31年まえのこの日のテレビはジャンボ機の行方を模索していた。
まだネットが普及する前の時代、地元目撃者の証言をたよりにひたすらメディアは険しい山に登った。
生存者からの証言では、墜落した日航ジャンボ機123便の搭乗者は重傷を負いながらも生きていた人が多かったという。
事故現場上空にはヘリが飛び、助けにきてくれたと思った負傷者もいたが、助けることはせず引き返して行ったという。
なぜ一部のものは事故の場所を知りながら、現場の山岳事情に詳しい地元消防団や自衛隊を夜明けまで山へ向かわせなかったのか、
なぜすぐにでも救出に向かおうとする自衛隊員を黙殺させたなどといううわさが飛び交ったのか、
いまだわからないこの事件。
圧力隔壁の損傷による事故として扱われ、その後詳細な調査はされていない。
追わないほうがよい真実も存在するが、単独旅客機事故では史上最悪の520人の命がなくなったこの事件。
本当の事実を知りたい遺族は多いはず。
生存者の中にはオレンジ色の物体がジャンボに衝突したという方もいたと記憶している。
現場では墜落後に人命救助ではなく、何かの回収を急ぐ人がいたという。
夜明け前までに、何かを隠したい者たちが、真実を闇に葬られせてしまったのではないだろうか。
8月12日、流星群の夜に、まだ息のあった生存者たちはどのような光景を見ていたのだろうか。
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