「任天堂 驚きを生む方程式」
井上 理
日本評論社
http://www.amazon.co.jp/%E4%BB%BB%E5%A4%A9%E5%A0%82-%E2%80%9C%E9%A9%9A%E3%81%8D%E2%80%9D%E3%82%92%E7%94%9F%E3%82%80%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F-%E4%BA%95%E4%B8%8A-%E7%90%86/dp/4532314631
1889年 任天堂設立。意味は、人事を尽くして、天に任せるとのこと。最初は花札の会社だったそうです。
1949年 任天堂を今の大きさにした山内溥さんが22歳で3代目として就任。
1953年 日本で初めてプラスティック製のトランプを発売。(26歳)
1965年 横井軍平入社。(38歳)
1980年 ゲームウォッチ発売。(53歳)
1983年 ファミコン発売。(56歳)
1986年 ディスクシステム発売。(59歳)
1989年 ゲームボーイ発売。(62歳)
1990年 スーパーファミコン発売。(63歳)
1996年 Nintendo64発売。(69歳)
2001年 ゲームキューブ発売。(74歳)
2002年 山内さん引退。岩田聡に交代。
2005年 ニンテンドウDS発売。
2006年 Wii発売。
世界に名の知れたニンテンドウ。その組織はどんな哲学があるのか知りたくて読みました。
3代目の山内さんの時にファミコンができたわけですが、その山内さんはどんな人かというと裕福な家庭育ちだったそうです。東京で遊びたいということで早稲田法学部に進学。当時の渋谷の高級住宅街で1軒屋をかり、ビフテキ、ワインを食べる日々。それが変化したのは2代目である父が急逝したからだそうです。
戦後すぐにプラスティック製のトランプに着手するなどして、頭角を現したそうです。
任天堂はファミコンなどのヒット作品がある一方で、Nintendo64、ゲームキューブなどは大きく失策。当時はソニーのプレイステーションに大きく負けます。
しかしながら任天堂は「所詮、ゲームは娯楽」という考えから、娯楽であれば生活のジャマになってはいけないということで「お母さんにジャマに思われない」ようなものを考えた。例えば子供がテレビゲーム使用後にかたづけが済んでいないと、お母さんが怒る。そうなると一層、新しいゲームを購入してもらうことは難しくなる。そこで家族のジャマに思われないようにしないとゲーム人口は拡大できないと考え、お母さんも楽しめるものとしてwiiの発明に至ります。
ここは一つのことを示唆しています。
当時は画面や音の高性能化が進む中で、敢えてその機能は膨らませずにお母さん基準で考えたわけです。ゲームが所詮は娯楽だから、娯楽として受け入れられるものでないといけないと。
これはドラッガーの中にあった、「マネジメントとは、我々の事業とは何かの定義付けることから始まる」←「顧客によって事業は決定される」←「顧客を満足させることが事業である」に通じるものがあると思う。つまり、
「マネジメントとは、我々の事業とは何かの定義付けることから始まる」=お母さんの満足度も巻き込んだものが娯楽と定義付けされる。
「顧客によって事業は決定される」=お母さんによって事業は決定される。
「顧客を満足させることが事業である」=顧客であるお母さんを満足させることが事業である。
専門性が高くなるほど、ついつい自分の視点にこだわりがち。
そんな中でお母さんに目をつけて事業拡大を考えたわけですよね。
そう考えると、最近のJTが喫煙マナーを多く取り上げているのは、
顧客≠喫煙者
顧客=非喫煙者 ということなのかな?
非喫煙者を満足させるには、喫煙マナーを喫煙者に守らせるということ。
こういう理解であっているのかなあ!?
井上 理
日本評論社
http://www.amazon.co.jp/%E4%BB%BB%E5%A4%A9%E5%A0%82-%E2%80%9C%E9%A9%9A%E3%81%8D%E2%80%9D%E3%82%92%E7%94%9F%E3%82%80%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F-%E4%BA%95%E4%B8%8A-%E7%90%86/dp/4532314631
1889年 任天堂設立。意味は、人事を尽くして、天に任せるとのこと。最初は花札の会社だったそうです。
1949年 任天堂を今の大きさにした山内溥さんが22歳で3代目として就任。
1953年 日本で初めてプラスティック製のトランプを発売。(26歳)
1965年 横井軍平入社。(38歳)
1980年 ゲームウォッチ発売。(53歳)
1983年 ファミコン発売。(56歳)
1986年 ディスクシステム発売。(59歳)
1989年 ゲームボーイ発売。(62歳)
1990年 スーパーファミコン発売。(63歳)
1996年 Nintendo64発売。(69歳)
2001年 ゲームキューブ発売。(74歳)
2002年 山内さん引退。岩田聡に交代。
2005年 ニンテンドウDS発売。
2006年 Wii発売。
世界に名の知れたニンテンドウ。その組織はどんな哲学があるのか知りたくて読みました。
3代目の山内さんの時にファミコンができたわけですが、その山内さんはどんな人かというと裕福な家庭育ちだったそうです。東京で遊びたいということで早稲田法学部に進学。当時の渋谷の高級住宅街で1軒屋をかり、ビフテキ、ワインを食べる日々。それが変化したのは2代目である父が急逝したからだそうです。
戦後すぐにプラスティック製のトランプに着手するなどして、頭角を現したそうです。
任天堂はファミコンなどのヒット作品がある一方で、Nintendo64、ゲームキューブなどは大きく失策。当時はソニーのプレイステーションに大きく負けます。
しかしながら任天堂は「所詮、ゲームは娯楽」という考えから、娯楽であれば生活のジャマになってはいけないということで「お母さんにジャマに思われない」ようなものを考えた。例えば子供がテレビゲーム使用後にかたづけが済んでいないと、お母さんが怒る。そうなると一層、新しいゲームを購入してもらうことは難しくなる。そこで家族のジャマに思われないようにしないとゲーム人口は拡大できないと考え、お母さんも楽しめるものとしてwiiの発明に至ります。
ここは一つのことを示唆しています。
当時は画面や音の高性能化が進む中で、敢えてその機能は膨らませずにお母さん基準で考えたわけです。ゲームが所詮は娯楽だから、娯楽として受け入れられるものでないといけないと。
これはドラッガーの中にあった、「マネジメントとは、我々の事業とは何かの定義付けることから始まる」←「顧客によって事業は決定される」←「顧客を満足させることが事業である」に通じるものがあると思う。つまり、
「マネジメントとは、我々の事業とは何かの定義付けることから始まる」=お母さんの満足度も巻き込んだものが娯楽と定義付けされる。
「顧客によって事業は決定される」=お母さんによって事業は決定される。
「顧客を満足させることが事業である」=顧客であるお母さんを満足させることが事業である。
専門性が高くなるほど、ついつい自分の視点にこだわりがち。
そんな中でお母さんに目をつけて事業拡大を考えたわけですよね。
そう考えると、最近のJTが喫煙マナーを多く取り上げているのは、
顧客≠喫煙者
顧客=非喫煙者 ということなのかな?
非喫煙者を満足させるには、喫煙マナーを喫煙者に守らせるということ。
こういう理解であっているのかなあ!?