏教に彩られているが、その深層は牧野の無形文化である。それは牧民だけのものではない。人口の多数を占める半農半牧の人々、さらには町に住むチベット人のものでもある。
町に定住するとなれば、もともと帰属意識をもっていたはずの郷土・集落を失う。それは牧野の文化が消えることを意味する。
ただでさえ市場経済の浸透によって年中行事をはじめ多くの無形文化遺産が調査、保存されることなく消えているというのに、いきなりの「都市化」では牧野の文化はより速やかに消滅する。
牧民が町に移住したあとの草原にやってくるのは、市場と資本の論理、すなわち金儲けのためならなんでもやる連中である。不正腐敗の地方官吏がすぐにこの連中と結託し、環境保全はそっちのけで、開発だの建設だのいろいろな名目で牧民が先祖代々大事にしてきた草原を売ったり貸したりして暴利を図る。
次世代を担うものについていいます。
児童生徒は義務教育の小学校1年生から初級中学まで9年間寮生活をする。両親と牧畜生活から切離され、親のしつけも慈しみの時間も少ない。寄宿舎生活のなかでどのように教育したとしても郷里のへの関心もうすい子どもが育つのが目に見えている。
省当局は中等学校(高校)への進学率をあげ、実業学校生徒の割合を増やす計画だ。民族中学へ入ったものは辛うじて言語と文字を維持できる。だが、漢語を教室用語とする学校に入ったものは漢語漢文化の教養はいまより上昇するが、自民族の言語や文化を知らないものが増加する。さらに大学生はチベット語や文学でも専攻しない限り文化を継承できない。
もっと重要なのは大学へ行くあてのない多くの青年である。チベット人だといっても彼らにはそれらしい言語も文化教養も心のふるさともない。これでは制度上はともかく事実はチベット民族とはいえない。まず町で仕事がなかったら生活に困る。行政当局が手を打たなかったら、社会の低層にごろごろする、法や道徳と無縁な人になる危険がある。
先日、さる純牧畜地帯の県教育局の若いチベット人官僚と話す機会がありました。彼はわたしの疑問に答えて力説しました。現場担当の人のいうことですから、わたしはなるほどと聞きました。
「学校の統廃合はいいことです。設備もだんだん充実するし寮生活もそれなりに快適になる。小さい学生の世話をする人も十分いるから心配は要らない」
ところが、同じ口で彼はこういったものです。
「小さいときから寮生活をすればまず牧畜も農業がわからない、習慣も知らない、仏教も知らない。学校によってはチベット語やチベット文字よりは漢語漢字を教える。・・・となると、これは将来チベット族とは違った民族ができあがる。まあそうなりますね」