1979年、Personal Software 社が Apple II 向けに発売した VisiCalc は、ダン・ブリックリン考案、ボブ・フランクストン設計、彼らの Software Arts社開発によるものであった。これにより Apple II はホビースト向けの玩具から便利なビジネスツールへと変貌した。
ブリックリンによれば、彼はハーバード・ビジネス・スクールで教授が黒板に金融モデルを書くのを見ていた。その教授が間違いに気づいてパラメータを修正しようとしたとき、表の中の大部分を消して書き直さなければならなくなった。これを見たブリックリンは、このような計算をコンピュータ上で処理する「電子式表計算」を思いついたのである。
ブリックリンは友人のフランクストンと共同でSoftware Arts社を設立し開発をスタートさせた。1978年から1979年にかけての冬の2カ月間でVisiCalcを開発。
VisiCalc はビジネスツールとしてのパーソナルコンピュータの有効性を示し、Apple II の躍進に寄与した。このことは、それまでPC市場を無視していたIBMがPC市場に参入する要因にもなった。
VisiCalcで特筆すべきは、当時既にベストセラーとなっていた Apple II 向けのソフトであったことである。ブリックリンは当初、表計算専用のハードウェアを設計・製造して販売することを考えていたが、大学教授から紹介されたダン・フィルストラの「わざわざハードを作らなくても、既に売れているハード向けにソフトを作って売ったほうが賢明だ」という助言に基づくものだ。
ハードのパソコンはまだ何に使用されるかが模索されていた段階で、VisiCalcはビジネスや確定申告などの一般的な使用への道を開き、またApple IIは一般ユーザーにも購入されるようになった。
そしてこれを機にコンピュータ業界ではソフトウェアの重要性が認識されるようになった。まさにビジネスモデルを変えた歴史的なソフトだと言えよう。
(1) BCL
表計算ソフトのコンセプトは、1961年に当時カリフォルニア大学バークレー校のRichard Mattessich (1922~2019) によって「Budgeting Models and System Simulation」という論文で概説された。
そして2人の研究助手Tom C. SchneiderとPaul A. Zitlauの助けを借りて、Fortran IVを使用してメインフレーム用のこのコンピュータープログラムが作成され。1962年にIBM 1130にて「BCL」 (Business Computer Language) というプログラムとして実行された。これはバッチシステムなので我々が表計算として描いているリアルタイムなものとは全く異なる。その後BCLは1968年にIBM 360/370に移植され、ワシントン州立大学での金融の授業でも使用された。
(2) LANPAR
1969年にはハーバード大学の学生だったRene K. PardoとRemy Landauは「LANPAR」 (LANguage for Programming Arrays at Random) と呼ばれるプログラムを開発した。LANPARはBell Canada、GE、AT&T、および多くの電話会社によって予算管理業務に使用された。
LANPARはユーザーに任意の順序で入力させ、電子コンピューターに正しい順序で結果を計算させる (自動自然順序計算アルゴリズム) という特徴があり、これは後にVisiCalc、SuperCalc、MultiPlanの最初のバージョンで使用された。
(3) Autoplan / Autotab
1968年にGeneral Electricコンピューター会社の3人の元従業員でCapex Corporationの創業者であるA. Leroy Ellison、Harry N. Cantrell、and Russell E. Edwardsがビジネスプラン作成の計算のためのプログラム「Autoplan」と開発し、GEのタイムシェアリングサービスで使用された。またその後IBMメインフレームでは「Autotab」として導入された。AutoPlanとAutoTabはスプレッドシート用のシンプルなスクリプト言語であった。
(4) IBM Financial Planning and Control System
1976年にIBM CanadaのBrian Inghamが開発したもので、少なくともIBMで30か国で実装された。 IBMメインフレームで実行され、APL (プログラミング言語) で開発された最初の財務計画用アプリケーションの1つであり、プログラミング言語をエンドユーザーから完全に隠すことができた。ユーザーは、行間および列間の単純な数学的関係を指定でき、また非常に大きなスプレッドシートをサポートできた。またバッチシステムから引き出された実際の財務データを各ユーザーのスプレッドシートに毎月ロードできるなど、プログラムの効率を従来の50倍も向上させるものだった。
Mattessich also pioneered financial spread sheet analysis and simulation and did the basic research on which such best selling micro-computer programmes as Visi-Calc, super-Calc, Lotus 1-2-3, etc. are based. His book Simulation of the Firm through a Budget Computer Program (1964) contains the following basic ideas, decades later revived in those micro computer programmes: the use of matrices or spread sheets, the simulation of financial events, and most importantly, the support of individual figures by entire formulas behind each entry.
