伊豆国 伊東館 <イトウヤカタ> | ||
別称 | ||
城郭種別 | 居館 | |
縄張り | 平山城 | |
築城者 | 伊東祐親 | |
築城年 | 平安時代 | |
廃城年 | 不明 | |
主な城主 | 伊東氏 | |
指定史跡 | なし/不明 | |
住所 | 静岡県伊東市大原 [Google] [地理院地図] | |
城址碑 | なし | |
現地案内板 | あり | |
スタンプ | ||
現存建造物 | なし | |
復元建造物 | なし | |
DID・航空管制 | 対象外・対象外 |
概要
伊東を発祥の地として全国に広がった伊東氏は、平安時代末期に、ここに住み着いた藤原南家工藤氏に始まるといわれます。
曽我兄弟の祖父伊東祐親の二代前、伊東家次が初代と考えられています。
伊東家は、以後鎌倉時代をへて戦国時代末期まで、長い間この地とかかわりがあったので、伊東家館跡の伝承地は幾つかあります。
この高台の一角にある物見等に、物見の松と伝承される老松があり、この場所は伊東家館跡と伝承されて来ました。
現在は物見塚公園となり、馬上姿の伊東祐親像が置かれています。永くその姿を誇ってきた物見の松は、昭和57年に枯死し、現在はその塚の上に小さな三代目の松が植えられています。
この高台のふもとにある仏光寺も、鎌倉時代の伊東の地頭であった伊東八郎左衛門尉の屋敷跡と伝承されています。
※現地石碑より
攻城記録
伊東市役所
物見塚公園
伊東祐親公像
嘉永元年(1182年)武将伊東祐親が自ら壮絶な死の道をあゆんでより、すでに800年の歳月がきざまれた源平両氏交替期の大きなうねりのなかで、
その行く手を冷静に見きわめながらも譜代の臣として、斜陽の平氏への忠筋に、ひとすじ、武将の信と意地をつらぬきとおした生涯であった。
後の世、この地に生をうけた一歌人が、次のようにうたった。
まぼろしの雄叫びきこゆ
減ぶると知りつつ武将の
ちから竭しき
ゆたかな歴史の息づくわたしたちの町、伊東には、その昔、領主として地域の繁栄に重要な役わりをはたした伊東氏をめぐる史蹟がいかず多くつたえられている。
※伊東祐親公像より
2024/8最終訪問
周辺地図
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