My Encyclopedia
知らないことや気になることをいろいろと調べて記録していきます
 



 

都道府県別人口ランキングにおいて、かつて新潟県や石川県が全国トップだったこと、また首位が入れ替わることが頻繁にあったことはよく知られている。
しかし我々は「都道府県別」を現在の都道府県で考えているので、初期のランキングは感覚に合わないことが多い。
そこで1871年(明治4年)の廃藩置県から、おおよそ現在の都道府県の形ができあがる1888年までの期間について、人口と府県廃合の流れ、また地図を参照しながら見ていきたい。

廃藩置県の流れ、地図、人口データ(本籍人口を採用)は以下を参照している。またランキング上で薄緑色は編入や統合によるプラスの影響を示し、グレーは分離によるマイナスの影響を示している。

廃藩置県
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E8%97%A9%E7%BD%AE%E7%9C%8C
日本経済新聞 北関東3県は「宇都宮県」に 幻の28道府県案 (2015年9月25日) 
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO91885620Y5A910C1000000/
過去の都道府県の人口一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%81%AE%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%9C%E7%9C%8C%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E4%B8%80%E8%A6%A7

 

 

廃藩置県は1871年7月(旧暦)に、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革だが、300弱の藩を廃止してそのまま国直轄の県としたため、最初の都道府県数は「3府302県」と極めて多数だった。この時点では飛地も多く、地域としてのまとまりも弱かった。

そして4ヵ月後の1871年11月(旧暦)に第1次府県統合として「3府72県」に統合された。直後の1872年1月の人口データを参照すると、首位は広島県で約92万人、2位が山口県で約83万人、3位が東京府で約78万人だった。(後述するが東京府は現在の東京都と比べて範囲が著しく狭い)
4位の「名東(みょうどう)県」は、(この時点では)現在の徳島県と淡路島である。5位の「柏崎県」は現在の新潟県上越地方、中越地方に及ぶ。

この時点での地図(北海道を沖縄は別時点)を参照すると、現在の都道府県との違いがよくわかる。

 

1872年11月に額田県(現在の愛知県東部、旧三河国および尾張国南部)が愛知県に編入された。その結果1873年1月の人口データで愛知県がトップに立った。
また1873年1月に八代県が(第1次)熊本県に編入されて白川県(現在の熊本県)となり、人口ランキングで2位となった。

 

1873年6月に前述の柏崎県が新潟県に編入された。その結果1873年1月の人口データで新潟県がトップに立った。
また1873年6月に印旛県と木更津県が統合されて千葉県となり、人口ランキングで4位となった。
また1873年2月に香川県が名東県に編入されて、名東県は人口ランキングで2位となった。しかし、香川県は1875年9月に名東県から再分離されたため、1876年1月のデータで名東県は人口が減りランキングが前年の2位から13位に下がっている。(香川県は21位)

 

1876年に第2次府県廃合が行われ、都道府県数は「3府59県」から「3府35県」に大きく減った。
地図を参照すると、東京府は依然として小さい一方で、北海道、神奈川県、石川県、堺県、愛媛県、高知県、島根県、長崎県、鹿児島県などは現在と大きく異なる。

そして1877年1月の人口データで、現在の富山県と福井県を含めて北陸地方一帯を包括することとなった石川県が首位、現在の香川県を含む四国地方北部を包括することとなった愛媛県が3位、飾磨県の編入や但馬地方の編入などで面積が広くなった兵庫県が4位と大きく順位が変動した。

 

1881年2月に堺県が大阪府に編入されたため、1882年の人口データで大阪府が2位となった。(前年は大阪府が36位、堺県は17位だった)
また人口首位だった石川県は、1881年2月に福井県が、1883年5月に富山県が分立したために、以降は順位が下がった。
結果として、1882年の人口データで新潟県が首位に返り咲いたが、その後1884年の人口データでは大阪府が首位に立った。

 

しかし、1887年11月に大阪府から奈良県が分立し、同年12月の人口データで大阪府は7位に下がった。(奈良県は41位)
その結果新潟県が再びランキング首位となった。

 

さて、江戸時代に人口100万人(さまざまな推測あり)と言われた江戸だが、廃藩置県後の人口データではあまり上位に出てこない。

以下の東京の行政区画の変遷を参照するとよくわかるが、廃藩置県後の東京府は現在の東京23区よりも狭い範囲であり、大きく変わったのは1893年の三多摩地域の神奈川県からの移管である。

東京の行政区画の変遷
https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/keikaku_chousa_singikai/pdf/tokyotoshizukuri/toukyounogyouseikukaku.pdf

この移管の結果、東京府の人口は1892年 約136万人(4位)から1892年 約161万人(2位)と増え、その後1897年に初めて首位に立った。
その後1945年に戦争での疎開の影響で北海道が首位になったことを除き、東京府・東京都が首位を続けている。

このように見ると、国全体や各地域の人口は増加する中で、都道府県の統合等の結果で順位が大きく上がったり、分立等の影響で順位が下がったり押し出されたり、ということがよくわかる。

当時の方々がどれだけ府や県に対して敏感だったかわからないが、毎年のように枠組みが動いている中ではランキングそのものに意味はなかっただろう。とはいえ今後これだけ大きな枠組みの変化は今後難しいと思われるため、記録としてはとても興味深いものである。

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 世界と日本の... カラクタ共和国 »