わいるどぴっぐの猪突猛進

いつも疑問に思うことを書いていきます。

第3 回発達支援セミナー

2022-11-26 12:42:00 | 発達障害
発達支援セミナー第3回の感想です。

・ASDと判定された男児で、学習障害があった。
・そこで子供にタブレットで学習させるようにすると、できるようになった。
・母親の懸命の努力により、学習障害には高次の学習障害と低次の学習障害があることがわかった。
・低次の学習障害とは勉強そのものはできるものの、文字そのものが読めないために起きるもののようだ。
・学校側の理解も最初は得られなかった。しかし子供は中学で微分や積分がわかるくらい賢いので、慶應に高校から進学した。
・慶應はかなり柔軟に対応してくれたり、先生自身が1年間の留学で発達障害について学んできてくれている。
・慶應から大学に行き、現在はアパレルブランドを経営している。

タブレットを与えることにより解決してしまっているため、人間関係そのものでつまづいている印象はなかった。そのため私には参考にならない気がしました。
彼の場合は勉強ができるため、問題になりにくい。

彼のコメントによると、今後は一般就労は考えていない。会社の中で合理的配慮を得る戦いをしなくてすむため、それでは普通の勤労者には参考に残念ながらならない。

#ASD #発達障害

適応とその結末

2022-10-05 16:40:29 | その他
こんにちは、ぴっぐです。
私は行き方には2種類あると思っています。
1つは適応で、もう1つは周りを変えることです。
適応とは、他人、環境、自然など、自分以外の基準に合わせることです。多くの人は、適応を選ぶように思います。

他人等の基準に合わせる過程で適法な行為をする人もいれば、違法な行為をする人もいます。違法としても取り締まられないだけで自己に都合のいい行為も沢山ありそうです。

周りを変えるとは、自分の基準に合わさせることです。言い換えると、私に、他人を適応させることです。
適法の典型例は議員やNPOですが、最近はgoogleはじめ民間事業者が社会のルールを変えることもあります。違法の典型例は革命ですが、安倍首相を殺害した被疑者も社会を変えつつあります。

多くの人間が適応を選ぶのは、適応による不利益が、それほど多くないからと私は見ています。仮に不利益が多くても、保育園以降、周りに合わせることを叩きこまれている日本人なら、適応できない自分に帰責性があると考えるように習慣化されていると私は見ています。その結果、合わせられない自分に責任があると勘違いして、最終的に自殺するというメカニズムです。これは何も企業だけでなく、社会にとっては都合がいいことです。社会つまり多数派にしてみれば、多数派と異なる人間は自責して勝手に死んでくれますので、多数派がルールを変える必要がなくなり、自分達に都合の良い状態を享受し続けられるからです。ブラック企業相手に裁判をせずにバンバン辞め続ければ、
ブラック企業は体制を見直す必要がないのに似ています。自殺対策はじめ、国や企業がパワハラ問題などに本格的に取り組まないように見える潜在的理由と私は考えます。

では適応を不得手とする人はどうしましょう。
適応以外の手段は、適法に他人を変えるか、違法に他人を変えるかです。
適応を不得手とするとは、何も人間関係に限りません。要は自分以外の基準の習得が苦手であるということであり、自分以外の基準とは法律であれ会計であれなんでも当てはまります。

となると残された道は違法行為です。
秋葉原にトラックで突っ込んだ加藤さんも、安部元首相を殺した被疑者も、自分にとって最良の手段を選択したと僕は考えています。その行為をしたから他人を100%変えられるとは言えませんが、現状が不利益だらけなのですから、ここで命を失うという不利益を選んでもさしておおきな不利益と言えないこととなりそうです。

しかも安部元首相事件は現に社会を変えつつありますから、むしろ彼らの望んでいる方向に動いています。

端的にまとめると、多数派が変わらない限り、少数派は定期的に違法行為によって均衡を破るという行動に出ざるを得なくなってしまう。

多数派は「わたしたちは適応することで自分達の地位を築いてきたのに、なぜその既得権益を失ってまでルールを変えなければいけないの。周りに合わせられない人は、責任感じて早く死んでくれ(または引きこもっててくれ)」と、自己にメリットのある行動をするとします。しかしそうなると適応が不得手な人は、生きてるだけで不利益を被ります。そして生きてるだけで不利益を被るなら、死んでもさして不利益は変わらないという結論にいたることがあります。そうなると神風アタックをしたところでデメリットはありませんから、神風アタックと選択肢に入りやすくなる。さらに神風アタックをした場合、もしかすると社会を変える契機にもなるなら、自分と同じ境遇の人を配慮する優しい人ほど、神風アタックを選択するのがメリットになってしまうという残念な流れです。

