今日は昨日と違って秋晴れの1日でした・・。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/33/2e13885b6df72fd57161aeaa24cbb37f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/33/2e13885b6df72fd57161aeaa24cbb37f.jpg)
さて今日は特別出かける予定もなぜかなくベランダで読書をしておりました。
お線香を1本立てて・・。お線香って実は大嫌いでした。なんか年寄りのにおいがする感じでオシャレな「お香」も同じように好きではありませんでした。それが・・坐禅をするときにちょうど砂時計の役割をするのに気が付いて13センチくらいでちょうど30分です。きっと仏壇のお線香も元々お坊さんが時を知るために使ってたのがはじまりなんじゃないかと思いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/f4/40683eb149a3dc11dbb7ff2c2589bc09.jpg)
そんな中、三浦綾子さんの「銃口」の中に出てきたのちの東大総長の矢内原忠雄さんの戦争に社会を引き込もうとする国家にたいして学者としての姿勢がちょうど今の学術会議の問題と重なりあって考えさせられました。
Wikipediaから
『1937年(昭和12年)、盧溝橋事件の直後、『中央公論』誌9月に「国家の理想」と題する評論を寄せた。国家が目的とすべき理想は正義であり、正義とは弱者の権利を強者の侵害圧迫から守ることであること、国家が正義に背反したときは国民の中から批判が出てこなければならないことなど、今日では日本でも常識化した民主主義の理念が先取りして述べられていた 』
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます