ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。

私の症状

2020-01-16 | 症状とともに生活する
今私はPTSD、うつ、強迫性障害、睡眠障害、動悸、頭痛といった心身症状を抱えて生活しています。

家のことができなくなり、以前まで得意だった作業さえできなくなってしまいました。

パワハラは、傷害罪にもなりうるそうですが、被害者として共感します。

肉体的ではないけれど、心への暴力です。心を思いっきりぶん殴られたような感じです。

毎日おびただしい数のフラッシュバックが起きて、なにも手につかなくなります。何度も何度も思い出して追体験するのです。ちょっとしたことがトリガー(引き金)となり、思い出し、胸がドキドキして手が止まってしまいます。

タイヤ会社A工場に入社するとすぐに、品質保証課の庶務の石毛さんという女性に、住所録に追加登録するため、住所を教えることを要求されました。「ご協力お願いします」と狐さんからも言われ、入りたての私には断ることができずに教え、住所録に登録されました。これは、工場内の誰もが会社のPC上で見ることができます。従業員のマンション住所○号室、家の住所をです。今までの社会人経験から、こんなことが行われているのはこの会社が初めてです。新しく入社して、念押しつきで要求されて拒否できる人はどれくらいいるでしょうか。

このことが、私の現在の症状と大いに関係しています。

私の家は公道沿いにあり、その道はある方面からA工場に車通勤する人達の多くが通る道です。もちろん別のルートもありますが、この公道を通ることは自然です。

つまり、タイヤ工場の人達がここを通るということが、私のフラッシュバック、トラウマを深刻化させました。私は、タイヤ工場の日勤の朝夕の通勤時間帯、非交代制の労働者の各通勤時間帯に、外に出るのを避け、窓から外を見るのも避け、道路沿いの部屋はカーテンを開けられなくなりました。カーテンは従来のパステルカラーのものから、内と外をしっかり分ける重厚な感じのものに買い替えました。選ぶ時も細心の配慮を総動員して色や柄を選びました。タイヤ工場を思い出させる刺激から、守られている遮断している感じにしたかったのです。窓から外の景色を見るのは好きだったのですが、それが恐怖に変わりました。もし通勤時間帯に車を見たら、胸がドキドキしていました。色んな部屋がこの道路に面しているのですが、そこを使う度に、車の音や振動がするたび、ライトがこちらの窓を照らすたびに、フラッシュバックが起こりました。

竹目さんが乗っていたハリアーという黒い車、特にあの金色のエンブレムを見るとフラッシュバックが起き、吉太課長が出身と言っていた北九州という文字や音声を聞いただけで動悸がしたり、北九州を連想するあらゆる言葉(例えば八幡など)だけでも動悸がします。子どもと一緒に行こうと思っていた所が北九州にあるので、私とは行くことはこの先ないと思います。吉太さんの声を、思い出すだけでも動悸、頭痛がします。

工場のあるA市は隣町で私にとっては地元で、庭のように行き来していた町ですが、もうその町に行くのが辛くて回避するようにしています。仕事帰りに行っていた店、スーパーにも行けなくなりました。タイヤ工場に単身赴任で来ている転勤族がよく訪れると聞いていたスーパーは特に敬遠しています。もし出会ったら、胸の動悸が止まらないでしょう。

そのタイヤ会社の看板を見ても(大企業であるため至る所にあります)、職場の登場人物と同じ苗字の看板(転勤族以外は地元民なので、地元姓であるためしょっちゅうあります。竹目病院、狐医院など、次々にあり目を背けていました)を見てもフラッシュバックが起きます。私にとって特に関係ない従業員の苗字でさえ、関係性の薄い人の住んでいる市の名前でさえ、タイヤ会社を思い出してフラッシュバックが起きます。フラッシュバックは、自分に強い苦痛を与えた人を連想させるものだけでなく、その苦痛を経験させられた会社にいた人でも、そこで出会ったいい人でも、その会社とリンクする以上、トリガーとなり、起きてしまいます。私にやさしくしてくれた人から貰った物も、人にあげました。

