嫌いな人の話、というのは、言ってみれば悪口のことだ。悪口なんかをインターネットに書くなんて、よくないことにきまっている。
私はそもそも結構長いことブログをやっていて、文章を書くことは日常的なことだった。私がブログをはじめたのは、一般的にインターネットやSNSが流行るよりも早い時期だった。別に私が先見の明を持っていたとか、インターネットの世界の最先端にいたとかいうわけではない。私ではなく、姉がそういう世界を早くから切り開いていた。組み立てパソコンをやったり、ブログをコードを打って構築したり、そういうことを早くからやっていた。どういう入り口からそういうところに入ったのか知らないのだけど、私から見れば姉はそういうのの最先端を走っているように見えた。私はたまたま姉から教わって、早くからブログをやる機会があった。このブログではないけど、私は手軽にはじめられる媒体としてgooブログで初めてのブログを開設し、そこでしか書けない本音を書いていた。それはそもそも、現実では言いたいことがあっても言えなくて、逃げ場のような場所だった。
私は大学を中退してフリーターの道に入ったけど、働きながらブログで文章を書くのが一時は自分の表現の場になり、文章を書くのが楽しくなっていた。でもはじめからそうだったわけじゃない。もともと大学時代は悩んでいることなどをキャンパスノートに毎日何ページにもわたって書くようなことをしていた。文章を書くこと自体が好き、というより、それも必要性があってやっていたことだった。悩んでいること、うまくいかないこと、ためいきのようなもの、どうでもいいことまで、とにかく毎日ものすごい量の文章にしていた。自由に好きに書けるノートとは違い、ブログというのは一応人が読むものだということが前提なので、ブログを始めた時はそれとはまったく違う書き方をしないといけなかった。常に読む人のことを気にして書くと、自分では意識しなくてもポジティブなことを書かないといけないと思うし、どこか演出したり、おもしろくしようみたいな気持ちになったりするものだ。でも、毎日のように人目を気にして、明るく楽しい文章を書かないといけないとなると、それは結構しんどいことだった。いつも明るく、人生を楽しむ私、という体裁をとらないといけないことは、すぐにしんどくなった。それで、姉が作ってきたブログと別に、裏ブログのようなものを描くようになった。姉が作ってくれたのはブログのほかに、ミクシィのアカウントなどもそうだった。姉に招待されたはいいけど、私はそういうコミュニティに全く興味がなかった。毎日何を書いていいかわからなかったし、同級生の友達なんかもやっていたけど、なんでわざわざそんなところで自分を表現しないといけないのかわからない、と内心思っていた。ノリが悪いけど、そういうことをわざわざ言うのは感じが悪いので、そういうのもあって、こっそり裏ブログを作ったのだ。表があることが前提の、秘密の裏ブログを作っては、人には言えないようなネガティブな気持ちを綴ったりした。そういうことをしている人は自分以外にも結構いて、うつ病などのメンタル疾患を抱えた人、家族や家庭で色々問題がある人などが自分のつらさを綴ったりしていた。私は割とそういう文化の先駆けをしていたと思う。
私もメンタル疾患を抱えるようになったけど、そのうち、自分の主訴である体の痛みが、そうしたブログでの表現と関係があるのではと思うようになった。自分の内面を抉るように文章を書いているうちに、その自分自身の言葉が自分を傷つけているようだ、ということに気が付き始めた。それでも当時は中毒症状のように、ブログを書くことをやめられなかった。自分を傷つけながら文章を書いていることに疑問を感じながら日々ブログをやっていたけど、そのうち、本当にその痛みに耐えられなくなって、ブログから距離をおくようになった。ブログそのものがトラウマになっていたような時期もあり、再開してもまたすぐやめたり、以前のように痛みを感じるような状態になるのを避けるために、とても注意を払うようになった。
