甲府城 [コウフジョウ] | ||
別名 | 舞鶴城、一条小山城 | |
城郭構造 | 梯郭式平山城 | |
築城者 | 豊臣秀吉、徳川家康 | |
築城年 | 1583年(天正11年) | |
廃城年 | 1873年(明治6年) | |
指定史跡 | 国の史跡 | |
場所 | 山梨県甲府市 地図 | |
スタンプ設置場所 | 舞鶴城公園管理事務所、甲府城稲荷櫓 | |
御城印販売場所 | 甲府市観光案内所 |
概要
甲府城は、天正10年(1582)の武田家の滅亡後、豊臣秀吉政権下で建築が始められ、豊臣秀勝、加藤光泰を経て、慶長5年(1600)頃に浅野長政(五奉行)により完成したと考えられています。発掘調査では金箔瓦や浅野家の家紋瓦などが発見されています。関ヶ原の戦い後は徳川義直(家康の九男)、忠長(2代将軍秀忠の三男)、綱重(3代将軍家光の三男)、綱豊(後の6代将軍家宣)ら徳川一門が城主となり城番・城代制がしかれました。宝永元年(1704)以降には、柳沢吉保・吉里親子が城主となり、この時期に甲府城下町も大きく発展しました。柳沢氏が大和郡山(奈良県)へ移封された後は甲府勤番制となり、ふたたび幕府の直轄地となりました。このように豊臣政権下では重臣浅野長政・幸長親子らが甲斐国の支配を任され、また江戸時代の大半が徳川家直轄領であったことからも、ここ山梨が長野、静岡、関東をつなぐ要所であったことがわかります。明治維新後は廃城となり、建物が取り壊される一方、勧業試験場および葡萄酒醸造所などが設置され、また城域北部では中央線敷設による解体など甲府城は本来の姿を変えていきました。一方で保護・保存の動きもあらわれ、大正6年(1917)には甲府市在住の村松甚蔵氏の尽力によって国からの払い下げを受け、県有地となりました。戦後は市街地復興に併せて整備が進められ、昭和39年に都市公園「舞鶴城公園」、平成31年には国の指定史跡「甲府城跡」となりました。
※現地看板より
武田信玄公之像
甲府駅前にある武田信玄の銅像
舞鶴公園
坂下門跡
鍛冶曲輪と天守曲輪・二の丸をつなぐ門です。江戸時代の本「裏見寒話」には、城を建てる前にあった一蓮寺の門を使用していたとあります。
※現地看板より
中門
天守曲輪・本丸へ通じる門です。絵図には柵の門として描かれています。
鉄門
かつて城下町から見上げた鉄門は、明治初年に城内の他の建物と共にすべて取壊されてしまいました。この鉄門を復元し歴史景観を再現することは、甲府城跡の文化財的価値や理解をより高めるものと考えています。また、甲府中心市街地からの眺望は、新たな魅力と人の流れを生み、城下町甲府の風格と活気を取り戻すものと期待されています。
※現地看板より
天守台
お城が建てられた当時の姿がそのまま残っています。天守台はお城のシンボルとしての天守が建てられる場所です。
※現地看板より
本丸
銅門跡
天守曲輪から本丸に入る西側の門です。礎石はお城が建てられた当時のものです。
※現地看板より
暗渠
雨水などが盛土や石垣内部にたまると石垣は不安定になるので効果的に排水する必要があります。暗渠はそのための施設です。
※現地看板より
本丸櫓跡
城内の中心に建てられた櫓で、明治初年までは残っていたことが古写真でわかっています。
※現地看板より
稲荷曲輪
稲荷櫓
城内の鬼門(北東)に位置することから艮櫓ともよばれ、江戸時代には武具蔵として使われていた建物です。明治初年まで残っていたことが古写真などでわかっており、発掘調査でも2度にわたり建物を建築した痕跡(遺構)と、土地の平安を祈るための輪宝(地鎮具)が6点見つかりました。今の建物は、この遺構や残っていた絵図や史料などをもとに、できるだけ当時の姿に復元したもの、平成16年に建築しました。
※現地看板より
スタンプ設置場所
日本100名城のスタンプが稲荷櫓の1階に設置されています。
甲府城復元模型
山手門
「楽只堂年録」絵図には、両脇に低い石垣と土塀も描かれており、近世城郭の主要な虎口では、外側に高麗門、内側に櫓門を設けております。門扉を支える両側の鏡柱の上に冠木を渡し、前後に腕木を出して切妻屋根を架け、鏡柱の背後にそれぞれ控柱を建て、本屋根より小振りな切妻屋根を載せる特徴的な構造です。
※現地看板より
山手渡櫓門
「楽只堂年録」絵図には、石垣を渡し架けているように描かれており、一層目の門の上に櫓が載る櫓門形式の門としています。一層目は石垣の間に門扉、ケヤキ材の鏡柱、添柱等が配置され、75cmもの太さの大梁等を支えます。二層目の規模は「甲斐府中城図」等複数の絵図に配されている3間×7間としています。
※現地看板より
鍛冶曲輪門
鍛冶曲輪と楽屋曲輪をつなぐ門です。明治の初めまでは残っていたものを絵図や発掘調査の成果をもとに、平成8年に復元しました。
※現地看板より
甲府城石垣展示室(山梨県防災新館)
この展示室には、発見された石垣のうち、築城期の美しい石の姿と荒々しい野面積みをご覧いただけるよう、約13メートル分を移築復元するとともに、同時に発見された胴木の実物展示を行いました。
※現地説明板より
胴木
胴木は、軟弱基盤での石材の重さで生じる不等沈下や滑りによって、石垣が崩壊するのを防ぐために敷かれた木材です。
※現地説明板より
2024/3訪問