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昨年11月に「難民を助ける会」会長である相馬雪香さんが亡くなった。「相馬雪香先生を追悼しに感謝する会」には、皇后陛下、寛仁親王殿下、麻生首相、河野・江田の衆参両院議長ほか多くの方が参席されたということで、生前の功績の大きさをうかがい知ることができる。
難民を助ける会 会の沿革
http://www.aarjapan.gr.jp/info/president.html
吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)の新・徒然草
http://blog.canpan.info/fukiura/archive/5251
さて、相馬雪香さんは「憲政の神様」と呼ばれる尾崎行雄(1858-1954)の三女として知られているのだが、尾崎行雄は明治時代から活躍した政治家なので、その娘がつい昨年まで存命していたというのはとても不思議な感覚だ。
この点について調べ見ると、相馬雪香さんは1912年生まれだが、これは尾崎行雄が53歳の時に生まれたことになる。尾崎行雄が享年95歳、相馬雪香さんが享年96歳。明治維新以降の140年を父娘2代で見届けたというのがすごい。
その尾崎行雄の生涯や功績について改めて調べてみた。
尾崎行雄記念財団 尾崎行雄について
http://www.ozakiyukio.or.jp/gakudo/index.html
尾崎行雄は、真の民主政治と世界平和の実現にその一生を捧げた政治家である。
若くして自由民権運動に身を投じ、保安条例により東京退去を命じられ海外(米国・英国)に渡るが、国会開設(1890年)とともに衆議院議員に選ばれ、以来、議席にあること63年(連続当選25回)、世界議会史上の記録を打ち立てた。
素志は藩閥軍閥の打破、民主政治の確立にあり、あらゆる権力の弾圧にも屈せず、常に民衆の側に立って闘った。その雄弁は天下に鳴り、憲政擁護運動が起こると人は彼を「憲政の神」と呼んだ。
また、軍国主義が一世を支配するに及んでも平和の信念を曲げず、軍縮を説き単身全国遊説を始めるとともに、三たび辞世を懐にして議政壇上に立ち、国論に警告することをやめなかった。
そして晩年は、廃藩置県ならぬ廃国置州という考えに基づく「世界連邦」の建設を提唱。議会政治の父と仰がれつつ一生の幕を閉じた(享年95歳)。
これはちょっと美化しすぎる感があるので、Wikipediaでも調べてみた。
尾崎行雄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E8%A1%8C%E9%9B%84
1858年、相模国津久井県又野村生まれ。1874年に慶應義塾童児局に入学するが、塾長の福沢諭吉に反抗して退学、1876年に工学寮(のち帝国大学工部大学、現・東京大学工学部)に再入学する。
1882年に大隈重信の立憲改進党の創立に参加。1887年、保安条例により東京からの退去処分を受けた尾崎は「道理が引っ込む時勢を愕く」と言い、号を学堂から愕堂に変えた(後に心身の衰えを感じて”愕”のりっしんべんを取り咢堂とした)。
1890年、第1回総選挙で三重県選挙区より出馬し当選、以後63年間に及ぶ連続25回当選という記録をつくる。その後、進歩党・憲政党に属した。この間第2次松方内閣において外務大臣に就任した大隈の推挙で外務参事官に就任するが、大隈と首相の松方正義が対立するとともに辞任した。
1898年、第1次大隈内閣において40歳の若さで文部大臣に就任するも、共和演説事件で文相を辞任し、その後任を巡って憲政党は分裂、大隈内閣も総辞職した。その後、憲政本党に属していたが、伊藤博文の立憲政友会結成に呼応して憲政本党を離脱して政友会入りするが、その後伊藤とも対立して離党、その後猶興会などを経て政友会に復党とめまぐるしく所属政党を変遷する。
当初は対外硬派として知られたタカ派であったが、第一次世界大戦後のヨーロッパ視察で戦争の悲惨さを見聞して以後は、一貫した軍縮論者となった。また、ポピュリズム化を危惧して普通選挙の早期施行には消極的であったが、大正デモクラシーの進展とともに普通選挙運動に参加。同時に、次第に活発化していた婦人参政権運動を支持し、新婦人協会による治安警察法改正運動などを支援した。また軍縮推進運動、治安維持法反対運動など一貫して軍国化に抵抗する姿勢を示したが、政界では次第に孤立していった。
戦後の国会でも活躍して民主主義の復活と世界平和の確立のために尽力するが、1953年のバカヤロー解散による総選挙(第26回衆議院議員総選挙)で落選して、政界を引退した。名誉議員の称号を贈られる。95歳まで衆議院議員を務めたのは日本史上最高齢記録であり、当選25回・議員勤続63年も同じく日本記録である。
本当に日本の近代史そのものという感じで、福沢諭吉、大隈重信、伊藤博文、松方正義など錚々たる名が並ぶ。そしてそのほとんどと対立しているところがすごい。95歳まで議員を務めたというパワーもすごい。
さて、次回はもう1人の尾崎行雄、伝説の投手を調べてみよう。
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