完全に私物であるはずのハンドタオル、口紅、キーホルダー、手帳、髪留め等も、安心するために握っていたふわふわの掌サイズのぬいぐるみも、このタイヤ工場に持って行っていたあらゆる物がフラッシュバックのトリガーとなるため、目につかない場所に封印しました。手帳などは特に無理で新しく買い直しました。在職中、朝夕聴いて活力となっていたはずの音楽(大好きなチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、モーツァルトのバイオリン二重奏、ベートーベンのピアノトリオなど)も聴けなくなりました。=タイヤ会社とリンクしてしまっているからです。

私の生活すべてが、変わってしまいました。

昔から好きだった身近な景色、愛着のあった場所が、恐怖の対象に変わってしまいました。出世のステップとして2年程いるだけの人達によって、私の好きな景色、庭のように行き来していた場所が、こんなに一変してしまったことが、私の大きな哀しみの理由です。

不安が強く、何事も慎重に完璧を目指してやる強迫性障害の症状が出ています。自分ではどうすることもできない強迫的な不安です。


〈※プライバシーの侵害に関連してですが、セクハラ事件をうけて、私は相談した本社コンプライアンス窓口から、手帳への記載を確認したいと求められ、画像を提出しました。抵抗がありましたが、証拠の為に出しました。見られたくない箇所は、隠す加工をしました。後でわかったのですが、その画像を、私に無断で澤介労務(CSR推進)課長が見ていました。吉太課長も見たのではないかと思います。コンプライアンス窓口は、私の許可していない相手に勝手に私の手帳を見せました。そしてセクハラ事件は澤介労務課長にも、コンプライアンス窓口にも否認され、加害者の竹目さんには擁護されなんの処分もありませんでした。私が言いがかりをこじつけられて辞めさせられました。しかもその中には、吉田課長が作成した嘘までありました。私が彼を怒鳴りつけたそうです。〉

 

#うつ  #トラウマ  #フラッシュバック  #PTSD  #睡眠障害  #動悸

強烈なパワハラと同調圧力

2020-01-16 | パワハラ
材料試験室の先輩竹目さんは、私が人生で出会った男性の中でも、最も強烈な方の1人です。(吉太課長は、表面的には上手に隠していましたが、本質は同じでした。)

【職場環境への戸惑い】

材料試験室の男性たちは当初私にとても親切にやさしくしてくれましたが、私は戸惑っていました。暴言やパワハラが当たり前の日常に戸惑っていました。

竹目さん(竹下嘉一さん)は、藤田さんに「デブ」「豚」「輸入」「豚に人権はない」「お前本当クズやな」「クソやな」「死んだ方がいいぜ」「だけん女にもてんった」(まるで、自分はもてるかのような言い方ですが。少なくとも私は彼の方がいやです)「けつの穴にこれ入れたろう?」といった暴言を日常的に浴びせたり、貯金額をみんなの前で言わせて嘲笑したり、使いパシリにしたりしていました。「デブは普通性格いいっつぇ。お前はデブで性格も悪いとか本当最低やな」「お前人に嫌われる要素満載やな」などと言っていました。



私にも、「そう思いますよね?」「言っていいですよ、もう」などと同意を求められ、その度に困って、頷づくことはせずに受け流していました。頭を引っ叩いたり、体を蹴ったりもしょっちゅうしていました。(本気ではなくても、結構な力で結構な音がしていました。)そうやって、自分との力関係を相手にも周囲にも見せつけていました。

背後からお尻を勢いよく蹴り上げて、自分の机に手をついて殊更にお尻を突き出してみせて「あの体勢とられて、来てち言いよるっちゃけん、行かん方が失礼やろ」などと何度も言ったりしていました。(書いてるだけでも気持ちが悪い)