結局、それらの時間を長い目で見てみると、ブログをやりながら私は自分の弱さみたいなものを受け入れていったようなところがある。若いころは学んだことを元に打ち出したいような世界観があっても、自分自身の弱みに直面するともとの価値観自体では収まらない自分の内面があったことを知ると、自分を新たに受け入れるしかないのだ。私はそうして、気づいたらそれ以前より多くの弱さのようなものを受け入れられるようになっていたのだと思う。それは、多くの人にとって避けられないような道のりなんだろうとTwitterの世界での炎上などを見ていて思う。
私はそもそも、それを誰かに読んでもらうことよりは、自分が自分の気持ちをきちんと言葉にすること自体を楽しんでいたので、そこで交流するみたいなことをあんまり考えていなかった。ブログをやる人が徐々に増えて行って、似たような発信をする人が交流していても、あんまりそういうことをする気になれなかった。私の中では、あくまでもそこは現実を生きるための逃げ場、という設定だったからだ。現実の世界で自分を演じるために、そこにつかりきりにならないようなあり方を私は目指していた。
また、弱い自分をアイデンティティにしたくなかったのもある。自分の弱さをさらけ出してそこで交流している人を見て、私はなんかモヤモヤしたものを感じていた。自分たちが特別に人よりも弱くて、社会に怒りがあって・・・、そんなことあるだろうか、と私は思っていた。誰にでも弱い部分やネガティブな気持ちになることや、つらいことがあることは否定しないというか、そういうことがあるんだとは思っていても、それはみんなそうだし、自分が特別につらいわけじゃないし、なんでそれで社会を否定したり、自分が被害者だみたいなことになるんだろう、と、そういうことを言葉にすることはできないけど思っていた。自分の人に言えない本音を書く場であったブログでも、やはり他の人を意識すると話せないことがあった。それはもちろん、そんなことを言うと相手を傷つけると思っているからだ。私はそういう意味では、交流しなくてもそこに社会性というものを持っていたのだと思う。そうしてやっぱり、私の内面は寛容ではなく、本心ではどこかそういった人たちに不満を感じていた、ということになる。
社会はつらいから、生きていると辛いことはあるから、だからそういう気持ちをわかちあって、それで前向きに生きるための支えにしよう、というのならわかる。たとえば人のブログを読んでいて、家族に変な人がいて、嫌な目にあわされて大変で、というのはわかるし、親が嫌い、ムカつく、こんな酷いことをされた、最低!というのは、生きるために闘う意志があるのでわかる。私が嫌だったのは、ずっとずっと自分がかわいそう、被害者、みたいな態度をずっととり続けて、周りに同情されて...というのを見ていると、それをかばう人含めてモヤモヤしていた。全てではないけど、その人の嘆きに対するその合いの手はその人をサポートするための共感ではなく、そうした人に寄り添う優しい自分に酔っているだけ、みたいに感じるようなものがあって何か気持ち悪かったりした。実際はイネイブラーになっていて共依存関係に陥っていたりしていた。その当時はそこまでは言葉に出来なかったけど、延々と続いていきそうなそのやり取りを見て、なぜかイライラしていたりした。
私はおそらく、自分自身は安心して落ち込み切るみたいなことが、ずっと出来ずにいたのだと思う。ずっと張りつめて生きていないと、私は自分自身の人生をすぐに失ってしまうように思っていたのだと思う。誰も助けてくれないからこそ、私は弱くなり切ることができなかった。それは今でもそうだと思う。そう思うと、被害者になれる人に対して、ちょっと嫉妬するような気持ちを持ってしまうのだと思う。結局それって人に甘えられるんだということになるから。それが表現できるということ自体が自慢のように見えてしまうのだ。
私はそういうことも結局文章を書いてると俯瞰してしまうので、こうしてブログをやっている限り、人に甘えることって出来ないのかもしれない。私にとって、そういうことが人生の課題なのかもしれない。
私は今すこし、取り戻すべきものがあるように思っている。それは、何もかも言葉にできることよりもっと不完全な自分になることだ。一言でいうと、それは不安を持つことだと思う。
嫌いな人の話(悪口)を書こうと思っていたけど、途中で話がかわってしまったので、ここで終わる。
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