「いやいや本当に他人に配慮する優しい人なら、関係ない他人を巻き込むアタックなんかしなくない?」という反論も確かにあり得ます。そういったマインドを少数派が持つならば、勝手に自殺していくだけになりますます多数派は安泰になり何も変わりません。

そうなると「せっかくなら、少しぐらい変わる可能性があるといいな」と思う人ほど、神風アタックに近づくという説明でも構いません。

「お互いが自己都合ばかりを主張し合うことで社会は良くなると」いう、競争や闘いがベストソリューションというアメリカ的発想の行き着く先とも言えます。

この「多数」の分野がその時々で異なるだけで、多数VS少数という構図にて、「多数が自己に有利な行為をする限り」、均衡を破るのに違法行為は「少数にとっては自己に有利」ということを図らずしも示している気がしてやりきれなくなります。

図書館でのバトルを通して

2022-10-05 16:15:00 | 発達障害
こんにちは、ぴっぐです。
昨日、図書館で叫んでいる年配のおじさんがいました。叔父さんの言い分としては閉館間近で善意でノートパソコン電源を切って蓋を閉じたようです。しかし図書館としては勝手に電源を切られ、フタは閉じない運用なので困ったようです。そこで図書館から何か一言あったようですが、おじさんは善意を蔑ろにされたと思いブチギレたようです。なぜそこまで私にわかるかといえば、見かねた私がおじさんに話しかけ、おじさんの話を聞いたからです。おじさんは自らを善良な市民といい、司書をいじめてるわけでもないといい、私のような第三者がはいってくれることで中立的に見てくれる人がいて良かったと言いました。

おじさんが「私の味方がいてよかった」とはいわなかったところがポイントで、中立云々というので、普段は理性的な人なんだろうことを伺えます。しかしそんなおじさんが司書の上司に大声で怒鳴り続けるのをみると、おじさんは違法行為に近づいてることを認識できなくなっています。そんなおじさんは生きづらさを抱えているようで、何か私を見ているようでした。

私はおじさんの話を全部聞くと同時に、現場の人になにかいっても組織的改善は難しいので、市長、館長、部長などしかるべき人に意見書を書き、今度時間をとってもらうのはどうかとの提案をしました。

そうやって揉め事を解決した時に非常にやりがいを覚えました。同時に、私のやり方を突き詰めると、おじさんのように「正義を振りかざして無下の弱い人をいたぶるにすぎないことになるのか」という思いもあります。難しい選択を私は迫られているなと感じます。

おかしいことはおかしいと声を大にして叫ぶマインドがあると、世間は烏合の衆と思いつつあり、他人に対して排他的です。本当はそのような排他性はよくないのですが、多数派が変わらない限りは、多数派に主張し続けるしかないのかもと思います。ただその主張が違法であると取り締まられるだけで、違法でなければ裁判等で覆える可能性がある。鋼のマインドを持つことは、思いやりを捨てるということかなと思う面も残念ながらあるからです。

光トポグラフィー検査を受けました

2022-09-02 16:29:00 | 発達障害
こんにちは。ぴっぐです。
今回は光トポグラフィー検査をうけました。
光トポグラフィー検査とは

脳の血流量の変化パターンからうつ病がわかる検査です。これにより、うつ病か、うつ病としても躁うつ病か判断する資料になります。あくまで判断する一資料に過ぎず、これだけでうつ病と断定できるほどの正確性はいまのところないとされます。同時に、光トポグラフィーによる検査は、精神科医の問診によるうつ病判定と70%程度、統合失調症に関しては90%一致するとのデータもあります。
つまり、うつ病かそうでないかの判断には、一定程度使えるとのこととになります。

