たけしの面白科学者図鑑
人間が一番の神秘だ!
人間が一番の神秘だ!
という本を読みました。
ビートたけしさんが色々なジャンルの科学者さんと対談するサイエンス本。3冊ある中の人間編です。とても面白かったです。
例えば
極東の日本は弱い人たちの吹きだまり
人間は記憶を曖昧にするように進化した
人間はネアンデルタール人のDNAを持つ
人間は言葉があるから死を恐怖する
皮膚は情報処理をする第三の脳
などなど。
そんな中で一番興味深くてびっくりしたのは、文化人類学者の西江雅之さんのお話で、恥ずかしさの文化の違いについて。以下要約。
ウガンダのある種族が近代国家の一員になり、衣服を着るようになった。しかし、シャツは着るけれども、下は何もはいていない。なぜかというと、パンツをはくことだけは、人間として恥ずかしくてできないと言う。下だけは勇気がなくて布など付けられない、と。
逆じゃないの?というその光景に笑ってしまうと同時に、感覚のあまりの違いに驚きました😵
その種族の人たちにとって、下半身はいつも誇示するべきものであって、それを隠すのは自分を卑小に見せる行為なのかな。いや、もっと人間の尊厳にかかわることなのかもしれない。
逆に私たちが下半身をさらして歩けと言われても、とてもできないのと同じくらい恥ずかしいことなんだろうな(たまにさらしたがる人もいるけど)
では私にとって、隠すことが恥ずかしいことってなんだろう。あまり思いつかないけれど、ふと思ったのがマスクをしたがらない人々。
マスクが息苦しくて不快なのは分かるけれど、かたくなにノーマスクを貫こうとする人たちがいますよね。私はそんな人たちをとても奇異に感じていましたが、それはひょっとしたら恥の感覚と関係があるのではなかろうか。マスクで顔を隠すことは、その人たちにとって尊厳にかかわるぐらいに恥ずかしいことなのかもしれない。そういうことなら理解できないこともない。
逆に私はコロナが収束してマスクを外した時、いつも行くスーパーのスタッフさんたちに「この人ってけっこう〇〇だったのね」なんてあれこれ思われたりしたらイヤだわ、などと思う自意識過剰なおばさんなのでした。
マジでずっとマスクしていたい😷
おわり😎