ブーゲンビリアのきちきち日記

神奈川の米軍基地のある街から毎日更新。猫と花と沖縄が好き。基地と原発はいらない。

第35回相模湖ダム建設殉職者合同追悼会、写真36枚

2013年07月31日 08時17分59秒 | 相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会
今年も、参加させていただきました。わたしは6回目です。
第35回相模湖ダム建設殉職者合同追悼会は、今年は7月28日でした。
毎年7月の最後の日曜日、相模湖交流センターで13時30分開式です。




開式の辞、キャンドル点火、全員で黙祷、
そして、今回は初めて、映画「飲水思源」制作 東京造形大学生有志
が、上映されました。続きが観たいと思いました。

続いて、実行委員長挨拶、追悼の辞、遺族代表挨拶、来賓紹介、
献花、独唱、演奏(NPO民団国際協力センター 李相哲、河芳恵)
朗読と歌、閉式 






















閉会のあと、相模湖1周の湖上追悼にも参加させていただきました。
偶然にも、映画の主人公、わんさんに出会い、写真を撮らせていただきました。
当日の資料によると、張翔龍さんですね。ありがとうございました。
映画「飲水思源」は続きを、ぜひ制作してほしいと願っています。



























この高齢の男性は、突然立って話されました。また新たな証言が加わったようです。
歴史の証言者、「わたしは17才の時に、ここで働いていました。」
詳しい聞き取りは、先生がされたと思います。来年の資料に掲載されるでしょうか。
船のエンジンの音で、私の場所からは聞き取りにくく、もう一度聞くべきでした。
「佐々木さん」の事も知っているのでしょうか。メモがない・・・(涙)


















以下は自分のブログから転載します。カテゴリから過去記事もどうぞ。

1939年から1945年8月の敗戦までに、相模湖ダム建設の為に連行されてきた朝鮮人の人数は正確にはわかりません。労働者の40%は日本人、60%は朝鮮人といわれ、危ない仕事は朝鮮人にやらせていたと、そのころの日本人が証言しています。

中国人は、ダム工事を担当した熊谷組与瀬作業所に289人連行されたそうです。(1944年4月に)あまりにも過酷な労働に、逃げて捕まり、拷問の末、殺された人、4人という記録があります。

戦後の調査によると、民族別に分けると、朝鮮人17人、中国人28人、日本人38人が犠牲になっています。ただし、朝鮮人は日本名を名乗らされていたので、推定です。日本人の学徒動員で死亡した人は3人です。神奈川県出身、田渕?次18才、神奈川県出身、猪俣シュン扶17才、兵庫県出身、貝出宏19才。3人とも昭和19年死亡。

















写真はまだありますが、このくらいで・・・

今年は追悼の辞に、感動する言葉がありませんでした。
あえて、歴史を改ざんしようとする、最近の風潮でしょうか。
いつか来た道、戦争には絶対に反対です。






























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