自費診療とされ病院により幅はありますが、1万3000円から2万5000円前後が多いと思います。

これによりうつ病の可能性はないと言われました。しかし脳の特徴が①過敏で②切替が苦手、としてきされました。うつ病かどうかの判定資料になることに医学的コンセンサスはありますが、過敏さや切替の苦手さがわかることまで医学的コンセンサスがないように思います。

ただ光トポグラフィー推進派の医師の意見を要約すると以下のようになります。
1.脳が過敏であるとは、他人と同じ刺激量を受けても、そこから得られる情報量が莫大に多いこと。つまり仮に1という刺激をうけて普通の人が1という情報しか得られなくとも、私の場合は10という情報量を得るそうです。
2.切り替えが苦手とは、自分の着眼点に固執したり、うまくいかない時に心の切り替えが苦手ということになります。
1と2の特徴をプラスの方から見ると、洞察力が鋭く、他の人が気がつかないところに気づき、ユニークな着眼点を持ちます。そして粘り強く、根気があり、最後までやり遂げると言えます。
1と2の特徴をマイナスの方から見ると、あまりに多くの情報を受け取るために疲れやすく、処理に時間がかかる。そして1つのことにこだわりがちで、全体を見て進むことや妥協が苦手と言えます。また不安に対して、切り替えが苦手で気分転換が不得手と言えます。
これを水とバケツに例えていうと、過敏性があるとは水が大量に蛇口からでている状態だそうです。そして切り替えが苦手とは、バケツが満杯になってもなかなか捨てられない状態だそうです。そのためバケツから水が溢れ、常に本人が疲れてしまうとのことです。

そしてまさに、この①過敏で②切替が苦手が発達障害の特徴だとのことです。発達障害にはADHD、ASD、LD、トゥレット症候群がありますが、これらの共通項が①②のようです。
(ここは調査が必要)

ではこの過敏性と切り替えの苦手さに対して、何か対処法はあるのでしょうか。
まず過敏性に対しては、非定型精神病薬というのが使われることが多いそうですが、副作用としてアカシジアの確率が高くあまり推奨されないようです。また、人により効くか個人差がありすぎるそうです。

切り替えの苦手さに対して効く薬は見つかっておらず、TMS推進派と慎重派にわかれます。TMSとは頭に電流を流す治療です。自費診療で20-40万円ほどします。保健治療もありますが、保健適用の条件は厳しく自費診療が殆どです。

医師の話をまとめるとこれは脳の異常や疾患と呼べる程度のものでないため、先天的な性質であり個性と医学的にはされるそうです。そのため医学的な観点からするとその個性を社会がうけいれるか、個人が諦めて社会生活をやめるかという2択になるそうです。

さてさて。
話は見えて来ました。社会が変わるか、本人が諦めるかということです。つまるところそれは、社会がどの程度の個性まで受け入れるかという問題に思います。



東大メンタル(ASDの頭の使い方と勉強できる人の頭の使い方の違い)

2022-08-05 13:50:22 | 書評
こんにちは、ぴっぐです。お久しぶりです。いい本に出会ったので書きたいと思います。
その名も「東大メンタル」(西岡壱誠、中山芳一/日経BP社)

東大生が東大生を分析してみたという類の本です。この副題が素晴らしく、「やりたくないことでも結果を出す技術」とあります。それでは参りましょう。

筆者によれば「あなたは勉強が好きですか?」という質問を東大生にしたところ、8割の人が好きだと答えるそうです。しかし「受験を目指して本格的に勉強を始める前から好きでしたか?」という質問に対しては、好きだったと答える人は4割未満になるそうです。(p.42)つまり勉強を好きだから受験勉強したというより、受験勉強を進める過程で好きになったという仮説が立ちます。では当初はやりたくなかった受験勉強ですが、やる気がでない時は以下のスステップをふむとしています。

第1、目標を立て、目標達成に必要な行為を数値化する
人は無意味なことをしている時に、精神的に追い詰められる(辛いと感じる)
無意味なことをしている時とは、自分で目標を立てて前向きに取り組めていないことである。
自分で目標を立てて前向きに取り組めていないこととは、自分の意思で目標を設定できていないことである。
したがって、自分の意思で目標を設定していれば、意味があることと思える。(p.32-60)