         

 因みに、藤田さんは入社歴は当時で15年で、後述の時谷さんの次に長く、竹目さんも狐さんもかれらより後から入った後輩でした。なぜ、先輩に対してあんなパワハラができるのか、当時も今も、わかりません。また藤田さんは担当の業務が多く多忙で、損な役回りを押し付けられていることが明らかでした。


竹目さんは障がい者の手嶋さんにも「お前に人権はないった」と言ったりみんなの前で給料の額を言わせたり、みんなの前で「(障がい)年金もらいよるっちゃろ」としつこく詰め寄ったり、「わがこつだけか、わがさえよければそれでいいとか」と言って自分のバッグを帰り際にロッカーからほぼ毎日持ってこさせたり、飲み物を買いに行かせたり、空き缶や空きペットボトルを捨てに行かせたり、頭などを引っ叩いたり、急に立ち上がって後ろに元からいた手嶋さんを「どけ」と突き飛ばしたり していました。



狐さん(熊谷秀和さん)も脳性まひの手嶋さんに「お前は一番弱い立い場にいることをわきまえないかんぜ」「調子乗んな」「でしゃばんなやん」「読める字で書かな」「俺やったら5分で終わるけどな」「辞めさせるぜ」「働き続けたいやろ?ならちゃんとせな」「解雇にするぜ」といった言葉を毎日浴びせていました。私も手嶋さんと同じ障がい者社員なので、「一番弱い立場にいることをわきまえないかんぜ」「調子乗んな」などという言葉は、私に対しても刺さりました。また竹目さんも、手嶋さんに「お疲れ!」(クビの意)などとしょっちゅう言っていました。また狐さんの藤田さんへの聴くに堪えない暴言を日常的に間近で聴かされ続けました。彼も私に同意を求めてこられ、困っていました。また狐さんは藤田さんを、材料試験室中に響き渡る大声で怒鳴っているのも間近で見て、怖くて胸がドキドキしていました。


こういう言葉を毎日、隣の机で聞かないといけない環境の中、藤田さんや手嶋さんがが可哀そうで悩んでいました。家で寝る時に泣いたりしていました。私が入社してまだ浅い頃、2人で工場外周を歩いている時藤田さんに「藤田さんの扱われ方ひどくないですか?大丈夫ですか」と聞いたら、「これが普通です。ずっと。面白いでしょ。」と笑って平気な体(てい)で言われました。どこまで本心なのかと思いましたが、彼のプライドみたいなのがあるかも知れないので、可哀そうという思いを見せることは逆に彼を傷つけるのかもしれないと思いました。 ただ、あんな扱いを毎日受けて、本当に平気な人などいないと、当時も今でも思っています。このことは、家族やケースワーカーに話していて、病院で内容が記録されています。

竹目さんや狐さんのパワハラについて、なんら処分をしなかった澤介労務・CSR推進課長は「事実であることは確認されたが、した本人たちは冗談だと言っている」「された本人たちが、気にしていないと言っているのだから。”精神的苦痛を与えた”には該当しないから、懲戒には当たらない。」と言い、あくまでも擁護され、私が冗談を真に受ける空気読めない人のようにされました。でも後で思い出すと、藤田さんはここに入社した当初から激太りしたことに対して(写真がありましたが全然違いました)「ストレス太り」だと何度も言っており、それは事実だと思います。また手嶋さんも、気にしていない体(てい)にしていらっしゃいましたが、彼の行動を見ると、パワハラをするかれらを怖がって回避する行動をしていて、気にしていることが見受けられました。

澤介労務課長と、吉太保証課長は、かれらの行為を軽い方へ軽い方へともっていき、私の申し出は否定され続けました。例えば、私が伝えたパワハラの具体的言葉は、上記の通りですが、それを「ばかとかあほとか言うのはよくない」と澤介氏は言われました。私の言うことを、軽い方へ変えて言うことを、いつもされました。明らかに問題が多いのに、なにも問題は起きていないとされました。私の捉え方、感じ方が誤ったものとして否定されました。


