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知らないことや気になることをいろいろと調べて記録していきます
 




以前このブログで四国国境を取り上げ、歴史上存在した中立モレネの四国国境を紹介した。この中で「国境線が十字にクロスすれば四国国境ができそうなものだが、現実はそんなに単純なものではない」と記した。
しかし実際は、国境線が十字にクロスしている地点が存在する。但しそれは「四国国境」ではなく「四重国境」である。

その四重国境は、オランダ・北ブラバント州とベルギー・アントウェルペン州が混在する「バールレ村」にある。
以下のように全体ではオランダの域内に位置するが、ベルギー領の「バールレ=ヘルトフ (Baarle-Hertog)」 とオランダ領の「バールレ=ナッサウ (Baarle-Nassau)」 がパッチワークのように入り組んでいる。



バールレ村 歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%AC_(%E6%9D%91)#%E6%AD%B4%E5%8F%B2

低湿地だったこの地域は、12世紀末にブラバント公アンリ1世の領地であった。1198年に公爵は賃貸料を稼げる土地は手元に残し、残りの領地をブレダ (オランダ) のスコーテン家のゴッドフリートに譲渡した。現在、一方でその地域はベルギー領、他方、当時のゴットフリートが得た地域はオランダ領である。
バールレ=ヘルトフとバールレ=ナッサウにはそれぞれの選挙で決まる首長と町議会があり、警察署も教区教会も個別に置く。また両町議会が合同評議会を設けてインフラとして電気、上水道、ガスの供給を行い、高速道路の補修やごみ収集などを管理する。
双方の評議会は互いに出資して共同文化センターを建設し、共同図書館を利用できるようにした。観光局もあり、オランダとベルギーの両方の観光局が職員を置く。
商取引の法規は、オランダ領はオランダ法、ベルギー領はベルギー法のもとにある。法律の違いから長年にわたり密輸が横行したものの、1993年のヨーロッパ統合以降、「密かに持ち込んで高値で売る」ことそのものにあまり意味がなくなった。かつて第二次世界大戦後、ベルギーで品薄だったバターをオランダで買い付け、こっそりとベルギーに持ち込んで売る人は少なくなかった。現代でも形を変えた密輸は存在し、オランダでは売っていない花火をベルギーに出かけて買い、国境を越えて持ち込む人は多い。


この写真のように、オランダとベルギーの国境が町中に示されている。



現地の情報は以下の訪問記が詳しい。

旅倶楽部「こま通信」日記 バールレ・ヘルトフ~オランダの中のベルギー飛び地
https://blog.goo.ne.jp/komatsusin/e/e7a1c3df6a41a458725cc0d3bf1e798f

具体的には、以下のようにバールレ=ヘルトフ (H) とバールレ=ナッサウ (N) が混在する。まわりは全てオランダで、その中にベルギー飛び地が16箇所あり、さらにN1からN7までの7ヵ所は包領地である。



この地図の線はいずれも国境線になるが、この中で注目したいのは右下のH1とH2の接する地点で、国境線が見事に十字にクロスしている。

The Baarle Enclaves
http://www.grenspalen.nl/archief/baarle-nassau-in-english.html

In Baarle there's a special point, a so-called quadripoint. The Belgian enclaves H1 and H2 in Baarle meet each other at 1 point.
In February 2003 we visited this spot and it was well recognizable in the landscape. De Belgian fields had another type of crops. On the apparent quadripoint-spot there was a metal pipe stuck in the ground which we assumed to be a kind of bordermarker. There were no others in the vicinity and it was definitely no drainage pipe or like. If this is the REAL quadripoint, only a land-surveyor can tell.




測量に基づく正確なポイントかどうかはともかくとして、まさにここが 「四重国境」で、ベルギーとオランダの国境がクロスする地点である。特別に何かがあるわけではなく、単なる畑であるところが現実的だ。
もともと開墾された土地を残し (後のベルギー領)、未開の地を譲渡する (後のオランダ領) という区分けだったが、800年後さらにその先までその区分けが複雑な国境として残るとは、ブラバント公アンリ1世は考えもしなかったろう。このような歴史の痕跡はとても興味深い。


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