では自分の意思で目標を設定するとは、どういう意味でしょう?
それは課題を、ドラクエのようにゲーム化することだそうです。
人間は楽しかったら努力をするし、楽しくなかったら努力をしません。・・・古文や歴史を学ぶのに漫画を読むというのが有名ですが、ほかにも自分で専用のカードゲームを開発したという人がいたりします。要するに、この人たちは自分から楽しめるように努力することを厭わなかったわけです(p.67)


筆者はこのように、「自分の行動に対して、自分の意思で、目標を設定すること」を「主体性」と定義(p.60)して、主体性があれば無意味なことをしている感覚がなくなるとしています。 

私は本当かなと思うのですが、その疑問は脇におき、主体性を獲得する手法を以下のように展開します。
1.具体的な数字で目標を設定する
2.制限時間を設定する
3.達成できたらゲームクリア
です。

もっとも常に数字で目標を達成できるとは限らないため、数字で目標を設定するにはいくつかの小技が必要です。
1-1 状態目標(例:後輩の目標になりたい)を設定する
1-2 行動目標(そのためにいい小論文を書く)に落とし込む
1-3 数値目標(いい小論文を書くために、毎月3冊本を読む)に落とし込む
という具合です。 

「理想の自分」や「合格」や「痩せる」などの理念はゴールであるものの曖昧ですから、それを達成するための行動にする。さらに行動の基になる書籍数などに押し込み、対策していくわけです。

もっともここでも問題はあり、どのような行動や書籍に落とし込めばわからない場合です。そこで以下のように細分化します。「行動を5つ」、「行動のために必要な書籍を1つ」のように無理くり複数あげます。
【1-1状態目標 (例:コミュニケーションスキルを高める) 】
1-1-1 状態目標の達成に必要な具体的要素を5個以上書き出す
初対面の人とも会話できる
人前でも物怖じせずに話せる
相手の立場にたって会話をできる
ユーモアのセンスがある
話した相手に好印象を与える

【1-2 行動目標】
1-1-2 状態目標に達成に必要な行動目標を5個以上書き出す
初対面の人と会うような勉強会に参加する
TEDの動画を見てプレゼンの技術を学ぶ
相手の立場に立って会話をする本を読む
・・・ (略)

【1-3 数値目標 】
1-1-3 行動目標の数値目標に置き換える
勉強会に月1回参加する
TEDの動画を週1本見る
相手の立場に立って会話をする本を月1冊読む
・・・(略)


第2、自分で考えない
目標設定において主体的であること一見矛盾するのですが、「具体的に何をするのか」を自分で考える必要がないとしています。例えば「初対面の人と会話できる」の場合、その具体的行動を過去に誰かが考えているかもしれません。「知らない人に街で話しかけようか」と、自分で創造的に考える必要がないとしています。特に初めて物事に取り組んだ分野では、仮説自体が的外れなことがあるわけです。

試験であれば、その試験に歴史があればあるほど傾向があります。また上司との関係で悩む人は、長い人類の歴史で過去にあるでしょう。このように同じように疑問を抱え対策をしている先人はいる可能性が高く、「ネットで調べる」や「先輩の意見を聞く」などして、既存の方法を試すことを推奨しています。
ネット検索で「新商品の開発の仕方」を調べてみれば、たくさんのアプローチが見つかります。アイデアの達人が書いたいい本も見つかるでしょう。その中から「自分と似た課題に、優れた答えを出した人」を探せばいいのです。人間の悩みなど、それほど多くの種類があるわけでありません。大抵の悩みは、自分が考えるよりも前に、たくさんの人が悩んでいて、いい答えを出している人がいます。そこを調べて解答を見ちゃった方が効率的です(p.343)

これは前例踏襲に繋がるという負の側面があるのは間違いなく、いつもの私なら否定的です。しかし自分より賢い人が解決策を作っていることも人類の歴史でありえますから、自分でゼロから考える必要などないことを指しています。

私が大学に入学した頃、京大在学中に司法試験に合格した教授がこう言いました。
人類の歴史の中で君が考えるような疑問は誰かが考えて、すでに解決していることの方が多い。だから自分のオリジナリティを出すためには、まず過去の集積を学ぶ必要がある。その蓄積になかったものが初めてオリジナリティになるので、過去の集積を素早く学ぶ技術そのものが重要なのです。