【弱い者が別の弱い者を叩く】

藤田さんは手嶋さんに、他のパワハラ社員と同じように、邪険な物言いをしていました。また後述のベテラン時谷さんに対して、藤田さんや手嶋さんも、いじめの空気に乗って、非常に軽んじた扱い、いわゆるなめた態度をしていました。私に対する、声の大きな人達(竹目さん、狐さん)からの空気が排除の空気になってからは、かれらはそれに乗って私に対して冷たく敬遠するように接するようになりまた。哀しいことだけどかれらはかれらで弱い者いじめをする人達でした。私は材料試験室で、人の弱さや知性のなさを目の当たりにして傷つくことが多かったです。大人になっても、中学生のような行動が繰り広げられる環境で、かれらには自分たちのやっていることが当たり前のようでしたが、私には衝撃的な経験でした。


【時谷さんいじめ】

また、時谷さんという一番ベテランのやさしい男性に対するいじめに私は心痛めていました。彼がいない時に、非難、嘲笑の陰口を言ってみんなで彼をばかにする 軽くないがしろに扱うということがされていました。率先して中心的に行っていたのは竹目さんで、その次が狐さんです。

私は、時谷さんのことが好きで、そういったことをする人達の方が好きではないので、そんないじめの空気に同調せずに時谷さんと親睦を深めて行きました。その行動が、竹目さんには非常に気に障る様子でした。そのものすごい熱を帯びた恐ろしい視線は今でも鮮明に焼き付いています。監視されているようでした。あの猛烈な感情を伴う視線は、向けられているとはっきり伝わります。勿論竹目さんは否認されるでしょう。彼女の被害妄想だと。

私は竹目さんの神経を逆撫でしたくはなく気を遣っていましたが、時谷さんを一緒になってばかにするということは、私にとって明らかにおかしいことであり、同調を仕向ける空気の中で、そうしませんでした。空気に逆らうことをしていることは当然自覚していました。時谷さんの人柄が大好きで、彼と話す時間は、材料試験室にいる私にとって唯一癒しの時間で心から楽しいものでした。彼は、ほかのいじめ被害者2人と違って、弱い者いじめを絶対にしない人でした。

それが竹目さんの気に障っていることは、猛烈に伝わっていました。私は、空気が読めないわけではありません。賛同したくない空気には乗らない、そういったことに加担しない、加担する空気か否かは自分で判断することだという考えでずっと生きてきて、今でもそうです。竹目さん、狐さんの意図による同調圧力はもちろん、実際に何度も私に同意を求めてきました。「こんなデブで貯金が少ない男イヤやろう?」「言っていいですよ。」私は同意を求められることに困っていて、同調することはしませんでした。

これは個人の自由で、悪くいわれる所以は一切ないことを私は理解しています。しかし、竹目さんや狐さんはこの道理を理解されてはいませんでした。

 

#パワハラ  #同調圧力  #会社での暴言・暴力  #いじめ  #弱い者が弱い者を叩く  #会社でも子どもと同じ世界

ブリヂストン彦根工場パワハラ事件

2020-01-16 | パワハラ
ブリヂストン彦根工場パワハラ事件(2017年 6月17日の新聞記事より)


”ブリヂストン彦根工場(滋賀県彦根市)で準社員だった同県長浜市の男性(30)が在職中、上司からタイヤを投げられるなどのパワハラを受けうつ病になったとして、慰謝料などの支払いを求めて団体交渉し、同社が和解金50万円を支払ったことが16日、分かった。 男性は2015年5月ごろから正社員の上司に「死ね」「使えんから早く辞めろ」などと暴言を吐かれるようになり、タイヤを投げられ打ち身になる暴行も受けた。” 


