地理講義   

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246.川崎町の枡形 宮城県柴田郡川崎町

2017年05月04日 | 地理講義

仙台と山形を結ぶ峠道には北から順に、関山峠、二口峠、笹谷峠越えの3ルートがある。関山峠は傾斜はなだらかだが、遠くて狭い。関山トンネルができてからは自動車は通行できる。二口峠は最短ルートだが一般車両の通行できないほど、せまく険しい。笹谷峠は坂道はきついが、かつては馬、その後は自動車の通行が可能であり、現在は有料道路笹谷トンネルができ、便利になっている。
川崎町は、仙台~山形を結ぶ国道286号線が通り、いわば山越えの基地となる町であり、トラック・馬車で賑わった。現在は笹谷トンネルを通る自動車道路ができ、かつての笹谷峠は廃道となった。
国道286号線と自動車道路は笹谷トンネルは共用である。また国道286号線は川崎町外にバイパスができ、川崎町内は県道14号線亘理大河原川崎線になった。

川崎町
黄色線が旧286号線。東仙台、西山形(笹谷峠)である。県道47号線との交差点が枡形になっている。川崎町は笹谷峠越えの陣馬・自動車の重要補給基地であった。旧城下町でもある。


川崎町内の県道14号線(旧国道286号線)
286号線バイパス、山形自動車道路ができ、市街地からは人影が消える時間が増えた。

旧286号線(県道14号線)は左に直角に曲がる枡形。なお実際には右からは県道47号線が合流する。正面は時計店と美容院の同居する商店である。

時計店の前では、ほとんどの自動車は旧国道286号線を、左折する。枡形である。

仙台から山形(笹谷峠)方向に向かう道は左折すると、長さ50mの直進路である。商店が並ぶ。
この周辺の街路には飲食店が多く、かつて川崎町が補給地であった頃、つまり1960年代までの繁華街であった。なお、仙台からの自動車は肉屋食堂前側の車線を右方向に走行する。

すぐに右折。自動車の入れない小路(ひょうたんの左)には飲食店が多い。笹谷峠にはひょうたんの前を右に進む。直角カーブの連続する枡形である。

枡形を過ぎれば笹谷峠、山形市への笹谷街道(旧国道286号線)である。

川崎町は明治以降には山形への輸送中継地として繁栄した。しかし、鉄道(仙山線。川崎町を通らない)、山形自動車道路ができ、国道286号線が整備されると、単なる通過地点となってしまった。釜房ダムの周囲の国営みちのく湖畔公園が、新しい観光地になっている。

 

川崎町に枡形が存在するのは、慶長年間の古い城下町であったことの名残りである。また江戸の参勤交代や物資輸送に笹谷峠が利用されたことによる宿場町の名残りでもある。宿場町としての問屋も駅もないが、険阻な笹谷峠の山麓の集落として、重要は物資補給と休息地であった。川崎町には、商業的な機能が集積し、商売が独占的であるほど大きな利益を得た。排他的な商業的集落として、枡形が集落の象徴であった。枡形は、地域商品経済独占地域の象徴的存在であった。川崎町を在郷町と定義すれば、在郷町の商人達が旅行者・運送業者などを相手に特権的な利益を得ることができた。この特権のシンボルが枡形であった。
枡形は、一時は屈曲しているので地域防衛のためと考えられたが、屈曲路で集落を守ることは不可能であり、防衛目的ではないと考えられるようになった。敵側が無計画に攻撃することはあり得ないからであり、むしろ屈曲路つまり枡形が地域防衛の障害になるのである。枡形は特権商人の存在する在郷町あるいは宿場町とか城下町などの象徴であった。

 

 

 



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