きっと教授は東大メンタルの筆者と同じ考えで、物事の処理を自分で産み出す喜びよりも、誰かが発明した方法で手短に処理する方に重きがあるのでしょう。

第3、相対的に考える
試験なら試験問題を作る人が、試験の答えを考えた上で作ります。仕事なら、上司が指示を与えた時点では上司自身も漠然とした答えしかないかとしれませんが、後ほど仕事の査定をします。経営者なら、これまた消費者の行動という曖昧なものですが、それでも消費者の行動をみて判断します。このように採点基準、査定基準、購入基準といった自分以外の第三者の基準があるため、「●●という行動をする」という状態目標の設定では、自分で考える必要はないと筆者はします。つまり判断する人の基準に合わせているだけであり、物事を完璧にする必要はないとも言い換えられるわけです。例えばTOEICに絞って勉強すればTOEICの点数が上がっただけであり、何も英語が万能になることまでは必ずしも意味しない。簿記1級に特化して勉強すれば簿記1級に合格できたというだけであり、あらゆる経理の問題を処理できるようになることも意味しないわけです。このように「目標達成した」というだけで、「その分野に万能になった」とか「なんでもかんでも答えられる」ことを意味するわけでないのです。

これは私にも実感があり、ビジネス実務法務検定1級をうける際に過去問しかしませんでした。そのため体系的に著作権法、特許法、景品表示法を学んでいませんので、自分で説明することはできません。しかしそれら法律で頻繁に問題になる現象と条文自体は過去問と解答例で触れているため、「自分でゼロから説明はできないけども、どうやらこれが頻繁にある生じる問題で、頻繁に生じる問題にはこの条文らしい」との指摘ができます。つまり物事を本質的に理解なんか全くしてないのですが、誰か営業担当から質問されれば説明したことになるわけです。

第4、最低基準と目標基準を作る
状態目標から行動目標と数値目標を作ったとしても、高い数値によって自分を苦しめてやる気をなくすことなどいくはでもあります。そこで、「最低限の目標」と「理想的な目標」の2つを作りその間で物事を処理することで心が折れないようにするということになります。

まとめ
以上のことを私なりの言葉でまとめると以下のようになります。
1.試験、仕事、人間関係のように、自分が判断する権限のないところでは、自分で考えない。まして「本質的」だとか「真髄」だとかいうことは考えなくていい。言葉足らずだったり、よくわからない説明だったりするが、世間ではその程度で良いとされるためである。
2.他人に判断する権限がある場合、その対策方法も自分で考えなくていい。長い歴史があったり、多くの人が関わったりする分野ほど、既に賢い人が対策を作成していることがあるためである。そして長く残っている方法ほど対策としての効果が保証されたと仮定して、実行してみる。
3.その対策において状態目標→行動目標→数値目標と、数値化に落とし込む。
4.数値化できたとしてもハードなものは途中で心が折れるので、最低目標と理想という2つの数値を作ってその間でやりくりする。

つまり「自分で創造する必要なんてほとんどないよ」とか「自分が納得しなくても、他人の基準を満たすことはいくらでとあるよ」ということを言っており、「あなたの考えなんてどうでもいいから誰かの真似を一生懸命したらどうか」と言っています。

さてさて、ここまで方策はわかりましたがここからが問題です。
【疑問1】
マニュアル化されない分野はどうするのか?(●●心得という類の本はあるけども、社内で日々発生する例えば上司とのコミュニケーションを、具体的ケースで書いたものはほとんどない。また、異性とのデートをケーススタディごとにしたものもほぼ見たことがない。そのため「気の利いたコメントをする」とか「相手が気分良くなるように」という指摘はあっても、「気の利いた」とか「気分良く」とは、目前の人の価値観に依存する。そしてその「①目前の人の判断基準の見分け方②その判断基準からすると、どのような表現が気の利いたと判断されるか」というところまで踏み込んだものがない)
【疑問2】
ASDに顕著と思いますが、そもそも他人のルールに従うのが苦痛の人はどうするか?

それは別の本で探っていきましょう。 東大メンタルによれば、自分で想像的に考える必要はこれっぽちもなくて「誰かが作った先例を使う」のがベースのようなので。