ブーゲンビリアのきちきち日記

神奈川の米軍基地のある街から毎日更新。猫と花と沖縄が好き。基地と原発はいらない。

第41回相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会に参加しました。

2019年08月15日 07時09分57秒 | 相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会
第41回 相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会

追悼式プログラム

式次第
ヴァイオリン演奏(荒井雅至)バッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番

1 開式の辞(司会 円道美由紀)
2 キャンドル点火(ピアノ堀家徳子)
 (殉職・殉難者の合同追悼と日本、中国、韓国、朝鮮の平和・友好を願って
  キャンドルを点火します。内郷小学校児童3名)
3 黙祷 ダム建設殉職・殉難者とやまゆり園犠牲者に対し(全員)
4 実行委員長挨拶 (塚田滋)
5 追悼の辞 (相模原市、神奈川県、中国大使館、横浜韓国総領事館
 横浜華僑総会、民団神奈川、総聯神奈川)
6 来賓紹介(メッセージ含む)
7 演奏 和編鐘(ゆきね) ほたるこい 鎮魂歌 蔓天の音 時はつもりゆく
8 献花 (全員)ヴァイオリン演奏 荒井雅至 バッハ無伴奏パルティータ第2番より
 サラバンド・シャコンヌ
9 朗読 相模湖讃歌(相模原市立北相中学校2年生生徒)
10 合唱・演奏  合唱『 With you smile』リコーダー演奏 エーデルワイス
  相模原市立内郷小学校児童12名
11 独唱 夏の思い出  1本の鉛筆 月の砂漠 (歌 雨宮知子 ピアノ 堀家徳子)
12 フィナーレ 全員合唱 折り鶴 (手話指導 雨宮知子)
13 閉式のメッセージ (堀井健次郎 実行副委員長)

2019年7月28日(日)13時30分 開式
神奈川県立相模湖交流センター
後援 神奈川県













今年は猛暑で、前日まで雨という最悪の状況だったせいか、
あるいは、関係者の高齢化もあり、
参加者が少ないように感じたのは私だけでしょうか。
そういう私も、健康優先にすべきか、迷ったのですが、
無理しても行ってよかったと思います。

追悼の辞は、「令和元年」という無神経な人たちもいて、
儀礼的なものばかりで、つまらないものばかりでした。

でも、総聯神奈川だったか、「令和」ではなく、2019年といい、
現政権批判もした追悼の辞に、拍手したのは私だけでした。
一人でも拍手することができてよかったと思いますが、
なんとなく空気を読む?そういう雰囲気は、以前はなかったと思います。

いただいた「しおり」のあとがきにも、
違和感を覚えたのは私だけでしょうか。

何れにせよ、私は参加させていただいただけですから、感謝しかありません。
41年間も、毎年これだけのことが「実行委員会」として
ボランティアでやってこられたことに敬意を表すしかありません。

本来なら神奈川県や相模原市が、もっと関わったらいかがでしょうか。
相模原市長は参加すべきだと思いますが、代理の人でしたね。

あるいは、戦争責任を問うならば「国」の責任が問われることではないでしょうか。
なぜ中国、韓国、朝鮮から労働力として強制連行され、
過酷な現場で犠牲になったのでしょうか。
戦争さえしなければ、ダム建設も必要がなかったかもしれません。

2度と戦争をしてはならないと思う、「日本人」としての恥を知り、
来年も参加できることを願っています。




________


追記

過去記事から抜粋します。


https://blog.goo.ne.jp/naha_2006/e/04f26e58dd4f6b03f9c34224c1a7b285



戦争のために働く人が不足したため、様々な人々が集められました。国内では、貧しくて農業だけでは生活できない、北陸、東北からの出稼ぎ労働者、付近に住む人、大学生、そして、朝鮮から強制的に連行された朝鮮人や以前から日本に住んでいた朝鮮人です。中国人は捕虜になったり、日本軍に捕まったりして強制的に連行された人々です。その多くは八路軍に参加してつかまった捕虜だったそうです。早朝から12時間の重労働で休日もなく、食事は粗末な饅頭で、慢性的な栄養失調で脱走を図っても捕まってひどい目に遭ってしまいました。着るものもなく厳寒期はセメント袋をふとんや衣類の代わりにしていたそうです。

これらのことがわかってきたのは、戦後30年以上が過ぎた1976年に「相模湖・ダムの歴史を記録する会」が発足され、史実をひとつひとつ拾い上げて記録していったからです。熊谷組は賃金を支払っていないので、未払いの賃金を請求しましたが、「書類を焼失したため応じられない」と言われたそうです。


最新の画像もっと見る