能登半島地震から1年が過ぎたというのに地震や津波で倒壊した家屋がそのままの状態で残っている。これを見ると今年の1日の出来事だったのかと錯覚しそうにさえなる。まさに手付かずなのだ。国のやる気のなさがよくわかる。生活を守ることが国を守ることの基本のはずなのにそれを置き去りにしても平気なのが現実。お金がないわけではない。何を優先するかの問題。
25-1-11
大雪がやって来ない。年末にはほとんど降らなかったのでお正月にどっとまとめて降るのではと覚悟していたのに穏やかなまま過ぎ去った。その後も雪のない日が続いている。決して待ってるわけではないけれどそれなりに降ってくれないと帳尻合わせのドカ雪が怖い。札幌以北では大雪に見舞われて大変な状況になっているからちょっとした風向き次第でそれもあり得る。
25-1-12
値上げの波は止まらない。最初はそのうち止まるだろうとの願い込めて多少の値上げはしかたがないと諦めていたはずなのに一向に止まる気配がない。市役所地下食堂の幕の内弁当も580円から670円に値上げした。内容と美味しさからすればまだ他より安いとはいえ告知を目にすることなくされたのが気になる。その流れに乗っただけで当然の対応だと言わんばかりだ。
24-1-13
つい先日このブログへの訪問者数が倍増した不思議を書いたばかりだが今朝もそれが起こっていた。前日の55から過去最高になる193にもなっていてびっくり。これまでの最高は2度だけの110台だった。全体での順位も初の千台の6592位に。徐々に増減するならわからないでもないが急変するのは理解に苦しむ。それでも、これが急減でないからよしとして受け止めよう。
25-1-14
年末からお正月にかけてそして今に至るまで箱と引き出し作りに精を出している。それは3段ボックス用のもので絵画教室用のモチーフをより効率的に収納するために作り始めたのだが作る楽しさにもはまって止まらなくなっている。ここで撤収したアトリエから運んだベニヤを活用できてるのが嬉しい。捨てたものも随分ありそのとき先を読めなかったのが残念でならない。
25-1-15
昨日の先を読めない続きを書けば木っ端もある。掃除をしているとき1㎝以内の切れ端を細かく折って屑かごに捨てたのだが後になって箱の内側の補強に役立つことがわかった。これも後の祭りでどうしようもない。先を考えすぎると捨てられなくなるからその判断に悩む。きっと必要になると思って寝たままになるものもある。悲しいのは捨てた途端にそれがほしくなるとき。
25-1-16
久し振りに音楽ホールキタラへ。定かでないが20年振りくらいの気がする。ホールの独特の雰囲気と空気は非日常感があって懐かしい気持ちにさせられた。その頃は小高や西本智美などを何度か聴きに来ていた。今回は札響のニューイヤーコンサートで新年に相応しい新鮮な気分を味わう。席が最上階だったのも新たな視界で楽しめた。充分満足して雪道を帰途につく。
24-1-17
地下通路を歩く人達の服装からもいかに不況であるかがよくわかる。とにかく黒ばかりなのだ。6〜7割はそんな感じで他の2割は白か灰色でこれも無彩色。これらは金銭的に余裕のなさの現れで変化や冒険や違いを求めないためだと思う。黒は汚れも目立たず無難な色で他の色にも合わせやすいという利点がある。よく言えば落ち着いた色だが個性のない色にもなりそう。
24-1-18
銀行の貸金庫の問題と疑問。何が入っているか不明ということは隠し金庫のようなもの。犯罪に利用されるでけでなく隠し資産の場にもなるわけだ。もし紛失した場合には自己申告に従って保障返却するのだろうか。預かり証がなければそれしか方法はない。入れたほうも記録がなく記憶があいまいなら多めの申告もあり得るだろう。縁のない世界だがその辺りが気になる。
24-1-19
少しずつだけど朝夕の陽が長くなったのを感じる。春遠からじだ。それにしても札幌の降雪の少なさは異常。これほど長期間に渡って降雪量が少ないのは珍しいはず。なにしろ昨年末から大雪がない。雪かきをしないで済むのはとても助かるけれどこれも異常気象のうちなんだろうか。そして今日は大寒だというのにプラスの5度を記録した。2月を通り越して3月末の暖かさ。
24-1-20