わいるどぴっぐの猪突猛進

いつも疑問に思うことを書いていきます。

ゲームの顧客はだれか?

2015-11-23 11:21:14 | 書評
「任天堂 驚きを生む方程式」
井上 理
日本評論社
http://www.amazon.co.jp/%E4%BB%BB%E5%A4%A9%E5%A0%82-%E2%80%9C%E9%A9%9A%E3%81%8D%E2%80%9D%E3%82%92%E7%94%9F%E3%82%80%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F-%E4%BA%95%E4%B8%8A-%E7%90%86/dp/4532314631

1889年 任天堂設立。意味は、人事を尽くして、天に任せるとのこと。最初は花札の会社だったそうです。
1949年 任天堂を今の大きさにした山内溥さんが22歳で3代目として就任。
1953年 日本で初めてプラスティック製のトランプを発売。(26歳)
1965年 横井軍平入社。(38歳)
1980年 ゲームウォッチ発売。(53歳)
1983年 ファミコン発売。(56歳)
1986年 ディスクシステム発売。(59歳)
1989年 ゲームボーイ発売。(62歳)
1990年 スーパーファミコン発売。(63歳)
1996年 Nintendo64発売。(69歳)
2001年 ゲームキューブ発売。(74歳)

2002年 山内さん引退。岩田聡に交代。

2005年 ニンテンドウDS発売。
2006年 Wii発売。

世界に名の知れたニンテンドウ。その組織はどんな哲学があるのか知りたくて読みました。
3代目の山内さんの時にファミコンができたわけですが、その山内さんはどんな人かというと裕福な家庭育ちだったそうです。東京で遊びたいということで早稲田法学部に進学。当時の渋谷の高級住宅街で1軒屋をかり、ビフテキ、ワインを食べる日々。それが変化したのは2代目である父が急逝したからだそうです。
戦後すぐにプラスティック製のトランプに着手するなどして、頭角を現したそうです。

任天堂はファミコンなどのヒット作品がある一方で、Nintendo64、ゲームキューブなどは大きく失策。当時はソニーのプレイステーションに大きく負けます。

しかしながら任天堂は「所詮、ゲームは娯楽」という考えから、娯楽であれば生活のジャマになってはいけないということで「お母さんにジャマに思われない」ようなものを考えた。例えば子供がテレビゲーム使用後にかたづけが済んでいないと、お母さんが怒る。そうなると一層、新しいゲームを購入してもらうことは難しくなる。そこで家族のジャマに思われないようにしないとゲーム人口は拡大できないと考え、お母さんも楽しめるものとしてwiiの発明に至ります。

ここは一つのことを示唆しています。
当時は画面や音の高性能化が進む中で、敢えてその機能は膨らませずにお母さん基準で考えたわけです。ゲームが所詮は娯楽だから、娯楽として受け入れられるものでないといけないと。

これはドラッガーの中にあった、「マネジメントとは、我々の事業とは何かの定義付けることから始まる」←「顧客によって事業は決定される」←「顧客を満足させることが事業である」に通じるものがあると思う。つまり、

「マネジメントとは、我々の事業とは何かの定義付けることから始まる」=お母さんの満足度も巻き込んだものが娯楽と定義付けされる。
「顧客によって事業は決定される」=お母さんによって事業は決定される。
「顧客を満足させることが事業である」=顧客であるお母さんを満足させることが事業である。

専門性が高くなるほど、ついつい自分の視点にこだわりがち。
そんな中でお母さんに目をつけて事業拡大を考えたわけですよね。

そう考えると、最近のJTが喫煙マナーを多く取り上げているのは、
顧客≠喫煙者
顧客=非喫煙者 ということなのかな?
非喫煙者を満足させるには、喫煙マナーを喫煙者に守らせるということ。

こういう理解であっているのかなあ!?

年齢制限がなくなるプロセス

2015-11-14 14:58:06 | 書評
「いつでもクビきり社会」
森戸英幸(文春新書)
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%A7%E3%82%82%E3%82%AF%E3%83%93%E5%88%87%E3%82%8A%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E2%80%95%E3%80%8C%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%BD%A0-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%A3%AE%E6%88%B8-%E8%8B%B1%E5%B9%B8/dp/416660693X

日本のシステムは年功序列を元にしている。その理由は、高度成長期に最高裁裁判所が解雇規制を採用したからですね。現在は労働契約法16条に引き継がれてます。
ではこの年功序列を廃止したらどうなるか。アメリカ、ヨーロッパの法制と比較して分析します。

エイジフリー先進国と言われるアメリカは、1967年に「雇用における年齢差別禁止法」(通称、年齢差別禁止法)が制定されています。採用、昇進・昇格、賃金決定解雇など雇用のあらゆる面における年齢に基づくあらゆる差別が禁止されます。EUでも2000年11月のEC指令78号が、雇用における年齢差別を禁止しています。ヨーロッパも大差ないようなので、アメリカを例にします。

