地震から1ヶ月以上過ぎました。
この1カ月間いろんなことを学ばせていただきました。
人には話さなかったけど、震災後に仙台と石巻に行ってきました。
被災地に行く前に通行可能な道路を調べた。
ガソリン満タンで自宅から往復できる地点を地図で調べた。
ペットボトルの水は関東でも入手困難だったので48個だけだけどトランクに積んだ。
港寄りの石巻市南浜町はテレビでも何度も惨状を見たが、実際に目の当たりにすると、
どうなればこんなことになるんだ・・・と思った。
高台からつながるメイン通りを、低地の南浜町へ走らせると、東方向が見渡せるが、建物と呼べるものは何もなかった。
流され、焼けて、さびた風景が広範囲に広がる。
何も言葉にならなかった。
一言で印象を伝えるのなら「グラウンド・ゼロ」。
二言に感じたことは「写真で見た、広島・長崎と同じ風景」
時間が経つごとに被災地の需要は変わりつつあるんですね。
旧北上川沿いにある、自宅の全壊は間逃れた60代前後の女性は、家の中のがれきをひとつひとつ外へ運んでいた。
女性は言った。
「もうすぐ1カ月になりますけど、このあたりは電気もガスも水道も何もないんです。」
「街へ行けば食料と水はどうにか・・」
何もしてあげられなかった。
テレビも人も時間が経つと、この震災を少しずつ忘れてゆく。
それでも被災した方や現地を見た人は生涯この惨状を忘れられないと思った。
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