今年も残すところあと数時間となった。
今年も色々という言葉で片付けるには片付けられないほど色々あった。
高橋幸宏、坂本龍一、KAN、チバユウスケ、櫻井敦司、谷村新司、HEATHという伝説的なミュージシャンが鬼籍に入ってしまった。
ミュージシャンの訃報は今年は多く耳にした気がする。
俺自身の身内にも訃報はあった。
今年の2月、父方の祖父が96歳で亡くなった。
大正から令和まで4世代にわたって生ききった。まさに大往生だと思う。
そして祖父が死ぬ数日前に息子を連れて会いに行けたのは、自己満足ではあるが本当に良かった。
祖父との思い出で思い起こされることは、自然との向き合い方を子供の頃から教えてくれた人だった。
川の上流の怖さと楽しさを教えてくれた人でもある。
戦争を知る世代だが、戦争にまつわる話は殆どしてくれなかった。
個人的にはあんな哀しい出来事は次の世代ではして欲しくないという気持ちだったのではないかと思っている。
祖父の死を直視して思ったのは、俺はこの先、祖父に恥じぬように生きないといけないなということだった。
まあ祖父からしてみたらそんなこと気にせんで良いといわれそうだが、俺が納得したいのだ。
だが、至らぬところも多いのも事実なもので、祖父に恥ずかしくないような生き方を送れているのかどうかはよく分からない。
今年一番頑張ったことといえば育児だろう。
仕事をしつつ、自分にできる限りの範囲ではあるが、家事と育児に参加したつもりだ。
妻にしてみたら全然足りないのだろうが、それでも全く放置せずにしっかりと息子の世話を心掛けたことだけ、胸を張って言いたい。
今年の自分の漢字は間違いなく”育”であるといえる。
そして育児をしてみて思うのは、今まで自分が感じていなかった不安感がより多く出てきたということだ。
父という立場になって初めてしなければいけないことが多くなったため、そういう感覚が沢山出てきた。
この先も父として、手本たる大人としてしなければならないことが出てくるだろう。
いよいよもう自分だけの人生ではなくなったのだなと感じる。
また、この不安感が厄介なもので、非常に閉塞感とやるせなさと焦燥感に満ちている。
結婚は人生の墓場とよく言われるが、おそらく結婚の後の出産に待ち受ける、この不安感が側面になっているのだろう。
不安感は何も育児だけではない。
昨今の行政の体たらくを観ていたら、よりよい未来など露ほども想像できない。
国内では貧富の差が拡大し、国外では戦争が起こりだしてきた。
また、男女間の分断もどんどん深まっているように思える。
いつの日か何もアクションをかけることも許されない世界になってしまうのではないかというくらい、お互いが憎しみ合っている。
一言で言えば「生き辛い」である。
先ほど祖父に恥じぬ生き方をと思っておいてなんだが、こんな世界居たくないという自分も存在している。
安楽死が許されるのであれば、選択肢の1つとして入れておくには十分すぎる世相だろう。
だが、今のところはまだ死ぬよりも生きるという想いが強い。
まだ生きて体感してみたいことも多いし、やりたいこともある。
そして今年新たに思ったのが、何故死にたいのかと思った時に、その背後にある不安感の正体が気になったことだ。
不安感に向き合うというのは今年かなり意識するようになったことだ。
今まで全く向き合ってきたわけではなかったが、ここ最近はとりわけその不安感の正体を探ることを意識している。
これは、来年発売されるゲーム「メタファー:リファンタジオ」の影響もあるのだろう。
この作品は初報があった2016年頃からずっと注目していた。
そして、先日このゲームの制作陣がメッセージを寄せた動画があるのだが、ソレに非常に感銘を受けたのだ。
この動画内で本作のテーマが「不安への向き合い方」としていることを目にした時、ナニかがピンときた。
特に理由などは無い。本当に当時の自分の心情的なモノとリンクしたのだろう。
「不安に向き合うということについて、自分もしてみたい。しなくちゃいけない」と感じたのだ。
勿論このゲームはプレイするつもりだ。
そしてこのゲームに向けて、自分なりにも、今自分を取り巻いている不安の正体は何なのかを少しでもハッキリさせたいのだ。
それがこの作品に向き合うための俺がすべき事前準備であり、リスペクトなんだろうと勝手に思っている。
何より、この不安感の正体を理解することで、俺が次にナニをひねり出していくかが分かる気がする。
気がするだけで何も起きないのかもしれないが、何もしないより何かを探している方が生きるには十分な理由になるじゃあないか。
まだ自死を選ぶには早すぎる。俺はまだ何も分かっていないのだから。
そんなわけで、来年のテーマは「不安を詳らかにする」である。
自分や世の中が抱えている不安感について、どんどん踏み込んでいきたい。
とてつもなくしんどくて面倒臭いかもしれないが、気になったのだからとことんまでやってみたい。
それが今の俺の生きる理由になっている。
いよいよ2023年も終わりだ。
本当に色々じゃ片付けられないくらい、色々あった1年だった。
不格好で歪ながらも、一応はしっかりと駆け抜け切ったと思う。
来年は俺にどんな不安が降りかかってくるのか、そこにしっかり目を向けていきたい。
今年もありがとうございました。
