4月6日 母が無くなりました。満100歳の大往生。
できれば 6月の101歳の誕生日を迎えさせてあげたかった。
朝10時過ぎ上の妹から、「呼吸が止まりそうだ」と病院から知らせがあったとの電話が入った。
途中妹を拾って病院へ駆けつけた。しかし呼吸は止まりモニターの心臓の脈拍の波形も動いてなかった。
手を握ったり額に手を当てると 未だ生きている時と同じように暖かった。細胞死には間に合ったようだ。
兄弟3人集まると医者が来て時計を確認。死亡時刻は 10:55となった。以前読んだ本に 死亡時刻は極めて曖昧だと書いてあったが、私達兄弟3人が揃った時刻にしてくれたようです。
死亡診断書にある死因は「老衰」。これも残された家族が一番納得する死因。
死亡診断書に誤嚥性肺炎などと書かれたら 世話していた家族が周りから 介護の仕方が悪いなどと責められることがあるらしい。
母の場合も死に至る引き金となった原因があるはずだが、2週間前位から 食事が摂れなくなったり、とろとろと眠るようになったので、母の場合は 本当に老衰だと思う。
年齢が年齢だけに 無用な延命措置は断っており、胃漏もしなかった。
「人は 残される人の都合の良いときに亡くなる」と何かの本に書いてあったが、正しくその通りであった。
亡くなった日は 木曜日であったが、本来のスケジュールであれば 翌金曜日が私の抗がん剤の点滴の日だった。病院で点滴し 帰る際にさらに50時間ほどかかる点滴を首からぶら下げて帰る。副作用も出るので とても葬儀やら三日参りなどできなくなる。
ところがである。一か月前に決まる点滴のスケジュールが 大学の学会が開かれるため、翌週10日の月曜になっていたのです。
それに2番目の妹は 次男が結婚するため 先様との顔合わせが、今週末15日に予定されていたのです。死が近づいてる母を置いて妹は県外に出ること躊躇してたようです。母には悪いけど 「仏事の後の お祝い事は予定通りにやれ」と昔から言われているので もう気にせずに行けます。
亡くなった当日の午後 お寺さんに来ていただき 枕経と同時に通夜のお経をあげて頂き、翌7日告別式と火葬、8日はお寺で三日参りと初七日の法要。9日は近しい親戚への連絡。
そして10日は朝から病院へ行って抗がん剤点滴。やっと慌ただしい日々が終わりました。
これから四十九日の法要やら 借地なので建物を解体し更地にして地主に返す段取り、預金の相続は勤め先で8年携わっていたのでお手の物だが、いろいろとやるべきことが沢山ある。