今日の書き込みで731日目になりブログの開始から2年が過ぎ3年目に入る。1年目はこれまでの作品を載せることに懸命になりそのために10ヶ月近くも要した。大変だったけど張り切っていたおかげでやれた気がする。2年目は20年継続している『ひとこと』を途切らさない気持ちで頑張ってきた。これからも自分の考えや気持ちを表に現す大事な手段として続けていきたい。
21-12-21
これからますます厳しい寒さになり雪にも悩まされる季節に入っていく中で一筋の光になってくれるのが冬至。これ以上昼が削られることはなく日毎に陽が長くなっていくと思うだけで希望が湧いてくる。うまい具合にこのときが設定されたものだ。これがなければもっと辛いはず。たとえ辛くても何かひとつの希望があれば苦難を乗り越える糧となり支えになってくれる。
21-12-22
今年最後の絵画教室を終了。自分にとって今年の大きな出来事のひとつに無事に朝日カルチャーから主宰する絵画教室に移行できたことがあげられる。何よりも多くの生徒が引き続き新しい教室に通ってくれたことだが、街の中心地に教室を確保できたのも存続する上での大事な要素になった。地下鉄にも路面電車にも直結しているようなものなのでとにかく便利なのだ。
21-12-23
40年近く続けた朝日カルチャーを終え新たな教室を始めたのが4月で、次の大きな出来事は8月の個展。コロナの影響で昨年は涙を飲んだ個展を開催できたのはとても嬉しいことだった。27歳の時からほぼ毎年続けてきた発表が作年途切れて空白の1年になったのが残念で悔しかったので今年の開催は倍の嬉しさがあった。これからは途切れることのないよう祈るばかり。
21-12-24
続き。そしてもうひとつの出来事が11月の交通事故。今考えてもあれだけの怪我で済んで本当に良かったとしみじみ思う。もっと悲惨な状況になる可能性は十分あったわけで、正に不幸中の幸いという言葉が当たっている。ほんのわずかな違いで運命が別れる体験を図らずもしてしまったことになる。骨折の回復も順調のようで意識しなければ忘れるようにまでなってくれた。
21-12-25
健康寿命のど真ん中にいる。19年の調査では男性の平均は72.68歳だという。あくまでも平均なので年齢の違いによる人数的な割合がどうなっているのかはわからない。それはともかく、健康寿命の定義が『介護を受けたり寝たきりにならずに日常生活を送れる期間を示す』とあるが、これもざっくりとしていてあいまいな部分が多い。どこまでが健康な日常生活なのだろう。
21-12-26
昨年の年末と今年の年始は猛烈な寒波に襲われたが今年も寒波に覆われた年末になりそうだ。昨晩は寝る前に水落としをするかどうか迷った末にしないまま眠った。昨年に比べると寒波はまだおとなしいし、真冬日の連続日数の少なさからそう判断した。危険な行動ではあるけど、これ位なら大丈夫だという確信を得るためには何度か試してみるよりない。その迷いは続く。
21-12-27
地下通路を歩いていると歩行者のほとんどが黒か黒に近い濃い色の衣装で色味の少なさに驚く。ある程度安定した社会は黒に落ち着くとかつて聞いた覚えもあるが、これだけ圧倒的に多いと違う意味もあるような気がする。自分に当てはめてみると他との組み合わせでも無難な色なので選んでしまう。歩く人達の理由は定かでないが没個性の黒い集団が地下を行き交う。
21-12-28
昨年とまったく同じ失敗をしてしまった。敬老パスが切れる寸前だったので近くの郵便局で残りの2万円分を追加しようと納付書とお金を渡すと「カードは?」と言われてしまった。納付書とお金は持ってきたのに肝心の敬老パスを忘れていたのだ。結局2往復の散歩になる始末。2度あることは3度あるというけど来年こそは1往復で済ませたい。でも1年後なので自信はない。
21-12-29
知らなかったスマホの機能を教えてもらう。これが驚きで日本語の文章を英訳してくれるのだ。英語辞書として使うだけでも便利だと思っていたら手書きの文章までも英訳してくれるとは。もう少し早く知っていたらドイツの友達に英語の手紙を書くときにもっと楽できたはず。そればっかり頼ったら頭を使わなくなるのも心配だけど助かるのは確か。これもまた1年後の話。
21-12-30
ついに今年も最後までコロナに翻弄された年になってしまった。これで約2年間がコロナに脅かされ奪われた期間になったわけだ。ここまで来ると非日常が日常になってしまう懸念も生まれる。マスクはすでにその範疇に入っている。最近では出掛けるときにマスクを忘れることもなくなってきた。つまり鍵と財布を持って家を出るのと同じ感覚になったのだ。これは悲しい。
21-12-31