From: Hugh Legg "Ricco Mattessich: Acclaimed Researcher," Viewpoints (Summer 1988)
The ANITA Mk 8, manufactured by the Bell Punch Co. of Uxbridge, England, was launched in October 1961. Together with the concurrently introduced ANITA Mk VII, for the continental European market, it was the world's first electronic desktop calculator. It was sold mainly in the rest of the world outside of continental Europe, and was announced at the Business Efficiency Exhibition, in London, in October 1961, but orders for it were not taken by the British distributor, Sumlock Comptometer Ltd., until January 1st 1962.
This model and the Mk VII were the only electronic desktop calculators in the world for over two years, and many thousands were sold. Like the Mk VII it has a full keyboard and uses cold-cathode tube technology.
The name ANITA, stands variously for "A New Inspiration To Arithmetic" and "A New Inspiration To Accounting". This became the family name for all the Bell
Display - 12-digits Numerical indicator tubes
Size - 376 x 450 x 255 mm (14.75" x 17.75" x 10"), 13.9 Kg
Cost in 1964 was £355 Sterling
それまでの計算機では演算経路に継電器 (リレー) が使用され、接点の電磁的な開閉で演算が行われていたが、Anita Mark 8では真空管を使って電子的にスイッチングをすることによって、計算速度が向上し騒音も改善された。また入力は全ての位で0~9のキーが用意されたフルキー方式なので、とにかくキーが多い印象がある。
実際のAnita Mark 8での計算を見てみよう。
このAnita Mark 8を日本のメーカーが輸入し、分解して研究を行った。
そして日本で初めて発売された電卓が、1964年に発売されたシャープ (当時は早川電機工業) の『CS-10A』である。それまでは機械式か真空管式だった計算機の回路を初めて個別半導体に置き換えた製品で、トランジスタ(増幅又はスイッチ動作をさせる半導体素子)が初めて演算装置に採用された。
フルキーが採用されたのはAnita Mark 8と同様で、重量は25kg、消費電力も100W超と膨大で、価格も自動車とほぼ同じだった。しかし本製品は業界にインパクトを与え、この1964年からキャノン、ソニー、カシオ、ビジコン、東芝など各社が技術革新にしのぎを削った。
A significant earthquake is classified as one thatmeets at least one of the following: caused deaths, moderate damage ($1 million or more), magnitude7.5 or greater, Modified Mercalli Intensity (MMI) X or greater, or generated a tsunami.
Until now the official record for the highest temperature was 56.7C (134.1F) on 10 July 1913 at Furnace Creek Ranch in Death Valley, California. But many modern meteorologists are sceptical of the record, arguing that the equipment used at the time was prone to error and not as reliable as modern recording methods.
Records show nearby places were nowhere near as hot and the wind conditions not favourable for such high temperatures, they argue.
フランス皇帝ナポレオン3世の統治時代に録音された歌声が、148年の時を越えて再生された。フランス科学アカデミーが発表した。
再生に成功したのは、パリの発明家エドアール・レオン・スコット・ドマルタンビルが発明した音声記録機により1860年4月9日に録音されたフランス民謡「Au Claire de la Lune(月の光)」。女性の声で約10秒間にわたり録音されている。
録音状態は素晴らしいとは到底言い難く、聴く人によってはイルカの鳴き声としか思えないかもしれない。だがフランス科学アカデミーによれば、これこそが世界最古の録音音声だという。
トーマス・エジソン(Thomas Edison)が蓄音機で「メリーさんのヒツジ(Mary Had a Little Lamb)」を録音する17年も前の記録だ。 ただ、 フォノトグラフはエジソンの蓄音機と違い、再生はできなかった。しかし、21世紀の技術と米国の音声史学者、録音技師、科学者などの知恵を結集し、紙に刻まれたわずかな溝をデジタル画像で処理することで、その音はよみがえった。
この取り組みは、米国のファーストサウンズ(First Sounds)の協力の下に行われた。長い間失われていた初期の録音を復活させるプロジェクトを推進してきたファーストサウンズは、「まさかスコットも、この録音が再生されるとは夢にも思わなかっただろう」との声明を出している。
The analog computer’s evolution from mechanical to electronic began during World War II. The innovation brought greater computing speed, although that didn’t always make electronic analog computers better than their mechanical forebears.
Nonetheless, by the 1950s electronic machines had largely replaced mechanical. Companies began producing diverse models, and electronic analog computers remained a bedrock of engineering and scientific calculating for a generation.
Reeves Instrument was one of the earliest firms to offer fully-assembled, electronic analog computers.
During World War II, Germany’s V-2 rockets heralded the arrival of a frightening new weapon. The missiles used an op-amp analog computer for their onboard guidance systems, though they still proved too inaccurate to be a serious military threat.
America, recognizing the potential of guided rocketry, launched Project Cyclone immediately after the war. Funded by the U.S. Navy, Project Cyclone used the Reeves Electronic Analog Computer (REAC) developed by Reeves Instruments to simulate, develop, and test guided missile systems.
A commercial version of REAC soon followed, with more than 60 installed by 1950.