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原子力発電をめぐる議論が継続している。現在の生活・商業活動において電気は不可欠であるが、安全性、効率性、環境への負荷の全ての条件を備え都市の需要をまかなえるだけの発電手法がないので難しい議論だ。
さて、日本における最初の発電所は、東京の日本橋茅場町にあったという。東京証券取引所が近く証券会社が軒を連ねる東京の中核の街に火力発電所があったのだ。
発祥の地コレクション/電燈供給発祥の地
http://hamadayori.com/hass-col/ele_gas/DentoKyokyu.htm
コメント:
東京電燈会社(日本で最初の電気事業者)は 東京市内5ヵ所に火力発電所を設け 電灯線を引いて, 一般への白熱電灯の供給を行った。1887(明治20)年に ここ茅場町に“電燈局”(発電所のこと)を置き, エジソン式直流発電機によって直流発電を行い 近隣の企業などに供給したという。
碑文:
明治20年(西暦1887年) 11月21日東京電燈会社が この地にわが国初の発電所を建設し, 同月29日から 付近の日本郵船会社, 今村技能, 東京郵便局などの お客様に電燈の供給を開始いたしました。これが, わが国における配電線による最初の電燈 供給でありまして, その発電設備は直立汽缶と, 30 馬力の横置汽機を据付け, 20キロワットエジソン式 直流発電機1台を運転したもので, 配電方式は電圧 210ボルト直流三線式でありました。
発電所といっても、当然だが現在の火力・原子力発電所のように大規模なものではなく、以下のようなエジソン式直流発電機1台が設置されたのみである。
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関東電気協会 電気ゆかりの地を訪ねて 日本初の配電線による電灯供給 第2電燈局
http://kandenkyo.jp/pdf/yukari%20vol6.pdf
さて、この茅場町発電所を運営していた東京電燈会社は日本初の電気会社だが、もう少し詳しく見ていこう。
東京電燈
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%9B%BB%E7%87%88
浅草火力発電所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%8D%89%E7%81%AB%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80
1883年(明治16年)2月15日、藤岡市助(東芝の創業者のひとり)、大倉喜八郎(ホテルオークラや大成建設を設立)など数名からなる発起人が国から会社の設立許可を受ける。富国強兵に電力は今後欠かせないという判断の元、資本金20万円で前年に出した企業創立の請願書が認められたものだった。
1886年(明治19年)7月5日に企業活動を開始し、1887年(明治20年)11月には東京の日本橋茅場町から電気の送電を開始する。この年の末には、火力発電所を東京5箇所に設置する工事を始め、直流送電を行った。しかし、旺盛な電力需要の高まりに直流発電では賄いきれなくなり、交流送電への転換を余儀なくされた。また商業地近くの密集地に発電所を増設することは、敷地の余裕、公害対策上から問題があり、1893年(明治26年)には200kWの国産大出力交流発電機を備えた浅草火力発電所の建設を開始。3年後に完成させた。
明治時代から大正末期になると、関東において電力会社が続々誕生するようになり、熾烈な競争状態により過当なダンピングが行われるまでに至った。
東京電燈は、1923年(大正12年)に関東大震災で甚大な被害を受けた。だが復興は急ピッチで進み、翌年2月には8割以上の復旧をみた。また、震災後急増した電力需要に対応するため、隅田川沿いに千住火力発電所(4本のお化け煙突で有名)の建設も開始し、1929年(昭和4年)には50000kWの供給力を持つ大型発電所となった。その一方で、企業買収により非効率な発電設備を抱えると共に電力供給能力の過剰を招くことになり、震災による被害とも相まって経営不振の原因となった。
満州事変・五・一五事件・二・二六事件・日中戦争と軍色が強くなるにつれ、電力事業の国家による統制が望まれるようになった。1938年(昭和13年)には「国家総動員法」とほぼ同時に「電力管理法」・「日本発送電株式会社法」・「電力管理に伴う社債処理に関する法律案」・「電気事業法」が制定され、1939年(昭和14年)にはそれに基づき国策企業の日本発送電株式会社が設立、同年8月には「配電統制令」が発布され、東京電燈を始めとした電力会社は日本発送電と関連する関東配電株式会社など9配電会社に統合された。東京電燈自体は9配電会社設立に伴い、1942年(昭和17年)3月をもって解散した。
三田商学研究 第48巻第5号 2005年12月 初期電灯産業形成に果たした東京電燈の役割
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=189
探検コム 電力会社の誕生
http://www.tanken.com/tokyodento.html
浅草発電所の発電機は、石川島造船所(現IHI)が製作したもので、交流200kW(キロワット)。当時アメリカでも100kWがせいぜいだったので、《刮目に値する》と東京電灯は社史で自慢しています。
しかし残念ながら故障が多く、結局、ドイツのアルゲマイネ製発電機を併用しました。この発電機が50Hzで、同時期に関西の大阪電灯が採用したGE製の発電機が60Hz。この違いが、現在まで続く日本の電源周波数の違いです。
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尚、上記で出てくる浅草火力発電所、千住火力発電所の模型などが「テプコ浅草館」に展示されていたのだが、東日本大震災の直後から休館、そして昨年5月31日で閉館となってしまった。これは仕方ないところだが、幸い開館時に訪問された方が記録を残しているので参照してみよう。
テプコ浅草館
http://www.geocities.jp/achpelican1/kankou/1tepco/tepcoasakusa1.html
このように見ていくと、電力はほぼ同じロケーションで生産・消費されていたのが、徐々に生産が遠方に離れていったことがわかる。私を含め都市生活者は、電力生産のリスクを自ら負っていないことを強く認識しなければならない。
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