年齢制限に大きく2つ存在します。
一つは、採用時の年齢制限。もう一つは、退社時の年齢制限です。

1、 アメリカの制度
(1)原則
アメリカの年齢差別禁止法は、40歳以の者を年齢が高いという理由で差別してはならないというルールです。もっともこれは連邦法なので、より厳しい制限を州ごとにすることもできます。例えば30歳以上とすることです。
(2)例外
ア、年齢がその事業の正常な運営に欠かせない真正な職業上の資格であること
イ、年齢以外の合理的理由のあること
ウ、真正な福利厚生制度の定めに基づく行為であること
エ、正当な理由による解雇であること

「年齢がその事業の正常な運営に欠かせない真正な職業上の資格であること」とは、この仕事をするには客観的に60歳未満でないと無理と言えることです。しかしこの例外は殆ど認められない。
「年齢以外の合理的理由のあること」とは、セクハラ等別の合理的な理由ですね。
「真正な福利厚生制度の定めに基づく行為であること」とは、例えば会社が従業員を生命保険に加入させ保険料を負担した時に、保険料が従業員の年齢に比例して高くなる場合です。1000ドルの出費で30歳の従業員は10万ドル保障の保険を購入できるが、60歳の従業員では7万5千ドルかもしれない。この少ない保険金しかもらえないとしても、差別にならない。
「正当な理由による解雇であること」とはその通りですね。非違行為等です。
これらは日本の基準よりも厳しいです。
(3)定年制に対する例外
ア、退職直前の2年間に真正な上級管理職または高度な意思決定権限をともなう地位にあった労働者については、年間4万4千ドル以上の退職給付をすること
イ、連邦公務員の一定の職員(航空管制官、消防士、警察、外交官等)
 ただしこれは実際に殆ど問題にならない。アメリカでは高い地位についた者ほど、早期退職してセカンドキャリアを求めるから。また消防士等は体力的問題があるからですね。
(4)年齢差別法の影響
 立法時は募集における差別を一番問題視していた。なぜなら当時の議会では、高齢者の失業率自体は若年層に比較して高いと言えないが、失業期間が長いからである。しかしその後、この考えは変わる。採用時に企業に問題があっても、そこで法的闘争をするよりも、次の企業を探した方が本人にとって効率的だからである。それに対して定年の側面では、社内での人間関係、貢献、思い入れなどあることから、問題になりやすい。そこで退職の場面において年齢差別禁止法が生きてきた。
 では、どんな理由で会社を辞めるのか。大きく3つ挙げられる。
 第1に、早々に引退して、セカンドキャリアを築くということ。
 第2に、仕事の厳しさがある。終身雇用を前提としないアメリカでは、業績評価が厳しい。さらに年齢によって評価基準が変わらないので、高齢者はそれだけ働くのが大変になる。
 第3に、企業年金制度の影響である。企業はある年齢で従業員が会社を辞めるのが一番有利なような制度を整えることで、引退を促している。例えば、公的な医療保険制度の開始年齢が65歳なので、いま辞めれば65歳まで会社で医療保険を持つよという具合である。
(5)まとめ
 年齢差別を禁止していることで、問題となるのは主に退社の部分。しかし政策的に若い人を入れたい側面はあることから、政策的に定年が設けられることも認められている。もっとも、アメリカの仕事に対する厳しさ、公的年金への橋渡し政策などによって、実質的に定年までに辞める人の方が多い。
 また、年齢差別がなくなると、年齢にかかわりなく評価基準が一律になるので、高齢者ほどシンドイ職場というのも生まれてくる。

2、日本の場合
 (1)原則
 2007年10月以降に施工された雇用対策法10条によって、基本的には採用時に年齢制限ができなくなっています。「バイト募集35歳まで」というのは違法です。
(2)例外
 雇用対策法施行規則1条の3にあります。
簡単に言うと、
1、 定年が60歳なので60歳の方
2、 例えば労基法で18歳未満が禁止さているようなもの
3、 正社員として長期雇用を前提として、さらに経験不問のときに新卒採用に限ること
4、 営業職に30代が殆どいないなど、会社のなかに偏りがある場合
といった感じです。(他もありますが、それは割愛)
参考:東京労働局
http://tokyo-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/hourei_seido_tetsuzuki/shokugyou_shoukai/20070925-kintou.html

http://www.akiyaku.or.jp/kyujin/seigen.pdf

3、まとめ
 日本の制度もまずは退社の場面における年齢制限がなくなり、その後に入社の面について年齢差別の問題がなくなるだろうとのこと。
 しかし日本の場合は会社とは別に年齢によって言葉を使い分ける問題があり、そこを会社の中でどうするかが出てくるという。年齢は上だけど役職が下とかいうことですね。
 私は前から思うのですが、敬語を廃止すればいいと思います。みんな丁寧語で話せば、そんなの簡単にクリアできるからです。
 また終身雇用を前提としたからこそ新卒採用がありますが、それは今後は無駄になると思います。すでに就職氷河期で就職できなかった40代、引きこもりから復帰できない人など沢山いて、現状の判例をもとにすると生活保護を一斉に今後請求することになる。
 となると採用の段階で新卒を企業がやめ、まず雇ってみて、そこで割と高めの給与を与えて、その代わりに試用期間で厳格な判断とした方が最高裁の判例にも抵触しない。
 採用活動にしても、周りと同じやり方をすればいいとう時代は終わったと僕は思います。

止めることは悪いことか?