   
 

うつ病になられたこの男性の哀しみを、心からお悼み、お見舞い申し上げます。うつ病は簡単に

治癒するものではないので、今でも症状を抱えて日々過ごされているのではないかと思います。

このことを報道したのはごく一部の新聞社です。また、このようなことをした社員は懲戒解雇になるのが

通常ですが、社員の処分についてブリヂストンは公表していません。

 


ブリヂストン甘木工場の労務・CSR推進課長澤田氏が私に起こった件で下した判断とその発言から、この社員はなんら懲戒になっていないのではないかと私は思います。(参照:セクハラを上司やコンプラに相談した結果   相談殺到でパンク状態のコンプラ窓口)

 

実際に甘木工場でも、野蛮極まりない暴言、差別発言、暴力、嫌がらせ、身体的セクハラを繰り返した社員(参照:強烈なパワハラと同調圧力  竹目さんによるセクハラ   竹目さんの異常な行為  竹目さんによるハラスメント  スケープゴートの理論  黒い粉塵が舞う職場で、健康対策を妨害する3Sリーダー  パワハラ、モラハラ、セクハラの手口 )をなんら処分せず、逆にかれらを擁護しました。また竹目さんは不正をしていました。別記しようと思います。


労務・CSR推進課長澤田氏は、私以外の男性社員へのパワハラ、セクハラについて「事実であることが確認された」上で「冗談だと言っている」「ばかとかあほとか言うのはよくない」と言われました。私はありのままの具体例を出した時、「ばかとかあほ」とは言ってません。彼はことさら軽微な表現に言い換えて言われました。「事実であることが確認されたが」「された本人が気にしていないと言っているのだから。”精神的苦痛を与えた”には該当しないから、懲戒には当たらない」と言われました。


         Shame on you..


また、今までの事例との整合性でも、懲戒には当たらないと。同じようなことをした人を今まで懲戒にしていないからと言われました。あれだけのハラスメントが、今までなんら責をとがめられなかったのだから整合性をとると言われました。

 
「デブ」「豚」「輸入」「豚に人権はない」「お前本当クズやな」「クソやな」「死んだ方がいいぜ」「だけん女にもてんった」「けつの穴にこれ入れたろう?」「デブは普通性格いいっつぇ。お前はデブで性格も悪いとか本当最低やな」「お前人に嫌われる要素満載やな」といった暴言を日常的に浴びせたり、貯金額をみんなの前で言わせて嘲笑したり、使いパシリにしたり、叩いたり蹴ったり



背後からお尻を勢いよく蹴り上げて、自分の机に手をついて殊更にお尻を突き出してみせて「あの体勢とられて、来てち言いよるっちゃけん、行かん方が失礼やろ」などと何度も言ったり  (書いてるだけでも気持ちが悪い)

      加害者を全力で擁護するブリヂストン


脳性まひの障がい者にも「お前に人権はないった」と言ったりみんなの前で給料の額を言わせたり、みんなの前で「(障がい)年金もらいよるっちゃろ」としつこく詰め寄ったり「わがこつだけか、わがさえよければそれでいいとか」と言って自分のバッグを帰り際にロッカーからほぼ毎日持ってこさせたり、飲み物を買いに行かせたり、空き缶や空きペットボトルを捨てに行かせたり、頭などを引っ叩いたり、先にそこに立っている彼を急に立ち上がって「どけ」と突き飛ばしたり 

お前は一番弱い立い場にいることをわきまえないかんぜ」「調子乗んな」「でしゃばんなやん」「読める字で書かな」「俺やったら5分で終わるけどな」「辞めさせるぜ」「働き続けたいやろ?ならちゃんとせな」「解雇にするぜ」といった言葉を毎日浴びせたり(←これは狐さんです。この段落以外は竹目さんです)


