ジャマイカは、カリブ海に浮かぶ小さな島国に過ぎない。この島のなか、外国人にはほとんど気づかれないまま、60年代にはすでにスカからロック・ステディ、レゲエへと、音楽は驚くべき速度で進化を遂げていた。レゲエという音楽が、遅ればせながら広く世界に知れ渡るようになったのは、72年にボブマーリィ&ザ・ウエイラーズが、『キャッチ・ア・ファイアー』でアイランドレコードからメジャーデビューを果たしたあとのことだった。エリッククラプトンがボブマーリィオリジナル楽曲『アイ・シャット・ザ・シェリフ』を74年にカバーしている。このときにボブマーリィの存在を知ったという人も多いはずだ。ジミヘンドリックス、ジャニスジョップリンが死んだのは7.0年で、ジムモリソンが死んだのが71年。それに変わる新種のロックとしてボブマーリィのレゲエが登場し、突然の衝撃とともに受け入れられたという感である。音楽を聴き始めたばかりの日本人にも届くほど、ボブマーリィの存在は大きくなっていた。最初で最後となったボブマーリィ&ザ・ウエイラーズの79年の来日公演で、その圧倒的な音楽性、精神的背景、思想をもったラスタファリアニズムというものを目の当たりにし、完全に打ちのめされた日本人も多いはずだ。この公演を見た人は、ボブマーリィはドレッドロックスを振り回しながらガニ股でスキップをするように踊ったり、マイク・スタンドにもたれながら、腰をクネらせたり、酔っ払いの千鳥足のようにステージをさまよい歩いたりしていた。そして、左手を苦悩しているような表情の顔面にあてて、右手を突き出し、ココロの底にある暗闇から絞りだすように歌っていて、会場に充満していたオーラみたいなものの感触を忘れることができないという。私はビデオを見たが、秋葉原の電気街よりも強烈な何かのパワーと、彼からは稲妻のようなオーラがはしっていた。80年代に彼がなくなってから、イギリス領であったジャマイカでは、それに呼応するかのようにルーツレゲエの勢いが弱くなり落ち着いたかと思うと、突然イエローマンという過激アーティストが登場し、活躍し始め、フランス領であったアフリカでは、AFRIQUE1-2で述べたアルファブロンディという奇才がメジャーに突然現れ、ルーツレゲエは終わることなく再燃したのである。 amazonで購入↓ http://astore.amazon.co.jp/musicmemo1978-22