良いお年を。
今年も色々という言葉で片付けるには片付けられないほど色々あった。
高橋幸宏、坂本龍一、KAN、チバユウスケ、櫻井敦司、谷村新司、HEATHという伝説的なミュージシャンが鬼籍に入ってしまった。
ミュージシャンの訃報は今年は多く耳にした気がする。
俺自身の身内にも訃報はあった。
今年の2月、父方の祖父が96歳で亡くなった。
大正から令和まで4世代にわたって生ききった。まさに大往生だと思う。
そして祖父が死ぬ数日前に息子を連れて会いに行けたのは、自己満足ではあるが本当に良かった。
祖父との思い出で思い起こされることは、自然との向き合い方を子供の頃から教えてくれた人だった。
川の上流の怖さと楽しさを教えてくれた人でもある。
戦争を知る世代だが、戦争にまつわる話は殆どしてくれなかった。
個人的にはあんな哀しい出来事は次の世代ではして欲しくないという気持ちだったのではないかと思っている。
祖父の死を直視して思ったのは、俺はこの先、祖父に恥じぬように生きないといけないなということだった。
まあ祖父からしてみたらそんなこと気にせんで良いといわれそうだが、俺が納得したいのだ。
だが、至らぬところも多いのも事実なもので、祖父に恥ずかしくないような生き方を送れているのかどうかはよく分からない。
今年一番頑張ったことといえば育児だろう。
仕事をしつつ、自分にできる限りの範囲ではあるが、家事と育児に参加したつもりだ。
妻にしてみたら全然足りないのだろうが、それでも全く放置せずにしっかりと息子の世話を心掛けたことだけ、胸を張って言いたい。
今年の自分の漢字は間違いなく”育”であるといえる。
そして育児をしてみて思うのは、今まで自分が感じていなかった不安感がより多く出てきたということだ。
父という立場になって初めてしなければいけないことが多くなったため、そういう感覚が沢山出てきた。
この先も父として、手本たる大人としてしなければならないことが出てくるだろう。
いよいよもう自分だけの人生ではなくなったのだなと感じる。
また、この不安感が厄介なもので、非常に閉塞感とやるせなさと焦燥感に満ちている。
結婚は人生の墓場とよく言われるが、おそらく結婚の後の出産に待ち受ける、この不安感が側面になっているのだろう。
不安感は何も育児だけではない。
昨今の行政の体たらくを観ていたら、よりよい未来など露ほども想像できない。
国内では貧富の差が拡大し、国外では戦争が起こりだしてきた。
また、男女間の分断もどんどん深まっているように思える。
いつの日か何もアクションをかけることも許されない世界になってしまうのではないかというくらい、お互いが憎しみ合っている。
一言で言えば「生き辛い」である。
先ほど祖父に恥じぬ生き方をと思っておいてなんだが、こんな世界居たくないという自分も存在している。
安楽死が許されるのであれば、選択肢の1つとして入れておくには十分すぎる世相だろう。
だが、今のところはまだ死ぬよりも生きるという想いが強い。
まだ生きて体感してみたいことも多いし、やりたいこともある。
そして今年新たに思ったのが、何故死にたいのかと思った時に、その背後にある不安感の正体が気になったことだ。
不安感に向き合うというのは今年かなり意識するようになったことだ。
今まで全く向き合ってきたわけではなかったが、ここ最近はとりわけその不安感の正体を探ることを意識している。
これは、来年発売されるゲーム「メタファー:リファンタジオ」の影響もあるのだろう。
この作品は初報があった2016年頃からずっと注目していた。
そして、先日このゲームの制作陣がメッセージを寄せた動画があるのだが、ソレに非常に感銘を受けたのだ。
この動画内で本作のテーマが「不安への向き合い方」としていることを目にした時、ナニかがピンときた。
特に理由などは無い。本当に当時の自分の心情的なモノとリンクしたのだろう。
「不安に向き合うということについて、自分もしてみたい。しなくちゃいけない」と感じたのだ。
勿論このゲームはプレイするつもりだ。
そしてこのゲームに向けて、自分なりにも、今自分を取り巻いている不安の正体は何なのかを少しでもハッキリさせたいのだ。
それがこの作品に向き合うための俺がすべき事前準備であり、リスペクトなんだろうと勝手に思っている。
何より、この不安感の正体を理解することで、俺が次にナニをひねり出していくかが分かる気がする。
気がするだけで何も起きないのかもしれないが、何もしないより何かを探している方が生きるには十分な理由になるじゃあないか。
まだ自死を選ぶには早すぎる。俺はまだ何も分かっていないのだから。
そんなわけで、来年のテーマは「不安を詳らかにする」である。
自分や世の中が抱えている不安感について、どんどん踏み込んでいきたい。
とてつもなくしんどくて面倒臭いかもしれないが、気になったのだからとことんまでやってみたい。
それが今の俺の生きる理由になっている。
いよいよ2023年も終わりだ。
本当に色々じゃ片付けられないくらい、色々あった1年だった。
不格好で歪ながらも、一応はしっかりと駆け抜け切ったと思う。
来年は俺にどんな不安が降りかかってくるのか、そこにしっかり目を向けていきたい。
今年もありがとうございました。
良いお年を。