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知らないことや気になることをいろいろと調べて記録していきます
 



 

2023年の夏は日本でも世界でも 「観測史上最も暑い夏」 だった。
世界のこの夏の世界平均気温は16.77度で、1990~2020年の平均より0.66度高く、さらにこれまでの最高だった2019年を約0.3度と大幅に上回った。
この中で従来の国内最高気温記録である41.1度 (2018年7月23日 熊谷、2020年8月17日 浜松) の更新はされず、また最高気温ランキングの上位に入る気温も記録されなかったことはちょっと意外だ。
一方で8月10日に糸魚川・高田・境などが (1日の) 各地の最低気温の最高記録を更新した。糸魚川の最低気温31.1度は歴代最高で、夜中も明け方もまったく気温が下がらなかったということだ。このあたりに今年の夏の暑さの性質が表れている。

気象庁 歴代全国ランキング
https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/rankall.php

国内の最高気温記録は、1933年7月25日の山形でフェーン現象による40.8度が70年以上にわたって破られなかったが、2007年に多治見 (40.9度) が更新し、その後も上回る事例が見られる。熊谷と浜松の41.1度の更新も時間の問題だろう。
一方で、国内の最低気温である1902年1月25日の旭川の-41.0度は今後破られることがないのではないかと思われる。気象庁のデータをもとに具体的に見てみよう。

気象庁 過去の気象データ検索
https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php?prec_no=43&block_no=47626&year=&month=&day=&view=

旭川(上川地方) 1902年1月(日ごとの値) 
https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/daily_s1.php?prec_no=12&block_no=47407&year=1902&month=1&day=&view=p1

残念ながら当時は1時間ごとの気温は記録されていない (残っていない) ので、1月25日の気温推移はわからない。降水量 (降雪量) だけ4時間に記録されており、7~10時台 1.2mm、11~14時台 0.0mm、15~18時台 2.0mm、19~22時台 0.8mmとなっている。それほど雪が降ったわけではないようだ。

一方で1月の気温一覧を見ると1月23日から気温が大きく下がり27日まで続いている。この寒波については以下に解説がある。

デジタル台風:八甲田山系雪中行軍と、旭川で-41度
http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/contribution/weather-chart/013.html.ja

1902年1月25日、北海道の旭川で日本の最低気温マイナス41.0℃を記録しました。天気図を見ると、北海道の東に低気圧、九州の西に高気圧があり、等圧線も4本しかありませんが縦縞に並んでいて、西高東低の冬型気圧配置となっています。旭川は山に囲まれた内陸にあるため、強い風が吹きにくく、夜間地面から熱が奪われる「放射冷却」が強まり、特に冷え込みます。さらに雪が積もっていると、昼間日がさしても、太陽からの熱は雪をとかし蒸発させるために使われ、地面がなかなか温まりません。旭川など北海道の内陸では、冬になるとこうした条件が重なるために、富士山の山頂よりも冷え込むことがあります。

この寒波の影響は広範囲にわたり、十勝地方の帯広では1月25日に-37.2度、26日に-38.2度を記録した。(降水量は0.0mmとなっている) 26日の-38.2度は同日の旭川よりも低く、観測地単位の歴代最低気温ランキング2位となる。
参考までに東京の最低気温は、1月25日が-6.4度、1月26日が-6.6度と、やはり寒かったようだ。

なお、旭川の1月の月平均気温は1901~1910年は-14.1度~-5.8度であった。-14.1度は1909年で、1902年 (-11.7度) が最低だったわけではない。直近の2014~2023年は-8.3度~-5.1度なので、ここでもやはり100年で気温が上がっていることがわかる。

さて、このように1902年1月25日の旭川の-41.0度は公式の最低気温記録であるが、これとは別に非公式の最低気温記録がある。
1953年1月3日上川郡風連町 (現・名寄市) における個人観測で-45.0度を記録した例がある。 (但し、当日の最低気温は旭川市で-24.8度、帯広市で-29.1度など、周辺部で極端な低温は観測されていない)

風中の歴史 ふうれんの取り柄
https://web.archive.org/web/20160306212644/http://city.hokkai.or.jp/~oya88888/fu-rekisi.htm

本町の気象観測について語るとき、“風連町のお天気博士"として知られる上口清藏さんの存在を忘れることはできない。昭和7年以来、今日に至るまで一日も欠かさず気温、降霜、降雪などの観測を続け、克明に記録してきた。そうして蓄積された膨大なデータを分析して、その年の農作物の作況予測を行うなどして本町農業の発展に寄与したことが認められ、平成4年に風連町文化賞を受賞している。
わが町の気象に関して一般的に最も関心が向くのは気温であろう。とりわけ最高・最低気温について知りたくなる。上口さんが自宅近くに設置した百葉箱で観測した最高気温極値(昭和28年以降)は昭和51年7月26日の38.1度で、最低気温極値は昭和28年1月3日の-45.0度。公式記録とは計測条件が違うので比較することはできないことを考慮しても、本町の最高気温、最低気温ともに道内公式記録にかなり接近していることがわかる

 

他にも1931年1月27日の枝幸郡枝幸町の-44.0度、同日の中川郡美深町の-41.5度、同日の中川郡常盤村 (現・音威子府村) の-41.3度、1978年2月17日の雨竜郡幌加内町の-41.2度などの非公式記録がある。
足寄郡陸別町では2019年2月9日に-38.4度を記録 (アメダス観測地点とは別に気象庁の検定を通過した機器を備えた観測地の記録) したということで、現代でも条件が整えば極端な気温があり得るということだ。

ニコニコ大百科 日本一寒い町とは
https://dic.nicovideo.jp/a/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%80%E5%AF%92%E3%81%84%E7%94%BA

 

2024年以降も酷暑の夏は続くと思われるが、その際にここで展開したような最低気温記録を思い出して少しでも涼しい思いをしよう。

 



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