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北陸地方の写真と隠れた歴史紹介を投稿します!

幕末の科学者-大野弁吉

2015-05-29 11:41:59 | 北陸-写真
    ※イメ-ジカット-034

       【-モノクロ修正後・一部淡く彩色-】

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    ※001-大野からくり記念館


     【-大野弁吉氏について-概略説明-】
 
  大野弁吉氏(1801~1870年)は京都生まれ、幕末の科学技術者です。
   20歳のときに、長崎に行き、理化学・医学・易数・鉱山学・写真等々を
     習得して対馬から朝鮮にも渡ったといわれています。帰国後京都に帰り
      中村屋八右衛門の長女・うたの婿となり、うたの生まれ故郷の大野に帰り
       永住しました・・。

  当時からその博識は良く知られ、加賀藩主が金石の豪商・銭屋五兵衞の助言で
   20人扶持で召し抱えようとしましたが、それを断り生涯清貧の中で過ごしました。  
    当時としては最先端の科学知識を駆使し、木彫り・ガラス細工・塗り物・蒔絵等の他
     特にからくり人形には異彩を発揮して、種々の優れた名作を数多く残しました。

  尚、銭屋銭屋五兵衞はその後、河北潟の埋め立てで異論等が起こり加賀藩から
  その家族ともどもに死罪・家財没収になりました・・・。
     【-大野からくり記念館・説明書から一部転機しました-】

   ※002-からくり人形 (同氏の作品から)


   ※003-大野弁吉氏、当時の制作風景




   ※004-弁吉氏の作品から


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   ※005-同館の展示雰囲気から


   ※006-享保雛 (写し込み)


      【-享保雛について-】
   この雛人形は江戸後期の享保時代(1716~1736年)以降に流行した雛です。
  衣装は金襴や綿を使った豪華なもので、男雛は御所風の束帯に似た衣装で宝冠を
  かぶり扇を持ち、大型で華美なつくりです。

   この享保雛は幕府の禁止令(奢侈禁止令)で8寸以上の人形は無用たるべしとされたので
   頭顔部・胴体・台座部を8寸以内に作り、飾るときに組み立てた大きな雛人形として大変
   珍しく貴重な品です。京都から当地に伝わったを言い伝えられています。江戸後期作。

   ※007-江戸後期の西洋人形


     ▲・・・次回編に続きます・・・(-_-;)

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