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昨年2023年は高層ビルに関してさまざまな出来事があった。

まず新しい高層ビルとして東京都港区に「麻布台ヒルズ森JPタワー」 (325m) が竣工したことが挙げられる。2014年に開業した「あべのハルカス」 (300m) を抜いて日本一の高層ビルの座に就いた。
この先には2028年に東京都千代田区大手町に「Torch Tower」 (385m) が計画されており、竣工すれば日本一の座につくことになる。このビルは2023年に解体された「朝日生命大手町ビル」 (119.65m、1971年竣工) の跡地に建設されるものだ。いよいよ東京タワー (333m) を超える高層ビルが完成することになる。

一方で、浜松町駅周辺の再開発に伴い、「世界貿易センタービルディング」 (162.59m) が解体されたことも2023年の大きなニュースだ。

「世界貿易センタービルディング」 は1970年に竣工した時に、「霞が関ビルディング」 (156m) を抜いて日本一の座に立ったビルである。50年以上が経ち、そのような高層ビルが解体される時代となったといえよう。
とはいえ、100m超ビル第1号の「霞が関ビルディング」はまだまだ色あせていない。

estie マガジン 霞が関ビルディングはなぜ50年も愛され続けるのか?建物の構造に迫る!
https://www.estie.jp/products/finder/magazine/article/kasumigaseki-building

霞が関ビルディングは、フロア中央にエレベーターを置き、回遊性の高い構造にすることでオフィスのレイアウトを時代のトレンドに合わせて柔軟に変更することが可能になっています。この構造は対面のコミュニケーションが重要視される今の時代にもピッタリな空間です。また、IT化などが進む時代に合わせ、総工費約470億円を投じて3度の大規模改修を施し、最新の設備にリニューアルしています。他にも、最新のBCP(事業継続計画)を備えたり、シェアオフィス「ワークスタイリング」を展開したりするなど、まさに三井不動産グループが企業思想として大切にしている「経年優化」を象徴するような建物と言えます。
時代に合わせた改良を積み重ねることで、様々な高層ビルが建ち並ぶ今でも、高層ビルのパイオニアとして存在感を示しているのです。

さて、「世界貿易センタービルディング」 や「霞が関ビルディング」を含めて、第二次世界大戦後の日本の最も高い建築物の変遷は以下のようになる。
 ホテルニューオータニ ザ・メイン (72.1m) 1964年-1965年
 ホテルエンパイア (93m) 1965年-1968年
 霞が関ビルディング (156m) 1968年-1970年
 世界貿易センタービル (162.59m) 1970年-1971年
 京王プラザホテル本館 (179.55m) 1971年-1974年
 新宿住友ビルディング (211.381m) 1974年
 新宿三井ビルディング (223.6m) 1974年-1978年
 サンシャイン60 (239.7m) 1978年-1991年
 東京都庁第一本庁舎 (243.4m) 1991年-1993年
 横浜ランドマークタワー (296.33m) 1993年-2014年
 あべのハルカス (300m) 2014年-2023年
 麻布台ヒルズ森JPタワー (325.40m) 2023年-

このように「霞が関ビルディング」が1968年に竣工する前に日本一の高さだったのは、横浜市戸塚区の「ホテルエンパイア」 (93m) である。 

ホテルエンパイア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%A4%E3%82%A2

遊園地の横浜ドリームランドに併設される形で1965年3月28日に開業し、1995年に閉鎖された。
当初は「ホテルドリーム」の仮称で計画され、大林組により1964年4月に着工し1965年3月に竣工した。霞が関ビルディングに先駆けて建設省の高層建築物構造審査会の審査に合格した日本初の超高層ビルとして10億450万円の建設費を投じ、完成当時は地下2階地上21階、高さは建物部の軒高が77.7m、尖塔と避雷針を含めて93mであり、工事期間は僅か1年という突貫工事だった。
1995年に廃業・閉鎖されてから2005年に至るまでの10年間は、誰も手をつけることなく、廃墟と化していた。閉業当時は撤去する予定であったようだが、一年という短い期間での突貫工事の影響なども有り、アスベストが大量に使用されていたため、撤去費用が膨大なものになるというもので結局解体は行われず現在に至る。
その後、紆余曲折を経てドリームランド跡地を買収した都築第一学園が、2005年に改装工事に着手し、同学園が2006年に開校した横浜薬科大学の図書館棟になった。

建築基準法が改正されて高さ規制が廃止されたのは1963年であり、それを受けて建築された「ホテルエンパイア」は元祖超高層ビルと呼ぶことができる。 
横浜ドリームランドやモノレールについては、いろいろと取り上げられているのでここでは触れないが、元日本一高層ビルの「ホテルエンパイア」が廃墟扱いされていたことは非常に残念であった。
この「ホテルエンパイア」改め「横浜薬科大学の図書館棟」にも2023年に動きがあった。

カナロコ by 神奈川新聞 地域のシンボル、これからも 横浜薬科大・図書館リノベーション
https://www.kanaloco.jp/pr/hamayaku20231011

横浜薬科大学にそびえる図書館棟のリノベーション工事が9月末に完了した。2002年に閉園した遊園地「横浜ドリームランド」の宿泊施設を大規模に改装し、2006年に図書館として生まれ変わった高層建築で、3年を費やした今回のリノベーションにより、さらなる長寿命化が図られた。
横浜市戸塚区の國本直哉区長は「横浜ドリームランド時代から地域の方々に親しまれ、シンボルとなっている図書館棟を、これからも戸塚のシンボルとして学生、区民の皆さんと大切にしていっていただきたいと思います」と話す。

富士山、横浜、みなとみらい、江ノ島など等が一望できる「横浜薬科大学の図書館棟」は、1965年の竣工からまもなく60年となるが、これからも高台から戸塚の街を見守っていてほしい。

 



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