私の胸を触ったり 奇妙な行動を繰り返したり 陰湿な嫌がらせを執拗に散りばめたりした人が

なんら処分されませんでした。「ばかとかあほとか言うのはよくない」と、澤田労務・CSR推進課長が言われました。これが、ブリヂストンの2018年後半時点の姿です。

 

だから彦根の件でも、当該社員はなんら処分を受けず守られたのではないかと私は思います。

 

それから、コンプライアンスやCSRを声高に謳う世界No.1のブリヂストンが、社員をうつ病にして解決金50万というのも、ブリヂストンの本性をよく表していると私は思います。

ちなみに、私に最たる形でパワハラを行ったもう1人である吉田品質保証課長は、「彦根にいた」と本人が言っていました。

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私はこの2人の課長によって、「一旦停止しなかった」「小走り」などの理由をあげつらわれ、私が「問題社員」として契約終了として辞めさせられました。「シャツをスカートに入れなかった」というおそろしいまでのみみっちい因縁までその面談の場で吉田課長につけられました。詳細は別記します。本当に、説明するのもばかばかしい揚げ足取りです。私は、吉田氏から目と鼻の先のデスクにいる庶務の石毛さんが、スカートにシャツを入れているところを見たことがありません。私は、随分前の「指摘」後、スカートにシャツを一度の例外もなく入れていたし(inする着方が好きになりました)、まさにそのことを非難する彼の目の前で入れていました。ブリヂストンA工場では、ベストなしでスカートにシャツを入れる女性の方が少数派、…というか見たことないと思います。

契約終了通知書で、彼のあげつらった理由(吉田さんが得意げに「俺が書いた」と言われました。)項目を見た労働局の方は呆れて、「本当に情けない」「恥ずかしい上司」「まったく上司としての資質がない」「この人いくつ?」と言われていました。

「こんな人の下で働かなければならなかったあなたが可哀そう」とも言われました。

これらの理由を一生懸命PCに向かって書く吉田課長を想像しただけでも、本当に、なんというか、 恥ずかしい気持ちになります。

 

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この事件を起こした責任者

 

九州生産本部長 岩嵜義和   

九州生産本部 総務部長 冨澤章

甘木工場長 松本昭博    

  

甘木工場労務・CSR推進課長 澤田裕介

甘木工場品質保証課長 吉田太一                   Shame on you..

 

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ブリヂストンの自己宣伝: 

多様性の尊重 | 人権・労働慣行 | CSR | 株式会社ブリヂストン  [PDF] 人権・労働慣行 - ブリヂストン  

CSR・コンプライアンス | ブリヂストン行動規範 

 

基本情報

2020-01-16 | 基本情報
201■年10月6日に、ハローワーク主催の障がい者雇用促進面談会に参加し、そこでタイヤ会社に応募しました。そのせいで地獄が始まり、精神が破壊されることになるとは思っていませんでした。「なんであの日、面接会に行ったんだろう」「行かなきゃよかった」と支援してくださる方々に言いました。

同年12月に、私はタイヤ会社A工場に入社しました。

1年の契約更新型の障がい者嘱託職員としてです。長期希望であることは、入社に際して会社と私双方で一致していました。


私は品質保証課材料試験室に配属されました。タイヤの原材料の試験、判定をする部署です。私以外すべて男性で、女性が入ったのは初めてとのことでした。材料試験室では私は非交代制の日勤で、同じ日勤の方は、狐さん(主務者)、竹目さん、藤田さん、宮人さん、同じ障がい者雇用の手嶋さんで、計6名でした。手嶋さんは重度ではないですが手足に脳性まひのある身体障がい者でした。勤務時間が違う交代制の男性たちは計8人で、材料試験室は私を含め合計14人でした。

