My Encyclopedia
知らないことや気になることをいろいろと調べて記録していきます
 




このブログではタイムリーな話題を取り上げることはほとんどない。10年以上前の古い記事にも多くのアクセスをいただいているし、年月が経ってからこの記事にアクセスする方も多いだろう。しかし今回は今月の話題を取り上げる。
未来のこの記事の読者のためにブログを書いている「2020年8月」について触れておくと、世界は依然として新型コロナウイルス (Covid-19) の猛威の前に苦しんでいる。2020年1月に最初の死者が出てから、8月25日までに世界で死者83万人、感染者2450万人となっている。有効なワクチンはまだなく、開発されても行き渡るまでには時間がかかるだろう。本来は東京オリンピック・パラリンピックが今月行われていたはずだが、1年延期となった。それでも開催は難しいだろう。
経済面では4~6月のGDP成長率がアメリカ-32.9% 日本-27.8%など大きく落ち込み、2008年のリーマンショックを超えて、1929年の世界恐慌と比較されるレベルだ。コロナ禍が直接の原因ではないが、安倍首相が8月28日に辞任を表明した。次期首相がだ誰になるかはわからない。11月のアメリカ大統領選もどうなるかわからない。

未来の読者の方にとって上記の内容はどう映るだろうか。「そんなこともあったね」で軽く流せる未来になるか、「まだまだ序盤だね」とより深刻な未来になるか、全く先が読めない。

その新型コロナウィルスによる経済的影響は、国家の財政破綻が議論されてしまうようなレベルにある。しかし議論を超えて既に2020年8月に新型コロナウィルスによって滅亡してしまった国家がある。「ハット・リバー公国」である。

オーストラリア最古のミクロ国家、コロナ禍で消滅
https://www.cnn.co.jp/world/35157991.html

オーストラリアで50年前に「建国」されたミクロ国家「ハット・リバー公国」が、新型コロナウイルスの影響で終焉を迎えた。
自称公国のハット・リバーは独自の旅券を発行し、オーストラリアに対して宣戦布告したこともある。近年では一風変わった観光地として主に知られていた。
だが、コロナ禍で観光収入が減るなど経済が影響を受けた上、納税額が膨らんだこともあり、オーストラリアへの屈服を表明せざるを得なくなった。

ハット・リバーがミクロ国家として誕生したのは1970年。「君主」の故レオナード・ケースリー氏はこの年、法律の抜け穴を利用したと主張して、西オーストラリア州の人里離れた地域に公国を設立した。75平方キロの農地に建国されたハット・リバーは、面積こそマカオの2倍以上だが、人口は30人にも満たない。
オーストラリアからは国家としての正式承認を受けていないものの、ハット・リバーは独立国として活動。政府は査証や運転免許証、旅券、通貨を発行し、国章や国旗を作成したほか、米国やフランスを含む10カ国の13ヵ所に海外拠点を構えていたとされる。

だが、そんな試みは終わりを迎えた。
レオナード公が昨年2月に死亡すると、後には米ドル換算で215万ドル(約2億2800万円)の未払い納税額が残った。息子で後継者のグラエム・ケースリー公は先週、土地を売って納税債務の支払いに充てる方針を明らかにした。
ケースリー氏はCNNの取材に、国を解体することになり打ちのめされていると吐露。「父親が50年かけて築いてきた国を廃止せざるを得なくなり、非常に悲しい」と語った。


「オーストラリアのハット・リバー公国」や「未払い納税額」など、国家に関する記事として意味不明だが、「ハット・リバー公国」は以前このブログでも取り上げたミクロネーションであり、実態はオーストラリア西部の農家かつ観光地である。



ハット・リバー公国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E5%85%AC%E5%9B%BD

ハット・リバー公国(Principality of Hutt River)は、レオナード・ジョージ・ケースリー(Leonard George Casley)が独立国と主張していた、オーストラリア大陸西部の広大な小麦畑を中心とした地域である。
1969年10月、西オーストラリア州政府が小麦の販売量割当を決定した際、ケースリーの農場に割り当てられた販売量が十分なものではなかったため、他の5つの農場と連携し政策に反対し、西オーストラリア州総督のダグラス・ケンドルーに法案撤回の請願書を提出した。しかし、請願書は無視され、さらに州政府が地方の農地を取り返す権利を認める法案の審議が進められたため、ケースリーは「経済・土地が奪われる危機に瀕した際には分離独立することが出来る」という国際法の規定に基づき独立の準備を進めた。
ケースリーは「販売量割当の修正または52万オーストラリア・ドルの補償金が支払われない場合、オーストラリアから独立する」と西オーストラリア州政府に最後通告するが、これに対する返答が得られなかったため、1970年4月21日に自身が所有する75平方キロメートルの土地を「ハット・リバー公国」としてオーストラリアからの独立を宣言した。ケースリーは「ハット・リバー公レオナード1世」を名乗るようになるが、独立宣言以降も「自身はエリザベス2世の忠実な臣下である」と発言している。

レオナードの独立宣言に対し、オーストラリア総督のポール・ハズラックは「西オーストラリア州憲法に関する問題には連邦政府は介入出来ない」と発言し、西オーストラリア州政府は連邦政府が介入しない限りハット・リバーへの対応を行わないと決定した。オーストラリア首相のウィリアム・マクマホンは「領土侵害」として訴追するとしたが、レオナードは「国際条約に基いた独立」と反論し、オーストラリアの方針を無視して小麦を売り続けた。

1976年、オーストラリア郵便局はハット・リバーの郵便物の処理を拒否すると通告した。さらに、オーストラリア国税庁がレオナードに対し納税を要求したことを受け、1977年12月2日にレオナードはオーストラリアへの宣戦を布告したが、数日後には停戦を宣言している。

2017年2月、レオナードは息子のグライム (Graeme Casley) へ譲位した。2019年2月、先代「ハット・リバー公」レオナードが死去した。

2020年8月3日、グライムは「公国」の解散を宣言した。新型コロナウイルスの影響で1月より「国境」を閉鎖せざるを得ず、観光収入が断たれたために、オーストラリア政府への租税の支払いの目処が立たなくなったためという。グライムは土地を売り払い、納税に充てるという.「ハット・リバー公国」が独立を宣言してから50年で、再びオーストラリアが実効支配を回復することになった。




以下の映像でだいぶイメージがつかめると思う。



パスポートチェックがあったり、ビザ (入園料) があったりと本当の入国手続きさながらである。他のミクロネーションにも共通するが、国王(?) たちは皆とても凝り性でやることが徹底している。そうでないと一国の主にはなれないのだろう。
国境が封鎖されて、ビザ代や土産物売上といった国家収益が失われてしまっては、国家の破綻もやむを得ないところか。譲位を含めて50年続いたのは充分に立派だと思う。
未来の歴史教科書には、2020年は新型コロナウィルス、そしてハット・リバー公国の終焉の年として記録されていることだろう。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 浅草公園ルナ... オリンピック... »