2015-11-01 17:54:39 | 書評
諦める力
為末大(プレジデント社)


僕はこの人のことをよく知りませんが、400mハードルの銅メダリストです。
そのことは別にして、かなり印象に残っているのが以下の部分です。一部です。

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中学三年生になった僕は全国中学選手権大会の100m、200m、400m、走り幅跳びなど複数の種目で中学ランキング1位になった。中学三年生のときの100mのタイムはカールスイスの同じ年齢の時のタイムを上回っていた。ルイスになるという夢は本当にかなうと信じてひたすら練習に励んだ。

しかし、インターハイでは顧問の先生が100mでの出場を取り消してしまっていた。
僕は早熟で、高校生の段階である程度の肉体は完成していた。だが、瞬発力と爆発的なスピードが必要な100mで肉離れを繰り返していた。先生は肉離れをさせたくないと思い、200mと400mの二種目に絞った。

「高校最後の年のインターハイと国体は200と400に絞って、大学に入ってから100に専念したらいいじゃないか」僕は渋々納得した。

100mは数ある種目のなかでも競技人口が突出して大きい。
多くのアスリートが100mに参入するが、特別のアスリートだけが残り、可能性の見えないアスリートは去っていく厳しい世界だ。

高校三年生までは「がんばれば夢はかなう」という意識で生きてきた。
陸上で最も強い奴らの中で俺が一番になってやるという野望を持っていた。ところが、僕はかつてのライバルや後輩に負け、100mで勝てるという自信がなくなっていった。

そのころから、顧問の先生に勧められていた400mハードルという種目を意識的に見るようになった。すると違う意味で驚かされた。世界のトップ選手が集う国際大会のレースだというのに、走ってきた選手がハードルの手前に来るとチョコチョコと歩幅を合わせるような動きをしている。そういう無駄な動きをしている。そういう無駄な動きをしている選手が金メダルを取っているのだ。その時に抱いた率直な感想はこうだ。
「100mでメダルを取るよりも、400mハードルの方がずっと楽に取れるのでないか」
もちろん世間の人からみた100mと400mハードルのインパクトは全く異なる。それでもメダルはメダル。同じメダルであるにも関わらず、取りやすさがまったく違った。
為末さんは世間の100m至上主義という価値から離れて、自分に合った価値観を取るという選択をしたということですね。世間の多数派が頂いている価値観から離れることにした。
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日本では何か一つのこと続けることは素晴らしいことという価値観があると私は思う。
沢山のことを広くまんべんなくやるよりも、一つのこと極めること。
剣道、柔道、茶道とすべて一つの技術を超えて、道という人生につながっている。
「一度始めたのなら、最後まで続けない」と子供に言う親も多いのでないか。

しかし、そうなると最初に選んだものが一番自分に向いているとは限らない。そう考えると、最初に選んだというだけで続けることになる。

ノーベル賞を取った山中教授は、他の研修医が20分で終わる手術に2時間かかったという。そこから「ジャマなか」と呼ばれたという。しかし山中さんは研究者の道にいって成功した。

もちろんすべての人が手段を変えれば成功する訳ではない。
しかし何かを変えるということは、それはやめるというは悪いことばかりでない。
まして言えば、僕は逃げるというのも重要だと思っている。

むかしアニマルプラネットでこんな番組をやっていた。
ねずみは進化の過程で、種を守るためにハリを獲得した。それがハリネズミである。しかしそのハリネズミも天敵に遭遇したとき、いきなり戦わない。まずは逃げる。そして逃げきれない時にだけ戦う。

何かをやめるということは、次の可能性にチャレンジする素晴らしいものと思えてきました。
ここでも鈴木さんの考えにたどりつきます。
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私が感じる日本と海外の一番の違いは、「失敗してもいい」という前提があるかないかなんです。海外では、たとえ失敗しても、それは次の成功につながるものとして前向きに評価されますが、日本では「失敗は絶対に許されない」という表現をよく使いますよね。自分が失敗したら、社会や世間に多大な迷惑をかけてしまうと思って萎縮しているように見えます。
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私は良い方向に向かっている気がするのは気のせいかな!?