私の仕事は主に、狐さんの補佐であり、業務で関わるのはほとんどが彼で、藤田さんとも少し関わりがありました。上司の品質保証課長吉太氏は、工場と離れた場所にある本事務所にいて材料試験室には普段いませんでした。本事務所にいる課長職や上級職の人たちは、2年程のスパンで転勤を繰り返します。吉太課長は、私より1ヶ月後に赴任し、澤介労務(CSR推進)課長は4ヶ月後の4月に赴任してきました。この2人の課長が、私に壮絶なパワハラと雇い止めを行った方々です。

※登場人物名は、実名から変えて書いていますが、自分の名前を出すことにした時には、ハラスメントを行った人達の氏名も公開しようと思っています。私は自分の名前を出してもいいかもと思っていますが、療養中の身であるため今時点では非公開としています。


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後記:やはり、悪質な管理職に関しては、公表させていただきます。
品質保証課長 吉太…吉田太○
労務・CSR推進課長 澤介…澤田○介

 

かれらのような卑劣な人間が、人の上に立つことは危険なことだと思います。

また、かれらの暴挙を許す印鑑を押した責任者は工場長 松本昭○氏でしたので、公表させていただきます。

 
 

はじめに

2020-01-16 | 基本情報
これは、とある「一流」大企業で私に起こったことを事実に沿って書くものです。

この会社で私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを考える時、この会社に勤務して怪我をした方、亡くなった方、体や心の病気になった方を思います。これらの犠牲者は出るべくして出ている、事故や事件は起きるべくして起きていると思います。今までも現在でも、この会社は死傷者を出していますが、根深い体質を変えない限りこれからも死傷者を出し続けると思います。


現在私は、自分に起きた様々な出来事を受けて、経験したことのない精神状態となってしまいました。様々な心身症状を抱えて生活している療養中の身で、とても働きに出られるような状態ではなく、私にやれることを考えると、私のような経験をする人がいなくなる社会へのささやかな一助となるよう、発信し共有することぐらいしか思い当たりません。
記録は精神的苦痛を激しく伴う作業ですが、私にとって必要な作業でもあるので、備忘録かつ社会への問題提起として、少しずつ書いていこうと思います。よろしくお願いいたします。

また、上のような精神状態であることから、文章が完成しないままであったり整わず乱文になったりすること、未完成の投稿は追って書き加えること、今現在書ける内容から書いて行きますので出来事の時系列での投稿にならないことを、お伝えしておきます。

私の住んでいる実家はこの工場のある市の隣町にあり、私にとってこの工場は地元です。家からも工場が見えます。近隣住民には24時間365時間のタイヤ製造による環境汚染被害がありますが、その罪滅ぼしの観点からも地元採用が行われていて、(これは地元の人がそう言われています)私の近所にもここの工場労働者がけっこういます。工場の外周には木が植えられていて、私は昔から時々遊びに来て散歩をしていました。その時撮った写真が家にあります。その会社の財団の美術館や池などにも行っていました。

そして、ある日採用され、工場を自分の出世のステップとして見ているだけの転勤族の人達から、とりかえしのつかない傷を負わされ人生を変えられた 2年だけ腰かけでいる人達に生活を滅茶苦茶にされた 私の地元での生活はこの後も続く

このことが、私が感じる深い哀しみの大きな理由です。

この転勤族の人達が、工場を自分の出世のステップとしか捉えておらず、そこで働き続けて実際にタイヤを製造する労働者のことなど実際にはどうでもよく、A工場のことも実際にはどうでもいいと思っていることは、私も至る所で感じましたし、地元採用の方も言っておられました。
「リーダーであるはずの責任者が、実際には部下たちに自分のお守りをさせている。自分の出世にしか眼中にない人が、現場で製造し続ける労働者に、自分の保身、高評価の手伝いをさせ、迷惑をかけて、去って行く。」と、ある従業員の方が言っていました。

管理職が指示することと、現場の実情が噛み合っておらず、現場がかれらに合わせねばならず、仕事が非常にやりにくくなることが多々起こっていました。それは、かれらの保身のためになされていました。