ローリン・ヒル
ローリン・ヒルのソロ・デビュー作『ミス・エデュケーション』(1998年、原作は“THEMISEDUCATION OF LAURYN HILL”)を聴いて、まず、誰もが感じるのは、累々と積み重ねられたアメリカの黒人音楽の系譜を踏まえたヒップホップ・ソウルとして優れたアルバムだということだろう。メアリー・J・ブライジやディアンジェロをゲストに迎えた曲を一曲ずつ演っているところに、90年代のアメリカの黒人音楽をどうとらえているかがうかがえる。しかしそのこと以上に心を打つのは、レゲエを練りこむことによってミッシリングが埋められ、ブラック・ディアスポラとしてのパースペクティブが浮かび上がってくるところである。
NYのマンハッタン島の西側にはハドソン川が悠々と流れている。その対岸はニュージャージー州で、ちょっと先にはニューアークという街が広がっている。ローリン・ヒルは、そのニューアークのサウス・オレンジというところで、ハイチから移民してきた両親の元に生まれた。そして中流の生活が意地された家庭で幸福に育ったとのことだが、近所にはストリート・ギャングの溜り場となっている低所得者向けの光栄団地などもあったという。
ハイチ系移民の二世となるローリン・ヒルは、フュ―ジーズという三人組のグループの紅一点としてデヴューすることになるが、そもそもフュージーズというグループ名からして、難民(refugees)という言葉に由来している。ローリン・ヒルは、ブラック・ディアスポラとしてのアフリカン・アメリカンそのものだった。
ローリン・ヒル『ミス・エデュケーション』は、グラミー賞で10部門にノミネートされ、アルバム・オブ・ザ・イヤー、ベスト・ニュー・アーティストを含む5部門でグラミーを受賞した。音楽そのものの素晴らしさ、爆発的な売り上げ、社会的評価の高さ、その全てを、このとき23歳だったローリン・ヒルは掴んだのである。
ローリン・ヒルは、フュージーズのアルバム『ザ・スコア』(1996年)のなかで、ボブ・マーリィの「ノー・ウーマン・ノー・クライ」を歌っていたが、『ミス・エデュケーション』には、そのようなベタなレゲエのカヴァーや、いかにもレゲエといった感じのリズムを使った曲があるわけではない。でも、レゲエからインスパイアされたところはより深いところで随所に刻まれている。まずジャケットのアートディレクション。これは学校の木の机に掘られたローリン・ヒルの顔を図柄にしたもので、ザ・ウエイラーズの『バーニン』(1973年)のジャケットを思い起こさせる。そして、日本では、ソニーのCMに使われたため特におなじみの曲となった「トゥ・ザイオン」、これはカルロス・サンタナの哀愁のギターが印象深いバラードで、ザイオンと名付けた自分の子供を歌った曲だが、ザイオンというのは、『聖書』の記述に即して言うとシオンのことで、ラスタファリアンのあいだでは、バビロン(ジャマイカにおける植民地政策と白人文明のすべて)に対する概念として、ザイオン(理想郷としてのアフリカ)という言葉が使われている。
「フォー・ギブ・ゼム・ファーザー」は、ボブ・マーリィ&ザ・ウエイラーズの『キャッチ・ザ・ファイアー』に収録されていた「コンクリート・ジャングル」を再解釈した曲だ。女性レゲエDJのシェリー・サンダーがフィーチャーされているし、シンコペートする打ち込みのドラムには、レゲエっぽいノリがある。それでいて、いかにもレゲエを取り入れたという感じにビートが遊離することなく、ヒップホップ・ソウルという“るつぼ”のなかで完全に溶け合っている。
「ロスト・ワンズ」は、バン・バンをもとにした曲である。バン・バンというのは、1992年にスライ&ロビーが作り、数多くのシンガーやDJに使いまわされた90年代のダンスホール・レゲエを代表するリディムだ。レゲエのリディムはふつうベースラインとドラムラインで決まるが、バン・バンというリディムは、ベースがなくてループするギターのリフがメインとなっている特殊な構造だった。このリディムがバン・バンと呼ばれるようになったのは、プライヤーズというシンガーによる「バン・バン」(1992年)が、このリディムを使った最初のヒット曲だったからである。プライヤーズが歌った「バン・バン」はトゥーツ&ザ・メイタルズの「バン・バン」(1996年)のカヴァーだった。(パイロン・リーという中国系ジャマイカ人がプロデュースした曲で、ナイヤビンギのパーカッションを組み込んだ生演奏)ローリン・ヒルの「ロスト・ワンズ」にはContains replayed elements from “Bam Bam”(F.Hibert)(F.Hibert→トゥーツ&ザ・メイタルズのリーダー)とクレジットされている。ローリン・ヒルは、パイロン・リーがプロデュースしたトゥーツ&ザ・メイタルズの「バン・バン」を子供の頃からごく自然に聴いていたはずだし、スライ&ロビーがプロデュースしたプライヤーズの「バン・バン」のヒットはリアル・タイムで体験したはずである。たとえば、ホイットニー・ヒューストンの「マイ・ラブ・イズ・ユア・ラブ」(1999年)などは、ナイヤビンギのビートを組み込んだことが一聴して判る。
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